世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.956

大学授業料の出世払いは良いアイディアか

熊倉正修

(明治学院大学国際学部 教授)

2017.11.27

 高等教育費用の「出世払い」のアイディアが話題になっている。これはオーストラリアなどの制度を参考にして与党や政府が検討しているもので,大学等の入学金と授業料をいったん政府が負担し,卒業後に所得が一定水準に達した人にのみ返済を求めるという制度である。

 この案は斬新に聞こえるかも知れないが,要するに返済免除条項つきの奨学金である。また,政府(か他の公的機関)がそれに関与することが想定されているため,一種の社会保険だと考えることもできる。

 この種の社会保険には多くの先例がある。たとえば信用保証協会による中小企業向けの融資保証制度や,住宅金融支援機構による住宅ローンの証券化や保険制度がそれに該当する。しかし以下の理由により,こうした社会保険制度はうまく機能しないことが多い。

 第一に,社会保険は政治的な力学によって単なる補助金に堕しがちである。医療や介護などの社会保障も含めて,日本政府は社会保険制度が大好きである。その理由は,人目につきやすくただちに原資が必要となる補助金に比べると,社会保険では受益者と費用負担者の関係が曖昧な上に,政府が国債を発行することによって最終的に国民が負う負担をいくらでも先送りできるからである。

 現時点で,信用保証協会の保証残高と住宅金融保険機構の証券化・融資保険残高はいずれも20兆円強である。仮に国立大学の入学金と四年間の授業料に相当する250万円をすべての大学生に奨学金として支給し,卒業後に20年間かけて返済してもらう場合,さらに10兆円程度の債権が恒常的に公的部門の中に滞留することになる。

 しかし日本の財政はすでにきわめて危険な状態にある。不況期にはただでさえ税収の落ち込みや景気対策によって財政状況が悪化しやすい。それに企業金融や住宅ローンの肩代わりや過去の学費の免除が重なると,政府の財政状況がとめどなく悪化する可能性がある。事実,リーマン・ショック後の数年間は信用保証協会の代理弁済だけで毎年1兆円以上に上っていた。

 もちろん,出世払い方式の奨学金がどれだけの社会的費用を生むかは返済免除の条件しだいである。現状では日本学生支援機構(文部科学省所管の独立行政法人,略称JASSO)が大学生向け奨学金の主たる支給主体である。JASSOの奨学金の大半は貸与型だが,利率が非常に低く,所得を勘案した返済の減額・猶予制度も整っている。

 したがって出世払い方式への移行が新制度として意味を持つためには,すべての学生がそれを利用できるようにすることに加え,返済が免除される所得の水準を思い切って低く設定する必要がある。しかし現行のJASSOの奨学金においてすら相当の滞納が発生していることを考えると,その場合の財政負担はきわめて大きくなるだろう。

 社会保険の第二の問題は,それがモラルハザードを惹き起こすことである。モラルハザードは民間保険においても発生するが,公的保険ではそれを軽減しようとする動機が働きにくいため,問題が深刻化しやすい。信用保証協会や住宅金融支援機構が融資を保証すれば,銀行は真剣に顧客のリスクを考量しなくなり,顧客も安易に融資を受けようとする。

 大学授業料の出世払いを求める人々は,それによって貧困家庭の子弟(子女)に進学の道が開かれることに加え,大学生が自分で学費を負担するようになることから,勉学への意欲が強まると主張する。しかし就学と支払いの間に長いタイムラグがあり,所得不足だと返済免除になることが事前に分かっている以上,そうした効果は期待しにくい。

 高等教育費用が高騰しているアメリカでは,ほとんどの大学生が奨学金や学生ローンを受けて就学している。アメリカの学生ローンは返済条件が厳しく,在学中から利払いが求められるケースもある。また,日本に比べると大卒とそれ以下の学歴の人の所得格差が大きいため,ローンを負って進学したのちに中退するときわめて困難な状況に追い込まれる。それにも関わらず中退したり何度も大学を変わってなかなか卒業できない人が後を絶たないのは,なまじ当面の学費の工面が容易であるが故に,よく考えずに進学する人が多いからだろう。

 確かに,両親の経済力によって大学に進学できるか否かが左右されるのは好ましいことでない。しかし少子化が進む日本では多くの大学が学生集めのために奨学金を拡充しており,とりわけ入学試験の成績が良好な学生に対しては多数の給付型奨学金を用意している(たとえばこれを参照)。しかしそうした奨学金の受給対象となる受験生のほとんどがより上位の大学に流れてしまうことから,予算を消化できないケースが多いようである。

 また,日本の大学生の多くはアルバイトに相当な時間を費やしている。過去40年間に大学の学費が相当高くなったとはいえ,私立大学でも文系なら一年間の(入学料をのぞく)授業料は100万円をやや上回る程度である。大学生の中にはそれに近い金額をアルバイトで稼いでいる人もいるが,そうした学生がみな自分で学費を支払っているわけではない。こうした学生は授業料が出世払いになってもアルバイトを止めないだろうが,彼らが就職に失敗すれば国民の税金でそれを肩代わりすることになる。

 最後に,公的保険はしばしば思わぬ副作用をもたらす。たとえば,現状でも多くの女性は税制や社会保障制度のメリットを享受するために労働時間を調整している。いわゆる「103(150)万円の壁」や「130万円の壁」である。授業料の返済が免除になる所得の水準をたとえば200万円に設定した場合,一部の大卒者にはさらに新しい「壁」ができることになる。

 さらに,最近は保育・介護分野の人手不足がきわめて深刻化している。これらの分野では資格を保有しながら就労しない人や他の仕事に従事している人が多いが,その一つの理由は給与水準が低いことである。こうした分野では上記の「壁」によって大卒者が労働時間を意図的に抑える効果はとくに強く働くだろう。その場合,高等教育の出世払いは政府が促進する女性の就労促進や社会保障サービスの拡充と真っ向から対立することになる。

 これらのことを考えると,今日の日本において大学教育の出世払いが最適な制度だとは考えにくい。それより,定員割れがつづく大学への助成金を減額するなどして大学間の競争と淘汰を促すと同時に,それによって浮いた予算の一部を給付型の奨学金の充実に回すほうが賢明ではないか。給付型奨学金を入試や入学後の成績に紐づけた競争的なものにし,そうした奨学金を受けて卒業した大学生を企業が積極的に採用すれば,高校生や大学生の学習意欲を高める効果も期待できる。少なくとも,一時的な人気取りのために与党や政府が巨大な時限爆弾のような社会保険制度をもう一つ作ろうとすることには厳しい眼が向けられてしかるべきだろう。

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