世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「親ガチャ」を死語にしたい:奨学金データから見える「静かな教育格差」
(立教大学経済研究所・国際貿易投資研究所 客員研究員)
2025.12.01
「がんばれば大学には行ける」。日本では,いまも語られることが多い。しかしデータを詳しく見ると,「どの家庭に生まれたか」だけでなく,「どの地域に生まれたか」が進学機会を静かに分けている現実が見えてくる。「“親ガチャ”を死語にしたい」との思いを秘めて研究を始めている。
筆者が研究で用いたのは,日本学生支援機構(JASSO)の「貸与型奨学金データ」(注1)と文部科学省「学校基本調査」,県民所得や賃金などの「都道府県別統計」である。JASSOが公表する約800ある大学別貸与者数から,「その都道府県の大学生のうち何割が第一種・第二種奨学金を利用しているか」を手作業で集計し,「奨学金貸与率」という指標を作成した。対象は47都道府県,2016年と2023年の2時点である。集計作業に学生の協力を得て初めて実現した研究である。
日本の大学等進学率には,半世紀にわたる地域差が存在する。東京や京都は1970年代から一貫して全国平均を大きく上回る一方,岩手・長崎・沖縄などは長期にわたり平均を下回ってきた。進学率そのものは全国的に上昇しているが,「上位グループ」と「下位グループ」の序列はほぼ固定したままである。
では,奨学金はこの格差をどう埋めているのか。2016年のデータで奨学金貸与率と大学等進学率の関係をみると,右下がりの散布図が現れる。奨学金貸与率が高い都道府県ほど,むしろ大学等進学率は低い傾向にあるのである。「進学率が伸び悩む地域ほど,奨学金に頼らざるをえない」という逆説的な構図が浮かび上がる。
次に,奨学金貸与率と「東京からの距離」を比べる。2016年時点では,首都圏から遠ざかるほど貸与率が高まる右上がりの関係が確認できる。青森,岩手,宮崎,長崎,沖縄など遠方の県では大学生の半数前後が奨学金を利用する一方,東京,神奈川,愛知,京都では利用率は2割台にとどまる。地方からの進学には授業料だけでなく家賃や生活費,交通費といった「距離に起因するコスト」が上乗せされ,その負担を埋めるために奨学金への依存度が高くなっていると考えられる。
しかし時間がたつと景色は変わる。2023年のデータで同じ分析を行うと,「距離」の影響は弱まり,その代わりに賃金指標の説明力が高まる。とくに一般労働者の男性賃金が低い地域ほど,奨学金貸与率が高い傾向がはっきりしてくる。最低賃金引き上げの影響もありパート賃金の地域差は縮小した一方で,フルタイム男性賃金の格差は依然として残っているからである。2016年には「東京から遠い」「女性パート賃金が低い」という二重の条件を満たす地域で奨学金依存が高かったのに対し,2023年には距離よりも地域の賃金水準,とりわけ家計の稼得能力の格差がより強い説明力を持つようになっている。時間の経過とともに,距離の効果の一部が所得・賃金格差に吸収されてきたと整理できる。
ここで重要なのが奨学金制度の性格である。日本学生支援機構の貸与型奨学金は返済義務を伴うが,無担保で低利・長期の資金を提供し,返済不能リスクの一部を公費が引き受けているという点で,教育費負担を社会化し,所得を時間的に再配分する仕組みとして機能している。日本の奨学金は「借金」であると同時に,小さな福祉国家としての役割も担っているのである。
しばしば「アフリカへの政府開発援助(ODA)を削り,日本の学生支援に回すべきだ」という議論が聞かれる。しかし,奨学金貸与率の地域差が示すのは,国内の若者がすでに不利な条件のもとで将来の返済リスクを背負わされているという事実であり,そこで必要なのは途上国支援との単純なトレードオフではない。むしろ,ODAで培われた教育支援の知見やネットワークを,日本人学生の奨学金と結びつける発想が求められる。例えば,アフリカ・アジアの人材育成プログラムと連動した「ツイン奨学金」や,開発協力に従事した卒業生の返還減免など,国内外の教育機会を同時に広げる設計もありうる。日本学生支援機構の貸与型奨学金でも,公務員や学校教員に就職した人の減免制度があっていいのである。
奨学金貸与率の地域差は,「誰がどこまで教育費リスクを負っているのか」という国内の再分配政治の地図であると同時に,日本が国際社会のなかでどのように教育への公的支出を位置づけるのかという問いとも結びついている。「家計」と「距離」の負担構造を可視化することは,高等教育政策だけでなく,日本の国際協力と学生支援をどう連動させるかを考えるうえでも,避けて通れない視点である。
[注]
- (1)日本学生支援機構は2016年度分から学校別に,貸与型奨学金利用実績や返済状況を公開している(「学校毎の貸与及び返還に関する情報」)。2025年7月4日,2023年度末時点のデータが更新され,筆者は2回目のデータ収集を行った。大学の所在地ベースのデータである。2027年度から,給付型奨学金も始まっている。この影響が今回の分析で反映されていないのは大きな課題である。学校毎の開示を継続するのであれば,給付型奨学金と統合したデータ集計が望ましい。日本学生支援機構は別途,2022年度から3年分,都道府県別の利用者については給付型,貸与型の人数,金額を公表している。2系列のデータに共通して欠落している視点がある。男女別の内訳がないのだ。近年,高校卒業した男性の就職率が女性を上回る。つまり,女性の大学等進学率が男性より高い。男女共生社会の実現に向けて,男性・女性に分けたデータ集計と分析が必須項目である。日本学生支援機構は,利用者数を学部学生数で割った利用率については学校別,都道府県別にも公表していないため,事実と異なる場合は,筆者のミスとなる。
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