世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
タイの対カンボジア国境紛争と総選挙
(元亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2026.01.19
対カンボジア国境紛争
紛争の激化を受けてASEANは,昨年12月16日に外相特別会議を開催することになっていたが,前日の15日,「タイ側の要請」で22日に開催が延期された。17日,タイは,カンボジアに,(1)カンボジア側が先に停戦を宣言すること,(2)戦闘が再発するような停戦ではなく,「本物かつ持続可能」であること,(3)カンボジアが国境地帯の地雷除去活動に「誠実に協力」すること,という停戦条件を提示した。(2)に関しては,カンボジアの詳細な実施計画と確固たるコミットメントが必要とされている(注1)。
22日,クアラルンプールで,ASEAN特別外相会議が開催され,議長声明は「停戦の実施と検証について議論するため,2025年12月24日に,一般国境委員会(GBC)が開催される」と述べている(注2)。残念ながら,タイの強い意向により,ASEANが関与した協定などのとりまとめはできなかった。また,タイはアメリカや中国による仲介も望んでいない。
23日,トランプ米大統領は,「タイが再びカンボジアとの戦闘を開始した。」と述べた。すなわち,トランプは,12月の軍事衝突において,先制攻撃をしたのはタイであり,少なくとも,7月と10月の軍事衝突のいずれかの先制攻撃はタイによるものだとの認識を示したのである。同日,アヌティンはこれを否定した(注3)。
24~27日,タイ東部のチャンタブリー県バン・パッカドの国境検問所で第3回特別GBCが開催され,27日,タイのナタポン国防大臣とカンボジアのティア・セイハ副首相兼国防大臣との会談の結果,共同声明が発表された。それは,前文で,「2025年7月28日の停戦協定,その後のすべての関連した合意,GBC及び合同国境委員会(JBC)での合意,並びにカンボジアとタイとの間の既存の合意を完全かつ効果的に実施することを再確認する」と述べた。合意された16点のうち,特に重要なものは以下8点である。
第1に,両国は,本共同声明の署名日である2025年12月27日の12時(現地時間)をもって,即時停戦することに合意した。この停戦は,あらゆる事例と地域の,あらゆる種類の武器に関わり,民間人,民間の施設やインフラ,軍事目標に対する攻撃を含める(1項)。第2に,両国は現在の部隊展開を維持することに合意した。部隊の移動は禁止される(2項)。第3に,両国は,この共同声明に基づくあらゆる取り決めが両国間の国境画定を何ら予断するものではないことに同意する(3項)。第4に,両国は,影響を受けた国境地域に居住する民間人が,妨害なく,安全かつ尊厳を保って,できるだけ早期に,自宅や通常の生活に戻れるようにすることで合意した(4項)(注4)。
第5に,両国は対人地雷の使用,備蓄,生産および移転禁止およびその破壊に関する条約(オタワ条約)に基づく義務を再確認する。両国は,合意された標準作業手順(SOP)に従い,人道的地雷除去に関する合同調整タスクフォース(JCTF)を通じて協力し,国境沿いの地雷除去作業を適時進める(9項)。第6に,両国は,カンボジア国家警察とタイ王立警察間の「サイバー詐欺や人身売買を含む越境犯罪の防止・抑制協力行動計画」を遵守し,オンライン詐欺防止,デジタルプラットフォームの悪用対策,責任ある正確な情報の促進を目的とした協力強化のコミットメントを再確認する(10項)。第7に,2025年10月26日のクアラルンプール共同声明の精神に則り,停戦が72時間完全に維持された後,タイ軍に捕らわれた18人のカンボジア兵を帰国させる(11項)。第8に,両者はASEANオブザーバーチーム(AOT)の重要な役割を認識し,ASEAN議長国およびAOTの双方と協議の上で,本共同声明のすべての措置の検証と効果的な実施を確保する役割を強化することに合意する(12項)(注5)。
結果的に,今回も,7月と10月に続いて,タイは支配地域を前進・拡大することができた。12月の戦闘では,両国合計で少なくとも民間人75人を含む101人が死亡し,50万人以上が避難した。カンボジアは軍人の死者数を公表していないが数百人にのぼると推定される。30日12時に停戦後72時間が経過し,31日,タイはカンボジア兵18人を国境検問所でカンボジアに引き渡した。タイがカンボジアによる停戦違反を主張し,引き渡しが1日延期されていた。
解散総選挙
次に,タイ下院議員総選挙である。12月12日,ワチラロンコーン国王は下院を解散し,15日,選挙管理委員会は総選挙を2月8日に実施すると発表した。期日前投票日は同月1日8時~17時に実施される。小選挙区(400議席)と比例代表(100議席)の合計500議席を争う。小選挙区は12月27〜31日,比例は28〜31日に候補者を受け付ける。また,政党による首相候補指名期間は27日〜31日である。
国民党,タイ誇り党(以下,誇り党),タイ貢献党(以下,貢献党),民主党という主要4政党の首相候補をみていこう。11月23日,国民党はナタポン党首,シリカニャ副党首(政策担当),ヴィーラユース副党首(戦略担当)を首相候補に指名した。あわせて,同党は,「タイ:透明,平等,未来への準備」というスローガンのもと,透明性を約束し,グレーな政党との連携を否定した。シリカニャは「過半数に達しなければ,再び野党になる可能性が80~90%ある」と述べた。また,国民党は「44人の議員事件」を念頭に置いていると思われる。同事件とは2021年に前進党前党首のピタ氏を含む44名の議員が,王室への批判を禁じる刑法第112条(不敬罪)の改正案を下院に提出,ないし,これを支持したもの。憲法第235条により,国家反汚職委員会(NACC)は,議員に深刻な倫理規定違反が認められた場合,当該議員を最高裁判所に提訴しなければならない。下院解散前の時点で,NACCの調査はナタポンやシリカニャなど現職議員25人を対象としていた。NACCによれば,12月より順次,最高裁への提訴がなされるとされていた。提訴の段階で,当該議員は資格停止になる。さらに,最高裁が有罪判決を出せば,最高で終身の公民権停止となる。ヴィーラユースは署名していないので職務停止の可能性はない(注6)。
貢献党は,16日,タクシン元首相の甥で,第34代首相ソムチャーイ・ウォンサワットとタクシンの妹ヤオパヤー・ウォンサワット夫妻の息子ヨートチャナン・ウォンサワット(46歳),党首のジュラパン・アモンウィワット前財務副大臣(50歳),スリヤ・ジュンルンルアンキット前副首相兼運輸大臣(71歳)を首相候補として発表した。ヨートチャナンが筆頭候補である。同氏はタイ愛国党の結党以来,タクシンと共に活動してきた。テキサス大学卒で,バンコクのマヒドール大学准教授,脳とデバイスを接続する技術「ブレイン・マシン・インターフェース」を専門とする研究者である。同党は,タクシンの甥であるという点で,旧来からの東北部・北部などの地方・農村部の支持を獲得し,若きインテリジェンスという点で,都市部及び若者の支持を獲得しようという作戦だと思われる。同党は目標獲得議席を200に設定している(注7)。汚職罪などで収監されていた同党の実質的オーナーであるタクシンは,病気のため,2024年に仮釈放された。しかし,2025年9月,最高裁判所は禁固1年の有罪判決を言い渡し,タクシンは同日収監された。また,同年8月,不敬罪に関する一審判決は無罪となったが,検察は控訴する意向である。このような状況で,カリスマ性を持つタクシンが選挙応援すらできない。同党はタクシンの甥を筆頭候補にすることで,求心力を保ちつつ,3人の候補を立てることで権力の分散を図っている。
24日,誇り党は首相候補をアヌティンとシハサック外務大臣の2人にしたと発表した。アヌティンが筆頭候補である。当初,2人の議員ではない現職閣僚,エクニティ副首相兼財務大臣やスパジー商務大臣も候補になるのではないかと報じられていたが,これは実現しなかった。アヌティンは,再び政権を樹立する場合,両氏が各々の現職を引き続き務めることを望んでいると話している。誇り党はアヌティンの父が設立し,アヌティンが継承した,アヌティンの「個人商店」である。そのため,総選挙に至るアヌティンの失政に関わらず,アヌティンが首相候補になり,リスク・ヘッジで,職業外交官で,カリスマ性に乏しいシハサックを選出したということだと思われる(注8)。
26日,民主党は,首相候補にアピシット党首,コーン副党首,カルディー副党首を指名した。アピシットが筆頭候補である。同党は行動力ある指導者像を提示し,貧困脱却を提唱している。民主党は,10月,チャルームチャイ党首の病気による辞任を受けて,アピシット元首相が党首に復帰,党勢を回復している(注9)。
政党間の批判合戦も既に始まっている。24日,ナタポンは,国民党が首班指名選挙でアヌティンに投票したことを支持者に謝罪したうえで,憲法改正プロセスの頓挫を「誇り党の裏切り」と表現し,首班指名選挙で2度とアヌティンに投票しないと表明した(注10)。これに対して,25日,アヌティンとアピシットは,各々,刑法第112条(不敬罪)の改正を求めるいかなる政党とも連立しないと述べた(注11)。さらに,これに対して,26日,ナタポンは,「憲法裁判所の判決枠組みの下では,いかなる政党ももはや刑法第112条の改正を推進できない」,「国民党は同条違反者を含むすべての政府犯への恩赦を内容とする恩赦法案を支持しているに過ぎない」と述べた。また,ナタポンは,今回の選挙は,国民にとって,国民党主導の政府か,誇り党主導の政府かの選択になると述べた。さらに,ナタポンは,国民党は経済党とは選挙協力はせず,誇り党が経済党と選挙協力するのであれば,その最終決定は有権者に委ねられると述べた(注12)。
28日,ナタポンは,「以前述べたように,国民党は,首班指名選挙で,アヌティンに投票しないが,一定の条件の下,国民党主導の連立政権に誇り党が参加することは認める」と述べた。その条件とは,「『グレー』」や汚い資金を扱うビジネスと関係のある大臣を置かないこと」である。また,ナタポンは自身が比例リスト1位,シリカニャが2位,ヴィーラユースが3位で立候補すると述べた。この3人は首相候補としても1位から3位にランクされた(注13)。
NIDA pollの「政治人気調査」の2025年第4四半期調査(調査期間は12月4~12日)の結果が出た。11日解散決定,12日解散なので,第4四半期のデータはほぼ解散前のものである。これによれば,支持政党は国民党が1位だが,2期前から,46.08%→33.08%→25.28%と支持を大幅に減らしている。これは,首班指名選挙で,アヌティンに投票したことを最もラディカルな人々が嫌ったためだと思われる。貢献党は,ペートンターン政権時の対カンボジア国境紛争をめぐる混乱で,支持を大幅に失った(2025年第1四半期から,28.05%→11.52%→13.96%→11.04%)。誇り党は,政権をとった結果,第2・3四半期に支持を増やしたが,失政の結果,第4四半期で支持を落とした(2025年第1四半期から,3.35%→9.76%→13.24%→9.92%)。これらを受けて,有権者は投票先を失い,「支持政党なし」が増加した(2025年第2四半期から,7.72%→21.64%→32.36%)。一方,民主党は,アピシットの党首復帰以前から党勢を回復していたが,同復帰により,支持率を2位にした(2025年第2四半期から,2.68%→5.52%→11.80%)。民主党の党勢回復は,アピシットの党首復帰と他党の自滅を理由とすると思われる。この結果,第4四半期の順位は国民党,民主党,貢献党,誇り党となっている。首相候補も類似した傾向となっている。第4四半期は,ナタポン(国民党,17.20%),アヌティン(誇り党,12.32%),アピシット(民主党,10.76%),ジュラパン(貢献党,6.28%)の順で,「適当な選択肢が見つからない」が大幅に増加(第2四半期から,19.88%→27.28%→40.60%)している(注14)。
バンコクに関しては,解散後のデータがある(調査期間は12月15~18日)。支持政党は,国民党(26.25%),誇り党(10.05%),民主党(9.55%),貢献党(6.85%)の順で,「支持政党なし」は40.20%,首相候補は,ナタポン(16.95%),アヌティン(10.90%),アピシット(9.00%),ジュラパン(2.25%)で,「適当な選択肢が見つからない」が47.25%となっている(注15)。選挙まで2か月を切った時点で,有権者の半数近くが支持政党・首相候補を見出せていない。
2026年1月12日,NIDAは5~8日に調査が行われた「第1回:2026年選挙の勢い」の結果を発表した。政党支持は,国民党(小選挙区30.40%,比例代表30.48%,以下,同),誇り党(21.96%,22.32%),貢献党(15.72%,15.44%),民主党(12.16%,12.56%)の順となり,首相候補も,ナタポン(24.76%),アヌティン(20.84%),アピシット(12.12%),ヨートチャナン(9.64%)の順となっている。「支持政党なし」や「適当な選択肢が見つからない」が大幅に減ったが,順位などに新しい動きはない(注16)。
[注]
- (1)『タイ通』2025年12月17日。
- (2)ASEAN Chair’s Statement:Special ASEAN Foreign Ministers’ Meeting on the Current Situation Between Cambodia and Thailand, 22 December 2025.
- (3)Khmer Times, 24 December 2025.
- (4)Joint Statement of the 3rd Special General Border Committee (GBC) Between the Kingdom of Cambodia and the Kingdom of Thailand at Prum (Pailin Province of Cambodia) – Ban Pak Kard (Chanthaburi Province of Thailand) International Point of Entry On 27 December 2025.
- (5)Ibid.
- (6)The Nation, 24 November 2025; Termsak Chalermpalanupap,“Competition among Thailand’s Three Largest Parties Deepens the Country’s Political Uncertainties,” Perspective, Issue 2025, No.85, 6 November 2025 p.5.
- (7)『@niftyニュース』2025年12月17日。
- (8)『@niftyニュース』2025年12月25日。
- (9)『@niftyニュース』2025年12月26日。
- (10)The Nation, 24 December 2025.
- (11)The Nation, 25 December 2025.
- (12)The Nation, 26 December 2025.
- (13)The Nation, 28 December 2025.
- (14)NIDA Poll,Political Popularity Survey, each quarter.
- (15)The Nation, 21 December 2025.
- (16)『タイニュースクロスボンバー』2026年1月12日。
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