世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
絵の無い戦争:敗戦80年に問う
(元信州大学先鋭研究所 特任教授)
2025.08.18
2025年は敗戦から八十年である。主要メディアは原爆・沖縄・特攻を大写しにし,「体験を語り継ぐ」を合言葉に感傷的特集を量産している。だがこの様式化はもはやオワコンである。感傷の反復は,戦争を安全に消費する便法となり,国家の失敗の構造を覆い隠すからである。
映像は記憶を組み替える強力な装置である。学徒出陣や焼け野原の空撮は今も象徴として繰り返し放送される。他方,画にならない意思決定の非論理や兵站崩壊は可視化されず,語られない。旧帝国軍の構造的な失敗を論じた『失敗の本質』(戸部良一,他,中央公論社)が示したのは,勇敢な日本人を費消し続けた組織の合理性の欠落と,作戦を持続させるロジスティックス思考の根本的欠如であった。補給途絶で餓死や病死が続出した最前線の部隊や,護衛もなく資源採掘や輸送に動員された民間人の労苦は,ほとんど映像に残らないためにメディアは触れにくい。だが,絵がないことは,ものごとの本質へ向けて論じない理由にはならないのである。
筆者は大学の専門必修講義で,技術補助員として在学中に徴用され仲間を失ったという老教授の証言を聞いた。軍の支配が及ばぬ地域で,民間人は最前線の資源探索・輸送線の確立のために,実質国家の要員として徴用され使い潰された。これは兵士の物語の周縁ではなく,戦争を遂行するための産業経済の中核であった。戦後も中東の石油プラントやアフリカの産業設備への投資・建設において,我国政府は憲法9条を盾にして全く警備派遣を行わなかった。もし将来,民間人が最前線地域に投入されうるなら,利益追求行為でなくボランティア活動であっても,その保護と備えを,今,制度化せねばならない。
第一に,ロジスティックス(兵站)を国家の基幹インフラとして捉え直すべきである。サプライチェーン,港湾・空港・陸運の冗長化,医薬・燃料の在庫と配分,海上護衛と空輸回廊,民間輸送力の動員と補償,通信・電力・データの多重化を,平時から数値目標と演習で検証すべきである。第二に,産業・平和貢献ボランティア活動の動員と国民保護の法的枠組みを透明化するべきである。要員の範囲,危険手当,責任分担,情報公開を曖昧にしてはならない。第三に,これが最も重要と思うが,教育である。歴史を涙で包むのではなく,意思決定と兵站の設計をケースとして学ぶ「備えの教養」への転換が不可欠である。
ところが主要メディアは,映像の強い物語に回帰する。編集は記録映像の反復に傾き,「絵の無い戦争」へ踏み込む企画は稀である。画像が乏しいため抽象論に流れ,制度設計の議論は置き去りになる。これは頭でっかちの思考停止であり,東條英機を祭り上げ,精神論で国民を扇動した昭和初期の政治・メディアと本質的に同型である。数合わせ(帝国軍は員数合わせと称した)の発想は二十一世紀初頭の労働者派遣法改正にも通底し,責任をぼかす態度は近年の減税論議にも見て取れる。制度と責任の設計を語らず,情緒とスローガンで覆う態度は,敗戦の学習を止めているのである。
映像偏重の背景には,取材と制作の経済学がある。映像が豊富なテーマは特集を組みやすく,視聴率も見込める。だが公共性を主張するメディアの使命は,映像資産の多寡に報道の比重を委ねないことにある。古くは朝日新聞社アサヒグラフ「我らが100年」(1968年9月25日増刊)やNHK『映像の世紀』等の価値は否定しない。むしろそのアーカイブを足場に,映らなかった領域を掘り起こすべきである。一次史料の発掘や口述史の体系化,物流データの分析,演習の公開,シミュレーションの可視化など方法は多い。たとえば1943年10月21日の学徒出陣映像を起点に,背後の制度・物資・輸送経路の設計と破綻を追うことは可能である。感傷や責任追及に閉じず,制度と行動の教訓へつなぐ視点が要る。
準備不足の本質は,価値連鎖の断絶である。作戦,産業,財政,教育,科学技術,メディアの回路が接続されず,相互検証の仕組みが弱い。平時の演習が形骸化し,想定外が常態化している。国民保護計画と企業の事業継続計画を接続し,医療・介護・保育と物流を同一の地図上で最適化する。重要物資の分散生産と在庫,物流のボトルネック解消,民間輸送の訓練と補償,サイバー・宇宙の冗長化,ディープフェイク対策と情報検証を,学校と職場に埋め込む。これらは軍国主義の回帰ではなく,民主国家の自衛としての制度設計である。
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