世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.910
世界経済評論IMPACT No.910

貿易と国際規格

梶浦雅己

(愛知学院大学 教授)

2017.09.11

 これまで,筆者は国際標準化が進行著しい産業分野であるICTについて,国際規格がどのような影響や効果を産業や企業に与えるのかを中心に述べてきた。なぜなら外形的にみてこうしたグローバルでハイエンドな産業分野の変化は大きくまた大胆に見えるからである。前回は産業分野を満遍なく見ていきたいと思いつき医薬産業を取り上げたが,今回は比較的ローカルでローエンドと言われる農林水産食料・食品,いわゆるフードセクターについてみてみたい。

 話を始める前に,マイケル・ポーターのやや古い所説を持ち出したい。

 Porter(1986)は,グローバル戦略を展開するうえで,産業特性を考慮する必要性を,価値連鎖と絡めて説いている。すなわち価値連鎖がグローバルに拡散しているのか,マルチ・ドメスティックなままなのかを重視している。その当時の典型事例として前者は,自動車やICTなどグローバル産業セクターであり,後者は地域特性が強い衣食住関係のマルチ・ドメスティック産業セクターである。筆者は今日では両者の違いはそれほどないような印象を持っているが,国際ビジネスとりわけFTAなど貿易政策協定では,いまだに交渉の過程で両者の扱いは依然として確かに大きいようである。自由貿易の観点から,阻害要因として関税障壁と非関税障壁があるが,とりわけ後者は具体的に何なのか,どの程度なのか,またそのエビデンスを提示することが難しいようである。

 一般に各国の法規制や規格がWTOの自由貿易協定すなわちTBTやSPSに反する場合は,非関税障壁と見做されるであろう。農水産食料・食品は安全・衛生の観点からWTO/SPSによって規定されている。フードセクターはSPSの下,HACCP(ハザード分析及び重要管理点)という認証規格によって適切な衛生健康保護水準(Appropriate Level of Protection:ALOP)を維持し,一定の食品の安全品質を担保することを要求されている。HACCPとは,食品の製造・加工工程のあらゆる段階で発生するおそれのある微生物汚染等の危害をあらかじめ分析し,その結果に基づいて,製造工程のどの段階でどのような対策を講じれば,一層安全な製品を得ることができるかという重要管理点を定め,これを連続的に監視することにより製品の安全を確保する衛生管理の手法である。この手法は国連のFAOと世界WHOの合同機関である食品規格(コーデックス)委員会から発表され,各国にその採用を推奨しており国際的に認められたものである(厚生省ホームページ)。

 今日グローバルなネットワークから外国の農水産食料・食品が当たり前のように供給されている。とりわけ食料・食品自給率の低い我が国においては,確かに輸入食品のリスクは大きいであろう。

 しかし果たしてこうしたWTO協定によって定められた規格は,WTOのお題目通り本当に自由貿易を促進する効果があるのかどうか,むしろ非関税障壁となってはいないのかという問題意識が予てよりある。Anders & Caswell(2009)の論文タイトル,“Standard as barrier versus standard as catalysis:Assessing the impact of HACCP implementation on US seafood import” はそのことを象徴している。

 具体的には次のような問題意識が挙げられる。

  • ① 全体として国際規格は自由貿易に正効果をもたらすのか
  • ② 効果は状況や条件によって異なるのか
  • ③ 例えば国家の経済発展状況やインフラ整備状況によって異なるのか
  • ④ 分析対象は国家単位でなく多国籍企業など経済主体を見るべきである
  • ⑤ RTAでは,締結条件によって効果は異なるのか

 定量分析による多くの報告があるが,上記に対して回答するには注意が必要である。調査研究のイロハであるが,まずもって経時的に捉えて見ていく点と対象範囲を明確に確定すべき点がある。そうしないと上記について正確な回答はできない。Anders & Caswell調査は1990年から2004年までをパネルデータ分析調査をしている。途上国にとっては規格への適応能力不足や費用負担の発生などによって貿易障壁となり,力のある先進国にとっては逆に触媒となる。ただし途上国の品質保証への投資拡大によって適応能力が上昇する場合には貿易障壁効果は解消する。さらに大規模輸入者にとっては同上の理由によって触媒となり,中小輸出者にとっては障壁となる。

 Mangelsdorf etal(2012)“Food standards and exports: evidence for China”は経時変化を捉え,中国の事例から,上記への回答を示している。1992年から2008年における7品目の農水産食料・食品の貿易が強制規格と任意規格によって正か負の影響効果を受けるかどうかを調査している。経時変化から規格の輸出貿易促進効果や潜在性を指摘し,とりわけ国内規格が国際規格に準拠していく場合の正への押し上げ効果やその大きさを明らかにしている。また強制規格は一般に大きな正効果を持つが,任意規格の与える影響は限定的であるとしている。こうした観点から途上国や新興国のSPSへの迅速なハーモナイゼーションが便益を生むとする。

 要約すれば,時間,経済,行為主体の条件によって,正か負の貿易効果は変化するというのが結論と言えよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article910.html)

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