世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2237
世界経済評論IMPACT No.2237

中国の「戦狼」外交とパーセプションギャップ

平川 均

(国士舘大学 客員教授)

2021.07.26

 「戦狼」(Wolf Warrior),「戦狼外交」が,中国の外交姿勢に関わって頻繁にメディアに登場している。「戦狼」は第1作が2015年に,続編の第2作が2017年に封切られ,大ヒットした中国軍特殊部隊の元隊員が活躍するアクション映画のタイトルである。第2作では,主人公がアフリカを舞台に戦禍に取り残された同胞を救うために敵と勇敢に戦う。そのタイトルが中国への不当な批判に果敢に戦う外交官を,さらに外交一般を指す言葉となった。それは,これまでの控えめな外交姿勢(「韜光養晦」)から攻撃的なそれへの転換を示す言葉でもある。

 「戦狼」は2020年の新型コロナ感染症(COVID-19)パンデミックを契機に,中国の国営メディアでも使われている。決して国外だけで使われる表現ではない。武漢で集団発生したCOVID-19は当初,地方政府がそれを隠そうとした事件があった。また武漢のウイルス研究所が発生源であるとの疑いも出されていた。同じ時期,トランプ前政権は自国の感染爆発の責任を中国に求め,激しい中国批判を繰り広げていた。2020年3月,トランプ前大統領は感染症を「中国ウイルス」と呼び,ポンペオ前国務長官はG7外相会合の共同声明に「武漢ウイルス」を明記しようとさえした(CNN 2020.3.26)。翌月には,大統領がCOVID-19で中国への損害賠償の請求を検討していることも伝えられた。そうした動きは8カ国にも広がり,中国の人々に義和団事件での列強の賠償請求を想起させたと伝えられる。

 海外から中国批判が強まる中で,公然と反撃に出た外交官の一人が趙立堅報道官である。彼は3月,感染症ウイルスの起源についてアメリカ軍が持ち込んだものかもしれない,との陰謀説を自身のツイッターに書き込んだ(3月12日)。中国メディアはこれを「戦狼精神」と呼んで讃えた。もっとも,そうした攻撃的,挑発的な外交官の姿勢には中国国内でも批判があるが,外交の主戦場は今や間違いなく,ツイッターなどソーシャルメディアに移っている(WSJ 2020.5.20)。

 ところで,同じ「戦狼外交」の呼称は西側の民主主義諸国では,戦闘的な中国外交官の言動に止まらず,政治・経済・軍事面などでの中国の対外強硬姿勢全般を示す言葉となっている。ウォールストリートジャーナル(WSJ)が2020年2月初めに中国を「アジアの病人」と呼んだ記事を掲載したが,それを契機に米中間では報道関係者の追放が始まった。7月には両国で領事館が閉鎖された。オーストラリアがCOVID-19感染源問題で国際調査を求めると,中国はオーストラリア産大麦から石炭,ワインなどへ,輸入規制を強めた。中国は7月に国際社会への公約である「一国二制度」を反故にし,香港国家安全維持法を施行した。南シナ海では一方的に領有権を主張し軍用施設の建設を強行している。本年(2021)3月にアラスカで行われた米中高官級協議では,中国は新疆ウイグルの人権問題,香港問題でアメリカに一歩も引かない応酬を続けた。同月,EUが発表した新疆ウイグル自治区の人権侵害問題での自治区公安責任者への制裁に対して,中国はEU議会議員5人を含んだ10人と,EUの2組織および2シンクタンクに中国への入国禁止の報復を科した。5月末には習近平主席が党政治局メンバーらによる学習会で「信頼され,愛される中国」を指示したとされるが,政策の変化は信じられていない(日経FTコラム 2021.6.4)。極論すれば,「戦狼」は,中国国内では英雄的肯定的意味を,西側民主主義諸国では攻撃的否定的な意味を帯びている。

 だが,こうした中国の外交姿勢は,多くの国で人々に強い警戒感をもたらしている。上述の新疆ウイグル人権問題でのEUの制裁に対する報復を受けて,5月,EU議会は2020年末に合意したEU中国包括的投資協定(CAI)の批准手続きの凍結を決議した。圧倒的多数(賛成599,反対30,棄権58)が凍結に賛成した(Reuters 2021.5.51)。2020年のピューリサーチセンターの対中好感度調査は,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,オランダ,スペイン,カナダ,日本など西側民主主義国のほとんどで対中認識が過去最悪となった。「良くない」(unfavorable)の回答は軒並み70%~80%台を,低くても60%台を記録している。オーストラリアのローウィー研究所の調査では,2018年まで回答者の約80%が中国を経済的パートナーとみていた。それが2020年には34%に落ち,安全保障上の脅威とする回答が63%に達した。インドでも国境紛争で昨年来,中国製品の不買や中国企業への規制が強まっている。

 だが,何故,中国は「戦狼外交」に走るのか。「戦狼外交」は2020年のCOVID-19の勃発を契機に顕在化したが,それ以前から兆候はあった。WSJによれば,ツイッター上につくられた中国の外交関連アカウント数が2019年後半から劇的に増え,ツイッター数も2020年後半以降急増している。趙立堅報道官の誕生は2019年8月のことであるが,その前の彼は勤務地のパキスタンから,人種差別や所得格差のあるアメリカに中国の人権侵害を批判する資格はない,と激しくツイートしていた(WSJ 2020.5.20)。

 中国の習近平政権は,トランプ政権による理性を欠いた中国批判に苛立ち,彼を愛国外交官として中央に呼び戻したと思われる。彼はこうして,COVID-19を契機に英雄的な「戦狼」外交官として,米中外交対立の表舞台に躍り出た。しかし,これは単なる報道姿勢の変化ではない。中国は今世紀に入っても驚異的な経済成長を続け,世界第2位の経済大国にのし上がった。「世界の工場」だけでなく市場となり,技術革新でも劇的な成果を上げている。2020年4月以降は,COVID-19で都市封鎖や国境封鎖を強いられる欧米諸国をしり目に感染を抑え込み,発展途上世界への支援に乗りだしている。そうした自信と,それにも拘らず批判の矢面に立たされる苛立ちが「戦狼外交」を生んだと言えるだろう。トランプ前大統領による反知性的な対中批判がその直接的契機となった。

 だが,「戦狼外交」で中国が失ったものは大きい。アメリカのバイデン新政権は発足すると早速,国際協調路線に戻り西側諸国との連携を強めている。本年3月にはバイデン大統領は日米豪印4カ国(Quad)首脳会議を開催し,インド太平洋地域の発展途上国へのワクチンの提供で合意した。5月のG7外相会議は「自由で開かれたインド太平洋」の重要性を確認し,中国の新疆ウイグル自治区の人権問題,南シナ海,東シナ海,そして台湾海峡にさえ言及して深刻な懸念を表明した。翌6月,ロンドンでのG7首脳会議では上記の論点が確認され,中国への警戒感がはっきりと示された。NATO首脳会議も,中国を「体制上の挑戦」国と規定した。米中対立は今では中国と西側民主主義諸国との「新冷戦」の構図に変わったかに見える。

 それにしても何故そこまで中国は「戦狼外交」に走るのか,が問われるようになった。そして中国の内部に目が向けられる。中国には共産党一党支配の矛盾,近年の若年層の失業率の上昇,住宅問題など,「今の中国が内に抱える『弱さ』」が確認される(日経 2021.6.30)。だが他方で,14億の人口を擁する中国の少なくない人々が,自国の発展に自信を得て「戦狼外交」を正当な対応であると支持するのも事実である。中国指導部はその抑制を試みているが,ナショナリズムの高揚がそれを阻んでいるとの分析もある(WSJ 2021.6.29)。

 危険なのは,中国の内外で「戦狼外交」の認識がほぼ180度異なる事実である。両者の人々のレベルで,相互に他者への共感が失われる傾向が強まっているようにみえることである。国際社会で,覇権の移行期には相互不信が強まる傾向がある。グレアム・アリソンが説くように「トゥキディデスの罠」が待ち受けている。その陥穽に陥らないための努力が要る。慎重さと相手への共感を人々の間でどうつなぎ止めるか。慎重に手探りしながら,互いにそれを求め続けねばならないだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2237.html)

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