世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.730
世界経済評論IMPACT No.730

グローバル金融危機と「最安価危機回避者」

平田 潤

(桜美林大学大学院 教授)

2016.10.03

1 繰り返されるグローバル金融危機

 90年代以降,92年欧州通貨危機,97年アジア通貨危機,98年ロシア・中南米危機,そして2007~8年の米国サブプライム危機/リーマンショック,2010年(ギリシャなど)EU国債危機と,大規模な金融危機が発生している。こうした場合,市場の自由化・規制緩和が進み巨額なグローバルマネーが瞬時に移動できる国際金融市場では,需給バランスの急激な崩れ,価格変動(ボラティリィティ)や信用不安が増幅(プレシクリカリティ)され,投資家の金融商品や金融機関/システムへの信頼が大きく揺らぐ事態が生じた。しかも危機は一国に止まらず連鎖伝搬し,さらに実体経済にも大きなダメージを及ぼした。そこで深刻な金融危機を防止し,或は発生時に効果的に対処し,被害や混乱を最小化するために,迅速・的確な予防/管理政策が極めて重要になってくる。90年代に至るまで,主に途上国・新興経済国の金融経済の危機(通貨危機,マクロ経済のインバランス)に対しては,IMF(国際通貨基金)がリーダーシップを取り,「危機管理者」として大きな役割を果たしてきた。一方金融市場が発達した先進諸国の場合では,a.政策当局に加えて,b.グローバルスタンダードとしてのBIS規制,そして,c.市場と規制とのせめぎあいの中で,各種のチェック&バランスにより危機予防を果たす,「市場型」ともいうべき「最安価危機回避者」が発展していったと考えられる。

2 「最安価危機回避者」

 「最安価危機回避者」とは,最も小コスト〔負担〕で,危機を有効に避け得る,あるいはそのダメージを最小に止めることができ(得)る者を指す。この概念は元々,米国のノーベル経済学賞受賞者であるCalabresi.G(日本では1977年浜田宏一東大教授が展開)が,損害賠償理論で打ち立てた「最安価損害回避者」=深刻な事故〔例えば交通事故〕については,最も少ないコストで事故を有効に避け得る者(例えば自動車の運転者)が,発生した損失・損害について第一義的に賠償を負担すべきである=の概念を,危機管理の分野に,責任・コスト・負担の関係について拡張した「仮説的理念」である。

 経済/金融危機に際しての「最安価危機回避者」とは,通常は経済政策の当事者である「政策当局」が第一にこれにあたるわけであるが,a.市場経済が拡大・高度化するなかで,b.小さな政府への指向や規制改革の流れが欧米などの先進諸国で力を増し定着するという環境変化を背景に,以下のような,c.市場型の最安価危機回避者がパワー・アップしてきたと評価できる。

3 市場における「最安価危機回避者」

 これまで市場メカニズムの中から多様な「最安価危機回避者」が登場してきた。これらは高度に専門的なチェック能力や情報発信力によって,金融にみられる「情報の非対称性」を緩和し,危機の未然の防止・抑止に関われる機能を持ち,しかもより合理的に〔市場或はその受益者である一般投資家・ユーザーなどにとってより少ないコスト負担で〕,様々な危機を有効に回避し,または被害を最小限に留め得る「役割期待」を持つ組織である。米国の場合で見ると,企業部門では,ガバナンス機構(外部取締役を交えた取締役会,監査他各種委員会など),金融部門では統合リスク管理部門,市場の外部からのチェック機関として,多数の専門家を擁する格付け機関や国際的会計事務所,研究者,エコノミスト,アナリスト,有力シンクタンクや研究機関などが事実上,そうした役割を果たしてきたといえよう。

4 「最安価危機回避者」の機能不全

 しかしながら市場経済のもっとも発展した米国で,21世紀に入り,深刻な危機(エンロン事件やサブプライム危機)が発生し,「市場の暴走」が生じてしまった。本来こうした市場の機能や市場プレーヤー(企業や金融機関)の行動をモニタリング・牽制する役割期待を持つ(はずの)「市場型最安価危機回避者」は,実は形骸化していたり,チェックする対象との利害相反が生じて身動きがとれず実効性を欠いたり,ブラックボックス化した金融取引を解析し,逸脱行為発生に対して警鐘を鳴らし抑制するには力不足だったりして,危機予防の面で,機能不全をきたしてしまった。こうした中で危機に対処した政府・当局による新たな枠組みでの規制,再規制が強まるとともに,本来時限的・危機管理的であるべき政策(大幅な金融緩和策)が常態化(ニューノーマル)しているのが現状(2016年現在)といえよう。

5 危機管理政策としての「超金融緩和」政策

 リーマンショック以降,市場メカニズムによる危機予防・問題解決が事実上力を喪い,政府が危機管理者として,大きな役割を果たすようになっている。たしかに危機の鎮静化,連鎖拡大抑止に最も効果的であったのが,米国FRBをはじめとした,先進各国中央銀行によるゼロ金利やマイナス金利政策,信用緩和/マネーストック量的拡大等,超金融緩和策であり,こうしたマクロ金融政策はマネーの危機管理として有効であり,実体経済の回復にも貢献した。

 超金融緩和政策は,90年代日本に端を発し,リーマンショックに際して,米国が機動的な危機管理政策として実施し,ギリシャ国債危機でユーロ圏も採用を余儀なくされた。もっともその後,マクロ経済の回復・拡大が遅れるなか,金融緩和策の解除(出口政策)がもたらしかねないグローバル市場の不安定化の懸念が足を引っ張り続けているため,超低金利(一部でマイナス金利化)政策が,事実上常態(ニューノーマル)化している。従って危機管理の段階・状況を脱したあとに過剰流動性が生じていることは否定できない。実際グローバル大企業の競合する分野や,ハイエンドな分野(先端科学,IOT,AI,FinTechなど)では,いち早く活性化した産業や企業,スタートアップ企業をめぐって,国境を超えた金融仲介(各国官民ファンドを含め各種ファンドやベンチャーキャピタル,その他の投融資),世界的なM&Aの活発化が生じている。

 一方国内レベルでは,通常の金融商品のリターンが高まらないなか,各種不動産への投資や,インフラ(鉄道や橋/港湾)への資金投入がアジアを中心に活発化しつつある。

 また超金融緩和政策とは先進国の国債コスト低減等で財政負担軽減をもたらすと共に,上記にあるイノベーション・エコノミーにも資するわけであるが,一方で,家計部門⇒グローバル企業・政府へ,という所得移転の側面も否定できない。さらには政策がもたらし得る新たな危機の芽をチェックできる「市場型最安価危機回避者」の後退も懸念されよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article730.html)

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