世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.734
世界経済評論IMPACT No.734

五輪招致は「勝者の呪い」?

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2016.10.10

 東京都政は築地市場の豊洲移転問題とそれに連動する東京五輪事業の見直し問題で揺れている。この騒ぎを機に,納税都民の1人として五輪について論じたい。

 R.A. Baade and V.A. Mathesonによるサーベイ論文 “Going for the Gold: The Economics of the Olympics” Journal of Economic Perspectives, Spring 2016, pp.201-218では,過去の夏季・冬季五輪について書かれた実証論文から,五輪招致の経済的な費用と便益を整理している。主な費用は,①競技インフラ,②交通インフラ,③宿泊施設の建設費とそれらの維持費用としている。一方,主な便益は,①会期中の観光収入,②大会後のブランド効果による貿易・投資・観光波及効果,③ホスト市民の心理的便益,としている。結論として,ごく少数の例外を除き,過去の五輪は開催地にとって経済的に見合わず,とくに近年の五輪はコストが膨大になり,運営方法を変えない限り経済的に正当化できないとしている。

 費用側の定量化は比較的簡単だが,問題は,費用見積もりが通常甘く,実際にかかる費用は見積もりを大きく上回ることである。ロサンゼルス以外のほぼすべての夏季大会は,会期中の様々な収入で競技施設の建設費用のほんの一部しか賄えなかったという。シドニーと北京で建設したメインスタジアムはその維持にそれぞれ年間約30億円と10億円かかっているという。長野冬季五輪については当時の五輪委員会が財務記録を燃やしたため,その費用は永久にわからないという不名誉な報告も引用されている。

 便益側は①以外は定量化が難しい。①の観光収入にしても,北京とロンドンでは,五輪開催中の外国人訪問者数は,混雑を避け,前年同期比で減少したと上記筆者は指摘する。便益②の推計は因果関係の特定が困難であり,都合のいい仮定で過大な推計になる疑いが強い。ホスト国による事前評価は招致動機が前提なので,費用の過小評価,便益の過大評価になるのが自然であろう。便益③については住民の支払意思をアンケートで聞く仮想手法(contingent valuation)があるが,実際これをロンドン五輪前に英国民のサンプル調査で試したところ,支払意思総額はとてもコストに見合わないものだったという。東京でもこれをやってみて,住民の支払意思総額からかけ離れた費用のかかる施設は諦めるという考えもありだろう。

 筆者がこれまで見かけた多くの他の文献でも,おおむねホスト都市にとって五輪は経済的に純マイナスと結論されている。参加選手が金銭的・非金銭的インセンティブによって金メダルに向かって努力を厭わないのはよくわかるし,その努力自体に感動もする。観客がトップアスリートを生で鑑賞し感動する喜びを味わうために高い旅行代金を支払うのもわかる。問題は,一生に一度かもしれない高価な祭典の舞台を用意するホスト住民や納税者にとって,割に合うのかである。所得水準のまだ低い新興国にとってはなおさら疑問である。リオであれだけ反対デモがあったのも無理はない。

 そういう筆者自身はリオ五輪を夜中にテレビで結構楽しんで見てしまった。そのコストはせいぜい鑑賞時間の機会費用で済むからである。しかし,ホスト住民の負担ははるかに大きい。東京五輪の新国立競技場の当初デザインが明らかに金に糸目をつけない状況で準備されたことを考えれば,五輪招致活動はスポーツ版「鉄の三角形」(スポーツ産業,スポーツ族政治家,スポーツ振興省庁の連合体)が主導したと想像できる。ほとんどの招致成功都市が,「勝者の呪い(winner’s curse)」(セリにおいて真の価値以上の価格で競り落としてしまう現象を指す)に陥っているとすれば,「五輪招致から厚く便益を受ける少数者が,費用を薄く負担する多数者に政治プロセスで勝ってきた」のが五輪のポリティカルエコノミーかもしれない。だとすれば,貿易政策に関するポリティカルエコノミーとちょうど鏡の関係にあるといえる。

 競技種目数が増え,施設の規模が巨大化するにつれ,五輪インフラのコストはかさむ。因果関係とその程度は不明だが,ギリシャの債務危機がアテネ五輪の後に起こったのは不気味である。デンバーは1976年に冬季五輪開催都市に選ばれながら住民投票の結果,返上したという先駆的エピソードがある。ボストンやフランクフルトでは住民投票によって2024年候補地に名乗りをあげるのを市民が拒否した。トロントは名乗りを上げる準備費用が高すぎるという理由で,行政が自ら諦めた。東京はまだ4年あるのだから,五輪の経済史から学び,将来世代への負の遺産を少しでも減らす必要があるのではないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article734.html)

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