世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1266
世界経済評論IMPACT No.1266

二つのイノベーションに挟み撃ちされた日本企業

橘川武郎

(東京理科大学大学院経営学研究科 教授)

2019.01.28

 1990年代初頭のバブル経済崩壊を機に始まった日本経済の低迷は,予想を超えて大幅に長期化した。当初,「失われた10年」と呼ばれたものが,いつの間にか「失われた20年」となり,最近では「失われた30年」という言葉も耳にするようになった。

 ここでは,日本経済と日本企業の苦境について,イノベーションという切り口から検討してみよう。90年代以降,日本企業は,二つのイノベーションに挟み撃ちされたと言える。

 一つ目は,ICT(情報通信技術)革命にともなうブレークスルー・イノベーションである。日本的経営が有効に機能していたころの日本企業は,ブレークスルー・イノベーションとは対照的なインクリメンタル・イノベーション(累積的,連続的なイノベーション)を得意としていた。その際日本企業が採用したのは,先発企業が開発した製品に改善を加え,最終的にはより大きな市場シェアを確保する「後発優位」の戦略であった。しかし,ICT革命は,ブレークスルー・イノベーションを実現した先発企業が圧倒的な市場シェアを一挙に獲得してしまう,「先発優位」の時代を到来させた。インクリメンタル・イノベーションを得意とする日本企業は,ブレークスルー・イノベーションの担い手となった先発企業に対して,競争劣位に立たされることになったのである。

 二つ目は,クレイトン・クリステンセンが1997年に刊行した名著The Innovator’s Dilemma(Harvard Business School Press,邦題『イノベーションのジレンマ』)の中で提唱した「破壊的イノベーション」である。破壊的イノベーションとは,既存製品の持続的改善につとめるインクリメンタル・イノベーションに対して,既存製品の価値を破壊してまったく新しい価値を生み出すイノベーションのことである。インクリメンタル・イノベーションによって持続的な品質改善が進む既存製品の市場において,低価格な新商品が登場することが間々ある。それらの新製品は低価格ではあるが,あまりにも低品質であるため,当初は当該市場で見向きもされない。しかし,まれにそのような新商品の品質改善が進み,市場のボリュームゾーンが求める最低限のニーズに合致するにいたることがある。その場合でも,既存製品の方が品質は高いが,価格も高い。それでも,新製品がボリュームゾーンの最低限のニーズにまで合致するようになると,価格競争力が威力を発揮して,新製品が急速に大きな市場シェアを獲得する。一方,既存製品は,逆に壊滅的な打撃を受ける。これが,クリステンセンの言う破壊的イノベーションのメカニズムである。「付加価値製品の急速なコモディティ化(価格破壊)」,「日本製品のガラパゴス化」などの最近よく耳にする現象は,この破壊的イノベーションと深くかかわり合っている。

 ここで取り上げたブレークスルー・イノベーションの発生源の多くは,シリコンバレーを含むアメリカ西海岸に位置する。一方,破壊的イノベーションの担い手は,韓国・台湾・中国等の企業であることが,しばしばである。日本企業は,先進国発のブレークスルー・イノベーションと後発国発の破壊的イノベーションとの挟撃にあって苦戦を強いられているというのが,2018年時点での実相なのである。

 日本企業には,二つのイノベーションに正面から対峙する,「二正面作戦」を展開することが求められている。

 日本企業は,先進国発のブレークスルー・イノベーションに対しても,後発国発の破壊的イノベーションに対しても,正面から対峙しなければならない。そして,的確な成長戦略を採用し,拡大するローエンド市場と収益性の高いハイエンド市場を同時に攻略する「2正面作戦」を展開することが求められる。

 2正面作戦を展開するうえで,日本が東アジアの一角を占めることは,きわめて有利な条件となる。東アジアは,(a)ローエンド市場を中心とした市場規模の拡大,および(b)ハイエンド市場向け開発拠点・生産拠点としての存在感の増大,という両面から,日本企業の成長戦略に貢献しうる。日本・韓国・中国・台湾間の地理的距離が短いことは,人的資源など諸経営資源の移動コストを低下させ,各国・地域への最適立地に立脚したサプライチェーン全体の競争力強化を可能にする。この条件を的確に活用すれば,日本企業は,東アジア経済の浮揚力を活かして,再び成長軌道に乗ることができる。二つのイノベーションに直撃された日本企業は,東アジアに事業基盤をおくという「地の利」を活かして,2正面作戦を遂行してゆかねばならない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1266.html)

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