世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2156
世界経済評論IMPACT No.2156

金融政策と格差を巡る論点

川野祐司

(東洋大学経済学部 教授)

2021.05.17

物価と格差

 2021年に入ってアメリカやヨーロッパなど先進各国ではインフレ率が高まってきているものの,中央銀行は金融緩和の姿勢を崩していない。景気下支えが目的だと考えられるが,過剰な金融緩和が格差拡大の原因になっているとの意見も根強い。格差は雇用,所得,資産の面で見られるが,下位層は2020年以降いずれの面で見ても苦戦しているのに比べて,最上位層は安定した雇用と所得の下で資産を増やしている。

 本稿では,金融緩和と格差をめぐる論点を整理してみたい。

 本稿では雇用数,所得,資産に絞って議論を進めていく。雇用機会,教育機会,社会的地位による差別などもあるが,紙幅の都合で本稿の論点から外す。また,税制や公的扶助などによる是正は政府の責務であるため,本稿の論点から外す。

 金融緩和による経済の影響は,金利低下の恩恵,景気下支えによる恩恵に大別できる。

金利低下の恩恵

 金利の低下は,住宅ローンなどの借金の負担減と債券や銀行預金などの資産から得られる利息収入の減少を意味する。また,過剰な金融緩和によるカネ余りは,住宅,鉱物や穀物などの商品,株価などの金融商品の価格を上昇させる。これらの影響を所得階層別に見てみよう。

 最下位層や下位層の人々は資産も負債も少ないため,金利低下による恩恵も負担もほとんどない。ただし,投機により穀物やエネルギーなどの商品価格が上昇すれば,生計費が上昇して実質的な購買力が低下する。

 すでに住宅ローンを抱えている中間層にとって,金利低下は返済負担の軽減につながる。一方で,住宅取得を検討している人にとっては金利低下による負担減と住宅価格の上昇による負担増の影響を受ける。価格帯や住宅市場の状況にもよるが,価格上昇の負の影響の方が大きいだろう。中間層の金融資産は多くないため,資産側の恩恵はあまりない。

 上位層や最上位層にとっては,負債の負担減と資産価格の上昇の両面で恩恵を受けられる。パンデミック下でも最上位層の金融資産が急激に増えていることはよく知られており,その背景に過剰な金融緩和がある。確かに債券などからの金利収入,つまりインカムゲインは減少するものの,キャピタルゲインがそれを補って余りある。

景気下支えの恩恵

 金融緩和で景気が回復すれば,雇用や所得が増える。筆者は金融政策には景気を下支えする力がないと考えているが,百歩譲って金融緩和で景気が下支えされると仮定してみよう。企業は資金を借りやすくなって事業が拡大し,雇用の増加につながる。雇用の増加はマクロ経済全体の所得の増加につながり,消費も増加させるという好循環が生まれる。

 雇用への影響は年齢やスキル(技術)によって異なる。拙著『ヨーロッパ経済の基礎知識2022』でも扱っているが,2010年代のヨーロッパでは45歳未満の人々は少子化による人口減を超える雇用減を経験しており,男性の方がより厳しい状況に置かれている。これは,景気循環のような循環的な問題ではなく,先進国で共通する構造的な問題だといえる。

 スキルの面では,AIやロボットなどの新技術の導入により,高卒や大卒が該当する中スキルから高スキルの職が減りつつある。低スキルの人々はロボットで代替する方がコスト高になるため一定の需要が残り続け,情報技術など特殊な技術を持つ超高スキルへの需要は非常に高い。

 金融緩和で景気が下支えされて雇用が生まれても,増えるのは低スキルと超高スキルの雇用であり,中スキルと高スキルはあまり増加しない。低スキルはコストが低いことが需要を生んでいるため,最低賃金近辺から賃金は上昇しない。中スキルから高スキルは需給バランスが供給に傾いているため賃金は上昇しづらく,超高スキル労働者は需給バランスが需要に傾いているため賃金が上昇する。

中央銀行の存在意義は

 金融緩和による金利の低下は,一部の中間層,上位層,最上位層に恩恵をもたらすが,下位層や最下位層には恩恵がない。景気の下支えは,低スキルと超高スキルの雇用を増やし,超高スキルの賃金を上昇させる。低スキル労働者には需要はあるが賃金は上昇せず,中スキルから高スキル層には恩恵がない。

 低スキル層は所得の最下位層から下位層,中スキルから高スキルは中間層から上位層に該当する。ここでは簡略化のために超高スキルは最上位層だとしておくと,景気下支えは雇用の面で最下位層,下位層,最上位層に,賃金の面では最上位層に恩恵をもたらし,中間層と上位層には恩恵がない。

 これらをまとめると,金利低下と景気下支えの両面から恩恵を受ける最上位層と,いくらか恩恵を受けるその他の層に分かれることになる。

 中央銀行は物価上昇を放置しようとしているが,インフレは実質的な購買力を低下させ,生活は苦しくなる。賃金が上昇する最上位層は生活水準を落とさずに済むが,他の層には対抗手段がない。また,上位層や最上位層は資産を増やすことでもインフレに対抗できる。

 金融政策の目的が市民生活の安定であれば,実質的な購買力の低下を防ぐインフレ抑制に専念すべきである。資産価格の上昇は中央銀行関係者にとって心地の良いニュースかもしれないが,人口の大部分には恩恵がない。各国の中央銀行は,自分たちが何のために存在しているのか,再考すべきであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2156.html)

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