世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.580
世界経済評論IMPACT No.580

安全保障の観点から見た原油価格の見通し

矢野義昭

(日本経済大学大学院 客員教授)

2016.01.25

 新しい年が始まったが,新年早々から世界情勢は不穏な動きが相次いでいる。中国の経済低迷と株価下落,北朝鮮の4度目の核実験などの日本近隣国の動きは日本の安全保障に重大な影響を与える。しかし,経済的にはイランとサウジアラビアの紛争が最も深刻な影響を与えるであろう。原油価格がその成り行きにより,大きく左右される。

 サウジとイランの紛争は,直接的にはイスラム少数派のシーア派指導者をサウジが処刑したことに端を発している。サウジは国内にメッカとメディナというイスラム教の二大聖地を抱え,イスラム教の守護国を自任し,世界一の原油埋蔵量を誇る原油大国でもある。しかし,約800人の男性王族が権力と富を独占し,労働力は外国人の出稼ぎ労働者に依存してきたサウジの体制は危機を迎えつつある。

 その大きな要因がサウジの安全保障上の後ろ盾となってきた米国との関係が,冷却していることにある。米国は第一次大戦前から,中東特にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国の原油に,経済,軍事面でエネルギーを依存してきた。第二次大戦もある意味では石油資源を巡る戦いであった。冷戦時代には,ソ連の進出阻止,イスラエルの防衛とともに,原油地帯の安全確保が,米国が中東に介入し,サウジアラビアを支えた主な要因であった。

 しかし近年,米国は中東原油への依存から脱却しつつある。米国国内では世界一のシェールガス,オイルシェールの埋蔵量が確認されており,その採掘技術が開発されたことから,中東原油に依存する必要性が弱まっている。また,軍事面でも原油依存から脱原油の方向が模索されている。米海軍では原子力,新エネルギーなど,化石燃料に依存しないグリーン艦隊の2016年の実戦配備が予定され,2020年までに海軍燃料の半分を代替エネルギーにすることが計画されている。

 米国の政府と産業界も電気自動車など新エネルギーの開発に力を入れている。このような米国,米軍の脱石油への動きに伴い,ペルシャ湾一帯の原油地帯と輸送ルートを守るという任務は,米軍にとりかつてほどの重要性を失いつつある。横須賀を母港とする第7艦隊は,このペルシャ湾一帯からインド洋,東アジア,西太平洋のシーレーン,特に原油輸送の警護を担当している。しかし,米国の脱原油が進むとともに,第7艦隊の基地としての在日米軍基地の価値も,また相対的に低下していくと言えよう。インド洋のシーレーン防衛ではインド海軍の,南太平洋では豪州海軍の役割が増大している。

 イスラエルの安全保障は,冷戦期以来,米国が中東に関与せざるを得ないもう一つの大きな要因であった。しかし,リーマンショック以降,ユダヤロビーの米国内での影響力も低下しており,米国の国家戦略上のイスラエルの重要性もかつてほどではなくなっている。パレスチナとイスラエル間の中東和平交渉に対する米国の熱意も冷めてきている。

 シリアのアサド政権を最後の拠点として死守しているロシアと欧米との関係は,ウクライナ問題もあり,緊張状態が続いている。資源依存経済のロシアは,原油安が続き,それに西側の経済制裁が加わることで,経済苦境が続いている。ロシア国内ではインフレが進み,庶民の生活は苦しくなっているが,苦境での忍耐力と団結心に富むロシアが屈服する可能性は低いとみるべきであろう。しかし,中東その他の地域で大規模な紛争に直接介入する余力はロシアにもない。そのため,中東は欧米やロシアの影響力が後退し,ISも含めた地域大国間の戦争という様相が強まるとみられる。

 原油価格が当面安値を続けるとみる見方にはいくつかの要因がある。

 これまで3000億ドルを上回る世界最大の原油輸入国であった米国が,シェールガス,オイルシェールなどの採掘により,石油や天然ガスの輸出国に転換すれば,従来の原油需要は大幅に低下する。

 また米国はイランへの接近を強めている。イランの核開発疑惑をめぐり,米露中と英独仏のEU3か国を加えた6か国とイランは核交渉を続けてきたが,留保条件はつけられたものの,昨年7月に最終合意に達した。イランからの原油輸出禁止も解かれ,イラン産原油が近く国際市場に出まわることが予想されている。

 さらに,2014年に2640億ドル,世界第2位の原油輸入大国であった中国の昨年末以来の経済不調,上海株の再度の急落など,中国経済の不調による原油需要の減退も見込まれている。

 以上の諸要因が重なり,原油価格は30ドル台まで大幅に下落している。今後の世界的な需要の伸びの停滞,原油輸出の増加などの見通しに基づき,原油価格はさらに下落するとの見方が強い。

 しかし,長期的には,発展途上国の経済成長に伴う石油需要の長期的な増大という要因はもちろんだが,それ以外にも地政学的リスクの高まりがある。

 サウジとイランの対立関係が,スンニーとシーア両派の盟主としてのメンツもあり,欧米ロシアなどの調停者もなく,長引く可能性は高い。サウジ国内のイラン対岸の産油地帯には少数派のシーア派住民がおり,政情が不安定である。またサウジの米国に対する姿勢もサルマン新国王になり,やや冷却化の兆しが見える。王族の一部にはイスラム過激派を支持する勢力もあり,サウジ国内に抱える大量の外国人出稼ぎ労働者の間にも過激派が浸透している可能性がある。場合により,サウジ国内で暴動やテロが発生し,それをきっかけにサウジとイランの紛争が本格化するおそれもある。その結果,ペルシャ湾に機雷が撒かれ,タンカーの航行ができなくなるといった事態も起こりうる。

 その結果,原油価格が上がったとしても,産油国であるイランもサウジも,シリアの後ろ盾になっているロシアにとっても,不都合ではない。また,米国もオイルシェールなどの採掘コストに見合うバーレル当たり60~70ドル程度まで値上がりしなければ,シェールオイルなどの生産は採算が取れない。これら関係諸国の利害関係を考えれば,中東紛争の激化を契機にして原油価格が急騰するおそれもある。このような情勢の急変も考慮して,原油価格の将来見通しを立てるべきであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article580.html)

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