世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1483

平和主義としての孫子の兵法

末永 茂

(エコノミスト  )

2019.09.16

 アインシュタインとフロイトの意見交換を収録した『ひとはなぜ戦争をするのか』という小冊子がある。1932年に交わされた往復書簡形式の戦争と平和論である。人類史は紛争の歴史であり,そこから解放されないのはなぜかと,アインシュタインはフロイトに問いかけている。両者とも深層の心理構造に戦争の要因を見出し,避けがたい命運を時代状況として捉えているようである。争いを起こさない生物は殆ど存在しないのだろうから,社会体制としてそれを如何に封じ込めるか。人類の英知が試されていることは誰しも認識している。戦史家のモーゲンソーはナショナリズムよりも,国際主義が極めて脆弱であると主張している。ヘイトスピーチや分断を煽ると,ユーゴスラヴィアのように一瞬にして統一国家は分解してしまう。暴力は暴力を助長し留まる所を知らない。この間の香港デモも,一日も早い政治的解決が待たれる。香港経済は経済構造の実態からして,上海並みになっており一国二制度の終焉を迎えなければならない時期に入っているのではないか。引きこもり問題でカウンセラー不足を論じている我が国よりも,エネルギーに満ちた中国の若年層の方が活力があり魅力的であるが,街頭ではなくもっと他の場所に発露を見出してもらいたいものである。もっとも,こうした忠告は我が国に脅威になるとは思うが,世界の難題は山積している。

 いよいよ憲法を改正しようと,政府自民党が言いだしていることも肯ける。第9条を改正し自衛隊の存在を明文化したいようである。そのためには「国民投票」で過半数の賛成を得なければならないが,イギリスの国民投票の一連の動きのようになっては逆効果である。「選挙民主主義」の厄介な,そして根源的問題である。自衛隊を国防軍として位置づけ軍事的強化を図ることが,周辺アジアの動向から避けられないと考えるのは自然な流れである。石油エネルギー確保や中東情勢を踏まえても,それは必要であろう。だが一方で,自衛隊施設内と米軍基地内の空気の張りつめ方が全く異なる。甲子園の高校野球とオリンピック競技の迫力の相違と通ずるところがある。単に憲法の条文を改正するばかりでは魂は入らないように思う。軍備拡充のためにはその哲学やシステム構築,文官と武官の適正な配置・バランスが課題になる。

 孫子の兵法は兵法であるが,その極意は「戦わずして勝つ」とういう所にある。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉もだれもが知っている。2500年以上も前の書物が,今なお読み継がれているのはそれなりの根拠がある。一旦,紛争が始まればそこでは物理法則に従わざるを得なくなるが,それをゲーム理論というのであればそうである。部分解答で全体を構成しなければならなくなる。しかしその背景にある歴史的制約はより重要である。社会科学の存立基盤もそこにある。シンプル過ぎる論理はそれが余りにも自明であるかのような印象を与え,むしろ危険である。地理学的に大陸の離島のような我が国の存在は,大陸国家の動向を無視しえない。中国の政治と歴史哲学への理解が求められるのもそのためである。

 近代の世界史において中国が欧米列強に圧されるようになったのは,国内のあらゆる分野の意思決定が余りにも政治偏重主義だったからである。定式化や制度の硬直化,重い制度が桎梏になった歴史事例である。中国史の政治的過ぎる判断を下してきたのは,宦官や官僚であるが,現代風に翻訳すれば,彼らは一種のテクノクラートと言える。テクノクラート先行のリスクは常に存在している。判断の基準が明瞭でありシンプル過ぎ,不確定要素(繰り返されない事象)を排除するからである。自然科学は「実験・観察によるデーターの収集」から「一般的理論化」,そして「数学的モデル化」を経て証明される。という経路を螺旋的に繰り返すことになっている。もちろん数学的に証明されても現実の自然界に存在しなければ,物理学的には全く意味のないことになるが,数学を援用して自然哲学から物理学に転換したことは近代西欧の歴史的勝利であった。この偉大なる業績が社会科学に単純に持ち込まれると,理論モデルや政策志向の妥当性がどのようなものなのかが見えなくなる。権威筋の論理を引用することによって,証明に代えるということももちろん妥当ではない。

 実証分析を欠落させたモデル分析から実際の政策提言をすることは,「ある望ましい姿」や「最適解」を想定するものであり,そのものに疑問が残る。何をもってこれを公理的に引き合いにするのかが,承認できないからである。導き出される結論は何れも常識的,素人判断的提言に帰結しており,あえて「高度」な論理式も不要である。「あるべき姿」からはみ出したものは,全て「異常」とする社会観でも救いがない。AI化の加速度的な発展やビッグデータの厖大な集積は,カール・ポパーの反証主義やヴィトゲンシュタインの論理実証主義・記号論理学の有効性を我々に回顧させてくれる。だが,現実の世界は論理の無視や飛躍が常に付き纏っており,完全な論理展開などこの世に存在しない。事態の調整と修正のみが残されている。非暴力の交渉を香港人民に期待したい。そして,デモに明け暮れる韓国には歴史の清算を望みたい。

関連記事

末永 茂

国際政治

最新のコラム