世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1132
世界経済評論IMPACT No.1132

イノベーションの停滞

三輪晴治

(エアノス・ジャパン 代表取締役社長)

2018.08.20

資本主義経済とイノベーション

 21世紀に入り世界の資本主義経済は停滞してきている。グローバル化の波の中で,国の間の格差が拡大し,一部エリート・富裕層と国民大衆との所得格差が悪化してきている。このために世界各地で紛争,小競り合い,テロ,難民問題が起こっている。この原因は,1980年頃から世界的にイノベーションが停滞してきていることによるものである。そのためか各国はまたイノベーションの重要性をいろいろの形で強調している。再びイノベーションの神様であるシュンペーターの名前があちこちでてくる。トランプでさえもイノベーションを目的とする「サイエンス・アドバイザー・ボード」「テクノロジー・アドバイザリー・ボード」を持っているという。最近日本でも,政府も大学も,そして企業も「イノベーション」という言葉をやたらと使い,いろいろの組織を作っているが一向に効果は上がらない。このイノベーションの停滞をどう克服するかである。「イノベーション」というお念仏を唱えるだけでは何も起こらない。

 第二次大戦以後,世界は,東西冷戦の状態ではあるがイノベーションで競い合い,1940年から1980年の「アメリカ資本主義経済の黄金時代」を築いた。1957年10月のソ連のスプ―トニック1号に刺激され,更に1962年のケネディ大統領の「月に人間を送るとの宣言」で,世界でイノベーションに火が付き,新しい産業が続々と創造され,経済は発展し,国民も豊かになった。造船産業,航空機産業,精密機械産業,化学石油産業,高分子化学産業,半導体産業,コンピュータ産業,通信産業などが生まれた。こうして,国民大衆の所得と消費で資本主義の発展が展開する仕組みが出来上がった。そこでは国立研究所も拡大され,企業も続々と中央研究所を造り,イノベーションを進めた。

アメリカ黄金時代の仕組みの破壊活動

 しかしアメリカで1971年あたりから異変が起こった。アメリカのあるグループが,利益を労働者大衆にではなく,資本側に集中させよという「檄」を飛ばし,扇動した。「パウエル・メモランダム」である。これを実行したのは1981年に大統領になったレーガン大統領である。それによりアメリカ社会の拮抗力はなくなり,企業は短期志向になり,リストラで短期的利益の追求に走った。コストを下げ利益を上げるために,工場を海外に移し,アメリカの職場をどんどんなくしていった。当然所得格差が1981年から急激に悪化し,大衆は貧困化したが,商品を買えない大衆には金を貸し付けて物を買わせ,「負債経済」に転落させた。企業はイノベーションを興さなくても,こうして利益を上げられた。同時に黄金時代により成長し,巨大化した産業は,寡占・独占で儲けることを覚えて,イノベーションには手を出さなくなった。従って中央研究所もどんどん閉鎖され,縮小され,長期的な基礎研究や応用研究は大企業からも消えた。ベル研究所,パルアルト研究所,アロカ研究所などが姿を消した。

 日本も1960年ころからアメリカの真似をしてどんどん中央研究所を造ったが,1985年ころから日本もまたアメリカの真似をして,リストラしやすい制度にし,非正規社員制度を造り,労働者の賃金をどんどん下げ,イノベーション無しで,企業は利益を上げていった。日本の企業も「中央研究所さようなら」として整理していった。日本の中央研究所の成果が上がらなかったこともあり,経営者は自分の任期の間に成果を上げることを考え,既存の商品の改良に専念した。

アメリカの新しい挑戦

 アメリカはそれでも1980年ころから西部のシリコンバレーの若者たちがイノベーションに再度挑戦した。半導体技術,コンピュータ技術をものにした新しい商品を開発したインテル,モトローラ,ゼロックス,アップル,デル,HP,クアルコム,それからグーグル,アマゾン,フェイスブックなどである。

 イノベーションによる新しい時代としてのIT化社会,デジタル化社会である。これで世界は大きく変わろうとしている。

 しかしこの新しい産業はこれまでの産業のようには労働者の職場を創造しなくなった。逆にデジタル化,AI化は,既存の産業からもどんどん人間の職場を消し始めている。グーグルの雇用数は2万人,フェイスブックは1,700人,ツイッターは300人,アップルも1万5000人程度である(2010年現在)。しかもデジタル化は所得格差をさらに拡大しつつある。これをグローバル化が更にその格差を悪化してきている。1947年から1972年までの平均実質賃金の伸びは年率2.5から3%であった。しかし1970年に入ってからは,実質賃金は伸び悩み,年平均1%未満にとどまる。1970年には,中間所得世帯がアメリカの総所得の62%を得ていた。しかし2014年には43%にまで低下した。1981年の上位1%の収入は下位50%の27倍だったが,2016年には81倍にまで膨らんだ。トップ1%の高収入を得る者と,残りの99%のその他の格差の問題である。こうした格差がイノベーションを衰退させたとも言える。

 新しいデジタル化は社会にまだいろいろの不都合をもたらそうとしている。インターネット,ウエッブ,SNSは大衆の意識をも操作してしまう可能性があるのだ。今日の人間社会にはまだ問題が多くある。通信コミュニケーションシステム,環境問題,気候変動問題,貧困問題,エネルギー問題,食料・農業問題,医療問題などを解決する方向と手段を見つけ,新しい経済活動の制御システム,国際通商新ルール,あるいはより良い政治システムを創造しなければならない。チャレンジすべき課題は山積している。それをイノベーションで解決しなければならないし,イノベーションを興すチャンスでもある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1132.html)

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