世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
一株一票と一人一票:建国と経済学の250年
(立教大学経済研究所・国際貿易投資研究所 客員研究員)
2026.02.23
2月11日まで開かれた「第75回さっぽろ雪まつり」の雪像の一つが,アメリカ建国250周年を記念したホワイトハウスだった。建国250年という節目は,近代という制度の歩みを改めて考える機会でもある。
1776年,二つの出来事がほぼ同時に起きた。アダム・スミスの『国富論』の刊行と,アメリカ独立宣言である。前者は市場を理論化し,後者は主権が人民にあると宣言した。市場と主権。この二つの原理は,近代社会の基礎を形づくった。
名誉革命,アメリカ独立,フランス革命は国家を解体したのではない。国家の正統性の根拠を転換したのである。神から王へ,そして王から国民へ。主権の所在が書き換えられたことで,国家はより強固な統治装置となり,その上に法制度と市場経済が安定的に構築された。近代国家と資本主義は対立的というより,相互に補完しながら成熟した制度であった。
スミスは国家を否定した思想家ではない。彼が批判したのは特権と独占である。契約の自由と競争の維持には,司法と法の執行が不可欠だと考えた。市場は自然発生的な混沌ではなく,制度によって支えられた秩序だった。
19世紀に入ると,法人制度が本格的に拡張する。東インド会社を起点とする会社形態は,有限責任と株式制度によって整備され,資本は法的人格を獲得した。企業の意思決定は一人一票ではなく一株一票で行われる。過半数を握る者が経営を方向づける。資本の多数決が経済を動かす仕組みである。
会社は単なる経済主体ではない。法に基づき意思決定を行う統治の単位でもある。こうして近代社会は,国民による多数決と資本による多数決という二つの原理を内包する体制となった。
20世紀に入ると経済学はさらに体系化される。マーシャルが市場均衡を理論化し,ケインズは大恐慌を経て国家の役割を再定義した。第二次大戦後,各国は国民経済計算を整備し,統計に基づく政策運営を本格化させる。経済は「測定される対象」となり,マクロ経済政策が制度化された。
その後,金融の自由化と資本移動の拡大が進む。公的年金基金などの機関投資家が台頭し,企業統治は株主価値を軸に再編された。2008年の世界金融危機は,市場と国家の関係の緊張を改めて浮き彫りにした。それでも市場は縮小しなかった。デジタル技術の進展は,新たな集中と独占を生み,各国は競争政策を強化している。独占への警戒はスミス以来の重要な論点である。
ロンドンで予定されている米国アルファベット系の自動運転事業の展開や,生成AIなどの基盤技術の発達は,プラットフォームを通じて市場支配力を強める可能性を秘めている。データ,地図,OS,クラウド基盤が結びつくと,競争優位は累積しやすい。
欧州が競争政策やデジタル規制を強化しているのは,単なる保護主義ではない。市場集中が進みすぎれば,資本の多数決が社会の選択を実質的に左右しかねないという懸念があるからだ。独占は効率性を高める一方で,民主的統治との緊張を生む可能性がある。
250年を振り返ると,経済学は市場の仕組みを説明し続けてきた。しかし,市場は法と国家に支えられた制度であり,一株一票の原理に基づいて動く空間でもある。その効率性は大きいが,分配の偏りも生じうる。
国家と資本はいずれも強い影響力を持つ。だが,その行使が正統性を保ち続けるためには,最終的な拠り所が明確でなければならない。その拠り所こそが,選挙と議会を通じて示される主権者の意思である。
主要政党が消費税の減免や廃止を掲げる総選挙は,財政や分配の在り方を国民が選択する機会である。金融政策を含む経済運営の枠組みも,最終的には主権者の意思と無縁ではない。こうした過程が機能している限りにおいて,制度は生きていると言える。
近代とは,資本の多数決と人民の多数決が併存する体制であった。国連総会が一国一票で運営される一方,国際通貨基金や世界銀行では出資比率に応じて投票権が配分される。この対比は,現代の統治構造を象徴している。
一株一票の世界を最終的に包み込むのは,一人一票という原理である。建国と経済学の250年は,その関係を改めて確認すべき節目にある。
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