世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1968
世界経済評論IMPACT No.1968

RCEPの意義とは何か

石川幸一

(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2020.12.07

 8年越しの交渉を続けてきた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)は,2020年11月15日にインドを除く15カ国の首脳により署名された。RCEPの署名は保護主義の拡大と国際ルール無視が懸念されるなかで,アジア主要国・地域が自由でルールに基づく通商秩序を維持する意思をRCEPにより示したことが評価される一方で,関税撤廃率がTPPに比べ低くルールも緩いことが批判されている(注1)。RCEPには,カンボジア,ラオス,ミャンマーというASEANの後発加盟国が参加しているため,交渉の基本原則でもこうした国への特別待遇と柔軟性があげられていた。TPPに比べて緩い内容は,RCEPの特徴の一つである「包摂性(inclusiveness)」の現れであり,ASEANがその経済統合で実現してきたように段階的に改善することが現実的である。

成長地域「東アジア」の初めての経済統合

 RCEPのもっと大きな意義は東アジアの主要国が参加した初めての広域(region-wide)FTAであることだ。インドは参加しなかったが,日本,韓国,中国,ASEAN10か国,豪州,ニュージーランドという経済および政治で大きな影響力をもつ東アジアの主要国・地域が参加している。まず,東アジアがどのような地域なのかを確認してみよう。

 東アジアはいうまでもなく世界の成長地域である。1997~98年のアジア通貨経済危機,2008年の世界金融危機で打撃を受けたが,成長率は低下してきているものの安定した経済成長が持続している。クズネッツは,「世界には先進国,途上国,日本,アルゼンチンという4種類の国がある」と述べた。日本は途上国から先進国に発展した国,アルゼンチンは先進国から途上国に後退した国を意味している。今は,日本を東アジアに置き換えるのが妥当である。東アジアは世界の中で西欧と北米以外で唯一近代経済成長を実現した地域なのである(注2)。東アジアは今後も着実な経済成長を持続し,2050年には世界経済に占めるシェアが50%を超える可能性があるなど21世紀前半の世界経済を主導することは確実だろう。

 次に東アジアはICT製品では世界の9割を生産し,自動車でも5割を生産するなど世界の工場というべき製造業の世界的な生産基地である。東アジアには多国籍企業を中心とした生産ネットワークが形成されている。消費面では,所得レベルが上昇し,都市化が進み中間層が増加するなど世界の最も有望な新興消費市場として成長するとみなされている。

 つまり,世界で最も発展が期待できる有望な地域である東アジアの初めての広域経済統合がRCEPである。これがRCEPの最大の意義である。そして,東アジアの経済成長はRCEPによる貿易,投資の増加により加速する。インドが復帰すれば,RCEPは2050年には世界のGDPの5割をカバーする経済統合となるだろう。日本ではTPPと比べRCEPを軽視する風潮があるが,日本にとってRCEPはTPPに劣らず重要である。

 RCEPには,ほかにも様々な意義がある。企業のビジネス支援の観点では,貿易と投資の障壁を削減・撤廃し,貿易と投資の円滑化を進めることにより,企業のサプライチェーン構築を支援する効果もある。この点では,累積原産地規則の効果に期待できる。また,自由化内容や規則(とくに原産地規則)が異なる2国間協定が増加し,企業のFTA利用手続きが煩雑になりコストが増加する「スパゲッティボウル現象」がRCEPにより緩和することが期待できる。

 アジアではASEANと主要国・地域(日中韓印豪ニュージーランド)の間に5つのASEAN+1FTAが締結されていたが,日中,日韓,中印,中豪などの間にはFTAが欠落していた(注3)。RCEPにより日中,日韓FTAが出来たことになる。日中,日韓のFTAを2国間で交渉することは現状では無理であり,その点でもRCEPの意義は大きい。東アジア主要国で中国とFTAを結んでいなかった国は,日本とインドのみであり,日本企業にとり対中市場アクセスでの不利が解消できる。

RCEPは中国主導か

 RCEPは中国が主導したFTAという見方が多い。中国のプレゼンスの大きさからこうした誤解が生まれたと思われるが,RCEPはASEAN中心性を体現したFTAである。ASEANが中心となる東アジアの協力枠組みが機能しなければRCEP交渉は不可能だったであろう。東アジアの地域協力は,アジア通貨危機が起きた1997年のASEAN首脳会議に日中韓の首脳が招待されたことから開始されており,ASEANが中心となり主導する枠組みが最初から創られていたのである(注4)。また,中国が中心となる枠組みでは日本,インド,ASEANの主要国が反発したであろうし,日本が中心となる枠組みでは韓国が反対すると思われる。また,ASEANは自由貿易地域(AFTA)を実現し,経済共同体(AEC2015)を創設しており,RCEP参加国全てとFTAを結んでいる経済統合ではアジアで最も進んだ地域であることも重要である。

 RCEPでは,中国の存在感や影響力が高まることが懸念されている。中国は巨大な経済力や軍事力を背景に影響力を行使できる2国間交渉を選好するが,通商分野ではRCEP参加国はRCEPの枠組みで交渉が可能となる。緩いタガであるが,中国にタガをはめたといえよう。中国の影響力をけん制するためには,今後もASEAN中心性を支持し推進していくとともにTPP11に参加している豪州やベトナムなどと連携していくことが重要である。また,当面は無理であろうが,インドの復帰を促すことも必要である。

TPP復帰が米国の喫緊の課題

 CPTPP(TPP11)が締結,発効し,RCEPが締結されたことにより,TPPから離脱した米国はアジアの経済連携から除外された状態になっている。韓国,豪州,シンガポール,日本などと2国間協定は結んでいるが,アジア全体をカバーする経済連携に参加できないことは米国企業に極めて不利であり,サプライチェーンから米国企業が除外される可能性が大きい。マハティール首相が1990年に東アジア経済協議体(EAEC)構想を発表した時には,米国のベーカー国務長官は「太平洋を分断する」として強く反対をした。しかし,トランプ政権はTPP離脱により自ら太平洋を分断してしまったのである。米国がTPPに参加した目的は,成長市場であるアジアで米国企業が排除されないようにすることとルール作りに米国が関与することだった。TPP離脱はトランプ政権の重大な戦略的な過ちだった。米国企業の不利益の是正にはTPPへの復帰が不可欠である。

 RCEPの魅力は近い将来に人口で中国を抜き,経済規模でも将来的に日本を凌駕するインドの参加である。世界最大の民主主義国であるインドの参加は中国とのバランスを維持するうえでも重要である。国内での反対からインドのRCEP復帰は当面は難しいため,インドとの関係の強化は「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」により進めることが期待される。TPP11,RCEPそしてFOIPに参加しているのは日本のみであり,日本のイニシアティブが重要となる。

 岡倉天心は,ヒマラヤ山脈は中国文明とインド文明という2つの強大な文明を分かっていると書いた(注5)。インドが復帰すれば,中国文明とインド文明,そしてこの2つの文明の影響を受けながら独自の文化を発展させた北東アジアと東南アジアの国々が参加する大経済圏が創られることになる。RCEPの文明史的な意義はこの点にあるといえよう。

[注]
  • (1)TPPの関税撤廃率は日本の95%を除くと100%あるいは99%だったが,RCEPの関税撤廃率は平均で91.5%だった。RCEPには,TPPで規定されていた国有企業への非商業的援助の禁止,電子商取引におけるソースコード開示要求の禁止,環境,労働などは含まれていない。ISDS(投資家対国家の紛争解決)は発効後協議を行う。
  • (2)近代経済成長については,高坂章『グローバル経済統合と地域集積』日本経済新聞社,2020年,が示唆に富む。
  • (3)ASEANと香港のFTAが2020年に発効している。香港はRCEP参加の候補である。
  • (4)ASEAN中心性については,石川幸一「ASEAN中心性とASEANのインド太平洋構想」,『創設50周年を迎えたASEANの課題と展望』,アジア研究所・アジア研究シリーズ,No.101,亜細亜大学アジア研究所,2020年。
  • (5)岡倉天心「東洋の理想」,岡倉天心コレクション『茶の本,日本の目覚め,東洋の理想』ちくま文芸文庫,2012年。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1968.html)

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