世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2309
世界経済評論IMPACT No.2309

TSMCの“裏切者”か,中国半導体の“救世主”か:中国に渡った台湾人技術者―梁孟松と高啓全

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2021.10.11

(1)梁孟松:退職騒ぎで大儲けした開発の“秀才”

 梁孟松は1952年に台湾で生まれ,国立成功大学電機工程学系で学士号と修士号を取得した。また,カリフォルニア大学バークレー校で電子工程博士号を取得した。博士課程の胡正明指導教授は,半導体製造技術のFin FET(魚のフィン(ヒレ)を立てたような構造の電界効果トランジスタ(FET)を開発した人物である。線幅22nm~5nmの半導体はこの技術が必要になり,梁孟松は胡正明教授の愛弟子の1人である。梁氏は米国電気電子学会(IEEE)の正会員で,アメリカ合衆国特許商標庁(USPTO)に登録した半導体関連の特許は181件に達し,学術論文は350編以上を発表した。梁氏はAMD(アドバンスト・マイクロ・デバイセズ)の技師,TSMCのシニアR&D長,台湾・清華大学電機系教授,韓国・成均館大学訪問教授を経て,後にはサムスンR&D副社長,SMIC(中芯国際集成電路製造)共同首席CEO兼執行理事を歴任した。梁氏について筆者は,別稿「中国最大の半導体受託製造:中芯国際のトップの更迭と苦悩」(No.2282)に既に記述しており,重複する箇所は本稿では省いているので,そちらを参照されたい。

 2009年初め,梁氏と数名のFin FET技術チームはサムスンに移籍し,それによって,サムスンが急速にTSMCとの技術の差を縮小するようになった。そのために,TSMCは梁氏が営業秘密を漏洩している疑いがあると考え,裁判所に提訴した。法廷は梁氏に対し,2015年以前のTSMCの機密事項および人事データの使用を禁止する判決を言い渡した。この結果2017年に梁氏はSMICに移籍することとなった。

 TSMC創業者の張忠謀は梁氏について,「梁氏がTSMCの在籍時は非常に忠実な仕事をしていた。梁氏の減点の理由は,あっちこっちに移籍し(サムスンとSMIC),2008年にTSMCから離職する時も引き留めたが,最終的に残ることがなかった」と述べている。

 梁氏が2017年にSMICに移籍した後,SMICは3年間以上かけても克服できなかった14nm製造技術のボトルネックの課題を,10カ月で解決できた。梁氏がTSMCの在職中に14nmと16nmの製造技術の開発に参加していたため,ボトルネックの問題を解決することができたわけだ。これにより「梁氏はSMICの“救世主”になる」という業界の予想を証明することができた。

 しかし現在,TSMCは5nmの量産化および3nmのリスク生産(少量生産)を行っていて,SMICはTSMCと比較すると14nm製造技術以降の10nm,7nm,5nmおよび3nmの4つの世代で後塵を拝している。梁氏は14nm製造工程の試作開発が完成したが,SMICでは現在でも歩留り率(良品率)は10%台であり,商業ベースの量産化まではなお一定の距離がある。梁氏には,これらの課題を克服するには既に限界が来ているのかも知れない。

(2)高啓全:台湾の「DRAMのゴットファザー」

 高啓全は1953年に台湾・瑞芳に生まれ,台湾大学化学工業系を卒業し,ノースカロライナ州立大学で修士号を取得した。1979年にアメリカのフェアチャイルド・セミコンダクター(Fair Child)に入社,技師として働き,1984年にインテルのメモリーR&D部門長に就任した。1987年にTSMCに転職し,34歳の若さで工場長を歴任し,当時は最も若い半導体ウエハー工場長と言われた。1989年,呉敏求(現在の旺宏電子会長・CEO)らと共同で旺宏電子(Macronix)を創設した。2004年,華亜科技(Inotera,南亞科技とインフィニオンの合弁企業。現在のマイクロンテクノロジー台湾)の社長に就任し,2012年には南亞科技の総経理(社長)兼華亞科技董事長(会長)に就任した。その後2015年10月,高氏は中国の紫光集団有限公司に移籍し,グローバル執行副総裁に就任,2019年6月にDRAM事業群CEOを兼任した。そして,2020年9月末に高氏は紫光集団を退職した。高氏の退職後,このグローバル執行副総裁の職務は,坂本幸雄(エルピーダメモリ(現・マイクロンメモリジャパン)前社長)が担当するようになった。

 高氏の紫光集団における5年間の最大の功績は,長江存儲科技(YMTC)のNAND Flash市場の基礎の構築である。紫光集団に移籍後,最初の一年半は北京で勤務し,その後の三年半は武漢で長江存儲科技の運営に尽力した。同社は紫光集団傘下の国芯と武漢新芯との合併により武漢に設立された半導体企業である。主にはDRAMとNAND Flashを製造している。高氏は紫光集団の趙偉国董事長(会長)に「長江存儲科技は自らの特許と技術を持ってから工場の拡張を行うこと。そうしないと,大きな損失を蒙る」と説明した。2018年8月に長江存儲科技がXtackingの3D NAND技術を発表してから,第2期の拡張工事が始まった。このステップ・バイ・ステップ(一歩一歩,着実に)の方式が正解であることを証明できた。ちなみに,2021年7月,紫光集団は債務問題の泥沼化で,中国の企業破産法による破産・再編の手続きに入った。

 紫光集団からの退職後,高氏はサーバー企業の緯穎(Wiwynn)の独立董事(理事)に就任した。そのほかに,台湾人投資家が武漢黃石で設けたウエハーの再生領域の中国初のビジネスである録億半導体に投資した。それまで中国では,ウエハーの再生技術がなく,中国のウエハー製造企業は台湾へ送り,台湾で再生して中国に返すオペレーションを行っていた。この結果,1枚のウエハーには6ドルの輸送コストがかかっていたと言う。近年,中国の半導体製造企業が増え,再生のニーズも高まることから録億半導体を設けたという。

 これまで別稿を含め紹介した4人の「TSMCの“裏切り者”」は,それぞれの自分の理想があり,最も輝ける場所を求めて中国に活躍の場を移した。過去において,日本の大企業で働いた半導体技師が辞職し,韓国のサムスン電子などに再就職したケースもあった。それによって,日本の半導体産業が急速に“衰退した”要因の一つになったと言われた。

 事実上,TSMCの成功は一人の蒋尚義や一人の梁孟松によるものではなく,TSMC全体のチームの特有な文化でもある「台清交」(台湾大学,清華大学,交通大学)を卒業した優秀なエンジニアの存在,さらにはTSMCのサプライチェーン,産業の生態チェーンの共存共栄の文化環境など,多くの関係者と共に成長し,支えられてきたものである。蒋尚義や梁孟松が部下を引率しSMICへ移籍したことは,自らの利益や人気に頼ったものである。しかし,TSMCが20~30年間の長い期間をかけて,サプライチェーンの小さな企業を引率し,築きあげた共同の努力の成果を,中国で完全に“複写”することは出来ないだろう。

(関連コラム)朝元照雄「TSMCの“裏切者”か,中国半導体の“救世主”か:中国に渡った台湾人技術者―張汝京・蒋尚義」(No.2303)

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2309.html)

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