世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2080
世界経済評論IMPACT No.2080

中国のコーポレート・ガバナンスとその国際的限界

安室憲一

(兵庫県立大学・大阪商業大学 名誉教授)

2021.03.15

 筆者は1990年代の10年間,中華人民共和国(以下,中国)のコーポレート・ガバナンスおよび日系企業の労務管理の実態を毎年調査してきた。日中会談の主要メンバーは,日本側主催者が(財)関西生産性本部,参加者は大企業の経営者,連合大阪の幹部並びに各社の労働組合のリーダー,日中貿易センター,中国駐在の日本人管理者(現地参加),研究者(安室)の産労学チーム。中国側は日系合弁企業の中国人経営者,国有企業経営者,工会(中国側の労働組合)幹部,地方政府の要人だった。知りたかったことは,現地の経営実態,とりわけ日系企業の労使関係の現状だった。日本企業の中国進出に伴い,1980年代末から90年代にかけ,労使紛争が頻発していた。我々の狙いは現地側の要望を聴き,日系合弁で発生する労使紛争の解決方法を探ることであった(注1)。

 この調査の過程で,非常に興味深いことがわかった。中国企業のコーポレート・ガバナンスが民主主義国のそれとは著しく異なることである。今から考えればあたり前のことだが,日系企業の労使関係は日本人派遣管理者と工会幹部が直接交渉するものではなかった。工会の上には企業内の共産党委員会があり,そこから指令が出ていた。その企業内の党委員会のメンバーは中国側の経営幹部で構成されるのが常だった。つまり,中国側の副社長や専務はみな共産党員だったわけである。しかも彼らは労使関係の状況を定期的に地域の党本部に報告していた。中国共産党は労働者のストライキ(山猫スト)を恐れていた。労働者の監視には企業内に党組織を作ることが不可欠だった。1990年代の10年は中国式ガバナンスが確立する過程だったのである。

 つまり,外資側から眺めると,合弁企業の経営は「市場経済システム」に見えるが,じつは裏側に「社会主義制度」が張り付いている。他方,中国側から見ると「社会主義制度」が目の前に存在していて,その向こう側に「市場経済」が薄っすら見える。要するに外国人派遣社員は「お客さん」であり,資本と技術の提供者に過ぎない。経営の実権は中国共産党が握る。これが鄧小平氏の発明した「社会主義市場経済」の仕組みだった。つまり,我々が見せられていたのは「市場経済」という表面であり,裏側の「社会主義」はなるべく目立たないように作られていた。この「市場と社会主義」を巧みに取り纏めていたのが,中国側の経営者や管理者だったのである。3年ほどの任期で帰国する日本人駐在員では,この中国式ガバナンスの真髄は見通せなかったろう。たとえ見抜いたとしても日本本社で公言することはなかったに違いない。その証拠に,私がかつて日本本社の経営陣に「あっ,この中国人経営者は共産党員。このひともあのひとも……」と指摘すると,彼らの顔色が変わった。日本側は何も知らなかったのである。

 このような特殊なガバナンス(共産党支配の貫徹)が有効なのは中国の国内に限られている,はずだった。その後,中国経済が爆発的に成長し,中国社会・企業の国際化が始まると状況が変わってきた。このガバナンスの仕組みを海外に敷衍しはじめたのである。

 中国には「自治」の概念はない。民主主義国の企業なら,海外に出たらその国の政治的・経済的および社会的環境に適応して自らの経営スタイルを主体的に改革する。日本的経営は試行錯誤しつつも東南アジア,欧米,中南米,アフリカなどの社会・経済に順応した。それは企業の経営に「自治権」があったからである。ところがこの「自治権」が中国企業には許されていない。コーポレート・ガバナンスは中国共産党の政治システムの中に封印されている。中国の企業経営者にはこの体制を改変する権限はない。したがって,どこの国に進出しようが原則として中国式コーポレート・ガバナンスを実行しなければならない。

 中国の意思が通りやすい発展途上国では,経営幹部は中国人労働者を大量に連れて行く。労働者の賃金は人民元で本国の銀行に振り込まれ,現地では生活に必要な分の通貨しか手渡されない。したがって,現地の人々と交わることもなく,固まって暮らすことになる。企業内党組織としても,そのほうが管理しやすい。他方,欧米や日本のような先進国に進出する場合は大量に中国人労働者を連れていけない。送り込めるのは,中国人経営者,管理者,技術者などであろう。これらの人々の多くが共産党員である。彼らのガバナンスを監視・監督するためには外部に共産党組織を設ける必要があるが,その役割を担うのが在外公館,とくに総領事館であろう。中国の在外公館は276箇所で,米国の273箇所を上回っている。大使館は主に外交を司るが,領事館は経済関係に大きな役割を果たしている。総領事館と領事館の数を比べると,中国は96,米国は88である。在外公館に勤務する本国人の人数を示したデータが手元にないので確かなことは言えないが,中国の総領事や領事館に勤務する中国人は驚くほど多いに違いない。つまり,外地にある中国企業のガバナンスを目的とした職員(共産党員)が多数含まれていると推察される。

 中国共産党の組織は「政治システム」である。外国の政治システムが,受け入れ国の承認もなしに社会に埋設されるとしたら受入国にとって脅威となりうる。中国企業が国営・民営を問わず(中国の法律によって)中国式ガバナンスに従うとしたら,我々はグローバリゼーション(自由体制)のあり方を根本から考え直さなければならないだろう。

[注]
  • (1)調査結果は関西生産性本部から毎年刊行されていたが,10年間の調査を纏めて書物として出版している。安室憲一・(財)関西生産性本部・日中経済貿易センター・連合大阪編「中国の労使関係と現地経営」白桃書房(1999)。安室憲一著「中国企業の競争力」日本経済新聞社(2003)参照。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2080.html)

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