世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1739
世界経済評論IMPACT No.1739

世界は一体的に遷移する

末永 茂

(エコノミスト  )

2020.05.11

 中国の食糧生産・消費動向は大きく変動し,2004年以降,食糧輸入は趨勢的に増大している。そして,世界の食糧基地として刮目されているのが,アフリカ大陸やアマゾンの未開地である。この地域は最後のフロンティアともいわれているが,予期せぬ問題が発生しないという保障はない。「核の冬」には賛否の議論があるが,事態が発生してからでは殆ど手の打ちようがないのと事情は似ている。世界は一体的に遷移するが,それはいつの時代も錯綜している。善か悪か,光か影か,敵か味方か,革新か保守か等々,形式論理構造では対立概念であるが,弁証法的にはこれらはいずれ統合される論理なのである。

 さて,過去の歴史から学ぶべきことは多い。医師である後藤新平は日清戦争直後のコレラ対策(帰還兵の免疫業務)を任され,大きな功績を上げた。時の政府はこれを契機に公衆衛生の意義を認識し,後藤はその後,行政官-政治家の道を歩むことになる。その時の哲学は我が国にも多大な影響をもたらしたH.スペンサー流の「社会の生物学的原則」であり,近代西欧世界による文明化作用論である。これが20世紀的植民政策の性格を規定するものとなった。後藤の志向は重商主義時代の,つまりラス・カサスが記録したような植民政策とは全く異なったものである。

 20世紀に入るとドイツの企業家であり,後に外務大臣にもなったヴァルター・ラーテナウの社会システム理論が広まった。彼は第1次世界大戦中に計画経済の原型を策定し,レーニンからも来るべき社会のモデルになり得るものとして評価されている。ラーテナウは当時の社会を「世界の機械化」というタームで表現する一方で,失われつつある古き良きヨーロッパ精神を回顧し,新しい階級論とゲルマン主義的人種論も提起している。これが文芸批評としての『時代批判』(1912年)であるが,この複層的な文明論が20世紀前半に大きな影響を与えた。彼はシュペングラー『西洋の没落』と精神を共有しているが,それに留まることなく経済システムの具体的策定に着手している点が,他のイデオローグを凌駕している。ただ,取り返しがつかない悲劇は道半ばで1922年に極右テロリストに暗殺されたことであるが,一滴の水源はその後,大河となって行く。

 社会主義経済の不合理性は計画経済システムそのものにあるが,ラーテナウの提起したものは,ハイエクとランゲ論争に見られる「等量価値」の規定にある。これはフィッシャー(統計的決定論)とネイマン(統計的推測論)の統計学論争にも通ずるものである。中央政府による政策判断と,現場での齟齬を如何に調整するのか。人間は機械ではない。機械のように動かない部分を,政治がコントロールしなければならなくなり,結果として強権的国家に変質していく。ここに最大の問題がある。短期なら国民は我慢もできるが,長期に及べば愛想が尽きる。

 両大戦間期の世界にあって,我が国の水利技術者・八田與一は1920−30年に台湾・嘉南平野への灌漑施設のため,東洋一といわれた烏山頭ダムを建造し,その功績は今でも現地の人々から高く評価されている。また,世界恐慌-大不況から脱出するため,高橋是清は「時局匡救事業」として愛知県瀬戸市に山口川洪水調整ダム(1932−33年)を建設し,失業対策を行った。1933年から始まるTVA計画・ニューディール政策は,これとほぼ同じ発想に基づいたものである。ケインズの『一般理論』はこれらの理論的体系化である。この時期,世界的に注目された政府主導の公共事業政策は,ソ連第1次5ケ年計画(1928−32年)の先駆的政策と八田らの一連の業績から策定されたものである。ここで指摘したいことは,我が国の貢献を確認しつつも景気対策としての政府の役割,公共事業の策定がどこの国や誰の発案が最も早かったのか,という書誌学的証明ではない。紆余曲折がありながらもほぼ同時期,同時代人としての認識から立案されたという確認である。ルーズベルト大統領の登場によって,1930年代の政治状況が保守と革新が逆転したといわれるが,この指摘の普遍性が重要なのである。

 かつて国際開発の在り方を考える際,避けて通れない問題があるのではないかと,満鉄調査部に席を置いていた教授から,一献傾けながら当時の話を伺うのが大変楽しみであった。教授によると,同僚に中国東北部の毎年の作況(指数)調査のために満州鉄道に乗り込み,車窓から肉眼のみで的確に判断できる農林技官が何人かいたとのことであった。その精度には感服するものがあったようだ。確かに畦畔を歩いてその水田一枚の収量を推定することは,相当の熟練を要する。実地の農林統計調査に加わった経験があるが,一歩水田の中に足を踏み入れると,稲の生育状況にはかなりのバラツキがある。生育状況と耕作地は驚く程ランダムなのである。にもかかわらず,満鉄調査員が地域全体の収量を判断できるというのであるから,正に神業という他はない。現在はGPS技術関連で地表資源の状況を,かなりの精度で判断できるようになっている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1739.html)

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