世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
グローバル化と不信のスパイラル
(国士舘大学 客員教授)
2022.04.04
冷戦崩壊後,経済のグローバル化が劇的に進んだ。だが,2010年代後半からはその反動が顕在化する時期と捉えられそうである。2016年6月のイギリス国民投票におけるEU離脱派の勝利,同年11月の米国大統領選でのトランプ勝利と翌年1月の米国のTPP離脱,2018年3月に始まるWTOルール無視と米中貿易戦争,2020年1月の新型コロナ感染症危機と米中の対立激化,さらには本年2月のロシア軍のウクライナ侵攻さえ,個別の事情を無視できないが,経済のグローバル化が生んだひずみの反撃のようにみえる。
過去4半世紀を超える経済のグローバル化は,傲慢な資本主義を一方的に推し進め格差を広げ,社会を不安定化させた。勝者であるはずの米国でさえ,強欲の資本主義が社会を分断した。深刻なのは,米国で敗者となった人々が既存の政治システムに不信感を募らせポピュリストのトランプ大統領を誕生させ,民主主義に危機をもたらしたことである。対外的には粗野な外交が,中国習近平政権の強硬な「戦狼」外交を常態化させた。ロシアをウクライナへの軍事侵攻に駆り立てたのも,敗者の立場に置かれた大国の指導者が,NATOの東方拡大の流れに猜疑心を極限にまで膨らませたからだろう。そこにはグローバル化の時代状況が関わっている。
だが,気がかりなのは,社会の分断が国内と国外で共に進んでいることである。米国では,大統領選から1年が過ぎても共和党支持者の60%がバイデン大統領の誕生を不正と信じ,多数の人々が米国議会議事堂襲撃さえ民主党の陰謀と考えている。人種,マイノリティ,女性などへの差別は道徳的抑制が失われ,アジア人差別も社会現象化している。2024年の大統領選ではトランプの勝利さえ予想される。今では,真実と虚偽の基準は人々の心の中にしかない。対外的にも,貿易戦争とコロナ危機で中国との対立は決定的となった。
昨年7月,筆者は本サイトに中国の戦狼外交に関する小論を載せたが,「戦狼」の認識が中国の内と外で逆であることを指摘したかったからである。よく似た現象はさまざまに形を変えて,広がっているようにみえる。新聞報道によると,中国では今,SNSで「人生で避けられないものが3つある。誕生,死,そして中国への侮辱だ」というジョークが飛び交っている。そして,侮辱と感じるものへの強い反発がある。これには,高級ブランド企業が広告で神経を尖らせているという。一重まぶたで細い目,短髪の中国人女性が冷麺をもっているある菓子メーカーのポスターは,つり目が中国への偏見だとの非難が沸騰し,モデルとなった女性は「私が生まれたこと自体が中国への侮辱(なのか)」と書いているという(日経2022.3.13)。
北京オリンピックは,中国政府による公式の評価とは別に,中国のメダルの獲得に強い関心が向けられた。オリンピックは,米国を上回る成果を上げ成功であった。だが,米国育ちの中国代表のフィギアスケート選手が転倒して順位を下げると,ネット上では「(米国の)スパイだ」との非難が殺到した(産経2022.2.8)。
しかし,米欧を中心に主要国は,新疆ウイグルの人権問題を理由に首脳の参加をボイコットし,対照的に中国は開会式前日に,ドーピング問題で大会出場資格を失ったロシアの国家元首との首脳会談を開いて,NATO拡大の反対と強い結束を謳った。しかも,北京パラリンピックを待たずにロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。競技に臨んだ選手とは別の次元で,多くの国でその評価に疑問符がつく。
コロナ感染症パンデミックは,西側民主主義国で混乱が際立ち,中国政府が主張する政治体制の優位性は,中国の人々の間で少なからず共感を呼ぶ。香港国家安全維持法の施行は中国政府による一国二制度の国際公約違反と見做されるが,帝国主義からの解放は国内で人々の心を揺さぶる。言論,情報統制が進む中で,少なくない人々が大国となった中国に自尊心を覚える。他方,批判には屈辱を感じストレスを抱く。そのはけ口は内に向かい,また外に向けられる。国内では環境NGOなどの活動がスパイに利すると圧力がかかり,外に向っては戦狼外交が支持される。
ロシアでは,ウクライナ侵攻が批判の自由を奪う中で強行されている。この3月,反戦の高まりを受けて「虚偽報道禁止」法案が可決された。プーチン大統領に都合の悪い情報は「フェイクニュース」となる。偏った情報の中で,一部であっても強いナショナリズムが醸成される。ウクライナの人々へ共感を寄せる人々は抑圧され,沈黙を強いられる。プーチンを支持する人々との間には深い断絶が生まれる。
指導者は自らに都合良く情報を統制し,人々を操ろうとする。その試みは自己増殖する。ネット上ではフェイクニュースの拡散が意図的,組織的に行われているが,人々の間で自己回転を始める。中国では政府とは無関係に,屈辱と感じる情報や活動を「反中」と攻撃して利益を稼ぐブロガーが現れているという(日経,エコノミスト誌翻訳記事2022.1.11)。猜疑心が膨らみ,真偽の基準は人々の心の中にしかなくなる。こうして,時には指導者を超えて過激化が進む。同時に,外の世界との断絶が深まる。
この間の出来事のもうひとつの側面は,第2次世界大戦後の国際秩序を創った当の戦勝国の指導者が,その秩序を無視しだしたことである。米国と中国は逆方向で瀬戸際にある。ロシアは指導者がついにその秩序を破った。
だが,忘れてならないのは,国家間の政治的対立を「民族」や「国民」の対立に貶めてはならないということである。嫌中,嫌露,嫌日,嫌韓,アジアンヘイト……これらの感情は,事態の解決にならない。緊張と軍拡を増幅し,対立の歯止めを失わせる。プーチンの決定がウクライナの人々にどれほど非人道的で悲惨な結果を招いているか,日々,リアルな映像が届く。政治的対立を互いの憎悪に変えれば,負の対立はいつまでも続く。私たちは,そのことを噛みしめて,困難の中にある人々の心に寄り添うことではないか。今は豊かな想像力と共感力を鍛える時だろう。
過去四半世紀以上にわたり加速されてきた経済のグローバル化は,現実によって修正を迫られている。だが,修正は単に次善の効率性を求めれば済むというものではない。グローバルな経済活動はカントリーリスクを再認識すると同時に,その在り方も見つめ直す必要がある。新たな世界の政治経済秩序が模索されねばならない。
[参考文献]
- 平川均(2021)「中国の『戦狼』外交とパーセプションギャップ」世界経済評論IMPACT No.2237,7月26日
- 平川均(2021)「トランプ米大統領とCOVID-19は世界経済をどう変えるか-米中関係に注目して―」『国際経済』第72巻
- 平川均(2022)「COVID-19パンデミックと新興・発展途上経済」『国際経済』第73巻,[早期公開日: 2022/03/09]
- 筆 者 :平川 均
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際政治
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