世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2224
世界経済評論IMPACT No.2224

ベーシック・インカム:地球上ではどんなひとも飢えで死んではいけない

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授)

2021.07.12

 ベーシック・インカム(BI:basic income)の考えは新しくはない。歴史的にもトーマス・モアはすでに16世紀にそのユートピア概念のなかで,フランスのフルニエやボルテールも啓蒙思想としてこの考えを挙げている。今,またしても注目を集め始めたのはなぜか。マクロ経済政策,その財政金融政策との整合性はどうなのか。そして社会保障制度との連関性や資本主義そのものとの意味合いは何か。

 ヘリコプター・マネーが中央銀行の金融政策としての一律の給付金の支給とすれば,財政政策としてはどのような措置が可能なのであろうか。ベーシック・インカム(BI)はユートピアな理想郷の政策と見なされていたが,ここ数年,とくにコロナ危機で議論が沸騰するようになった。パンデミクスの終わりの見えない感染伝搬の拡大,困窮に喘ぐ中間階層以下のひとびとの声,そういう中で国民へ条件を付けない直接的生活援助金を実行に移す国も後を絶たない。これらはこのようなベーシック・インカム制度の恒久化を意味するのであろうか。最近だけでも米国,トーゴ,ドイツで実証されつつあるという事例が紹介される。この収入や雇用の条件に関わらずすべての人に同額を支給することは,実は20世紀においても国民一律支給金や最低所得保障などが社会保障給付制度の枠内で定期的に取り上げられてきた。戦後の西欧の資本主義においては大不況や貧困を回避しようと高度福祉国家社会が形成されたと言われてきた。とくに現代経済においては公共財政において景気の自動安定装置(ビルト・イン・スタビライザー)機能が景気変動のショックを緩衝する装置の役割を果たしてきたとされている。好況期には累進税制により富裕階層へのより高率な課税によって税収が増大し,社会保障給付はその分,増大となって反映される。反対に不況期には所得の減少によって税収も縮小するが,社会給付は増大する。このような自動的な所得の再配分機能が現代の高度福祉社会によって保障される現代資本主義がそれ以前の資本主義と決別したものと評されてきた。とりわけ社会保障給付の「自動的」に増大する仕組みが北欧諸国ではとくに備わっているとされてきた。税制の重税感が強いが,所得の再配分機能が不平等を最も少なくするものとされてきた。

 今,この戦後福祉レジームの揺らぎが低経済成長のなかでクローズアップされてきた。コロナ発生以来,バイデン大統領の登場以降,公共支出が爆発的に膨張し続けている。その経済政策は米国ではこれまでの民主党においてもカーターでもクリントンでもオバマでもない「ウォーク資本主義」(woke capiltslisme)と呼ばれる社会正義に目覚めた資本主義であるとポール・クルーグマンはニューヨーク・タイムズ紙で述べている。フランスのマクロン大統領の経済アドバイザーであるジャン・ピザニ・フェリーは米国の資本主義は「歴史的な離別」の時代を迎えたとまで言う。イェーレン財務長官が「高圧経済」と呼ぶ大型の財政政策は20世紀初頭のエリー湖運河建設の巨大事業にも匹敵する新たな経済政策,これがバイデノミクスであると評している。ここでは事業規模を超えたジェンダー,人種政策,気候変動などのタクソノミーを意識して再編成された新たな資本主義のことである。

 社会保障水準の高い欧州では数年前,「21世紀の資本」を著したトーマ・ピケティがル・モンド紙のなかでBIを論じている。コロナ危機を契機に多くの最低保障制度の提案がなされてきたが,BIは必須であるが不十分であると断じている。フランスにおいて貧困層は全体のたった5%の遺産しか保有しておらず,10%の高所得層が55%以上の遺産をも占めている。基礎所得たるBIに加えて雇用保険か米国並みの最低賃金,そしてすべてのひとのための遺産相続の均等な取り扱いという3つの基準を補完的,段階的に組み合わせる必要があるとする。

 米国,香港,日本などでも実施された給付金は恒久的なベーシック・インカムではないが,この考えに関心が高まってきた。フィンランドで4年前実証済みだが21年の米国のレスキュウ・プランの給付金はひとつの大きな議論の転換点となった。住むのにも食べるのにも困窮した失業者の増大のなかで米国の11州で導入された。2019年のノーベル経済学賞のデュフロ(Duflo)とバナジー(Banerjee)が提唱した有名なRUUB(revenu universel ultrabasique)と呼ぶ貧困国における普遍的所得保証の考えは地球上ではどんなひとも飢えで死んではいけないという明確で簡潔なメッセージであった。しかしながら世界では最低所得保障は自由主義経済における市場を維持するための社会的コストであって,行き過ぎた給付の現実から,エリザベス1世が1601年に制定した本体の救貧法(poor law)の精神に帰るべきと新自由主義者フリードリヒ・ハイエクなどは警告する。彼は「隷従の条件」(The Road to Serfdom)において市場競争が法でなく恣意的な命令や拘束を受け入れるようになったと懸念するのである。老齢,失業,疾病などのリスクは各個人の責任であって,国家はそれを経済政策によって対抗すべきでBIですり替えようとしていると批判する。フリードマンの一定水準以下の個人へのマイナス所得税,最近マクロン大統領の提起した18歳の若者全員に1人300ユーロ支給する文化支援「パス・キュルチュール」,ピケティが強調する世帯でなく個人べ―スの家族指数による子供手当,などその適用に洗練さが加わってきた。少なくとも次の8人のノーベル賞経済学者も最低所得の考えを支持している。トービン,サイモン,ハイエク,ミード,ソロー,フリードマン,ディートン,ピサライドである。コロンビア,韓国では22年の大統領選挙,ドイツでも緑の党も含め実施を支持,フランスでも来年22年大統領選挙に向け論議が出ている。

[参考文献]
  • L’héritage pour tous vise à accroitre le pouvoir de négotiation de ceux qui ne possedent rien . Le Monde, le 15 mai 2021
  • Le revenu univesel, c’est maintenant ! Courrier intrenational Paris, juillet 4, 2021
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2224.html)

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