世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.901

ドイツ帝国の復活Ⅱ

鶴岡秀志

(信州大学カーボン科学研究所 特任教授)

2017.08.28

 7月31日に掲載された拙著に対して,多々コメントをいただきましたことを御礼申し上げます。メルケル首相が花火を上げる政策・主張と現実との乖離に疑問に感じている方が多いことに,著者として変ですが,驚きを受けました。鹿毛秀彦氏の「メディアを育てる経済記事批評」にも取り上げられていますが,8月22日から連載の日経「イノベーションとルール」のドイツの先進性や同日付の日経ビジネス・ドイツ特集は,何が先進的なのか良く分からない記事でした。ナチス・ドイツを礼賛していた戦前の朝毎記事を見るようで気持ちが悪い気がします。今回は,筆者の専門分野であるナノ材料毒性評価にまつわる話を記したいと思います。

 ほぼ2年前に暴露されたフォルクスワーゲンの排ガス不正問題は,つい最近もメルセデスが不正を公表したことに見られるように,一向に収まる気配がない。米国当局の不正公表以来,今年になってから技術的解説がいくつもネットに投稿・掲載されている。要約すると,1)燃費を向上させて煤を減らすために窒素酸化物の排出に目をつぶった,2)謳い文句の高馬力では窒素酸化物が増大することを隠すために検査時だけ働くソフトを搭載した,3)事の次第からVWと国家がつるんでいる可能性が高い,ということになる。技術,経済,政治の問題に加えて,ディーゼル排気処理不正は国際的なナノ材料安全性評価に大きな影響を与え始めている。

 2003年に英国ベンチャーOXONICA社が酸化セリウム・ナノ粒子をディーゼル燃料に添加すると排ガス中の煤を劇的に削減できることを発表した。もともと排ガス浄化のために開発されたと言われるが,燃費の改善にも寄与することが判明した。酸化セリウムはガラス研磨剤(油膜取りも)に使用されているが,セリウムは重金属であり,肺深部への蓄積による健康影響が懸念された。過去には,エンジンノッキングを防ぐために四塩化鉛を添加した時代があり,肺疾患,神経系への影響が明らかになったために禁止された。この経験から,空気中へ重金属を飛散する使用方法は,安全性の観点から実用化には慎重になる必要がある。しかし,VWのダウンサイズ・ターボディーゼル・エンジンの登場で,二酸化炭素(温暖化ガス)の大幅削減の旗の下に,欧州では酸化セリウムの安全性データが不十分なままディーゼル燃料に添加されることになった。ナノ材料の実用化は予防原則を前提とするという科学者と規制当局の考え方とは異なっていた。米国と日本の規制当局は,データ不足を理由に自動車用燃料への添加は未だに許可されていない。

 ナノ材料安全性評価は莫大な費用を要するため,日米欧の国際連携で進められてきたが,評価対象絞込の中で,欧州,特にドイツの後押しで酸化セリウムは優先評価対象の1つに位置付けられている。国際連携なので,他の国々もナノ酸化セリウムの毒性評価にリソースを振り向けてきた。この結果,数年前から,ナノ酸化セリウムが毒性を持つことが見えてきたので,粒子表面を毒性の低い物質でコーティングする技術を模索中であるが,決定的な手法は確立されていない。

 一方で,フランスの研究チームからは,パリの小児喘息増加の原因物質としてディーゼル排気中に含まれるナノカーボンが指摘された。VWが推すディーゼルエンジンの燃焼条件はナノカーボンの合成条件に近く,反応論的には当然と言える。即ち,VWとドイツ政府がクリーンで地球温暖化の切り札のように宣伝した小排気量ディーゼルエンジンは,窒素酸化物とナノカーボンを空気中に排出する,トンデモ技術といえる。しかし,メディアは挙ってこれを賞賛し,日米の遅れをこき下ろした。実際は,日米が一生懸命開発したディーゼルエンジン技術とは大きく異なるものである。

 ナノ材料安全性評価の観点から見ても,VWとドイツの方針は人々の健康と自然環境への挑戦であった。このような,経済力を背景にした国際科学技術連携への横槍(言い過ぎかもしれませんが)は,科学技術の発展に水を差すものである。もちろん,時の覇権国は自国優先で規制を押し付けてくるが,ドイツのやり方は人類のためにと謳っているので「市民団体」の受けがよく始末が悪い。これで経済発展を進めようとするなら地球は荒廃してしまうだろう。現在のドイツ政府が,地球環境や安全を唱える政策を提案したら細心の注意が必要である。

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