世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
今,日本で財政刺激策が必要なのか
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2025.10.06
経済全体では需給均衡状態
自民党総裁選では各候補が家計支援策などの財政刺激で競い合いましたが,その一方で財源の議論はおざなりにされ,世の財政ポピュリズムの風潮に流されているようでもあります。
ただ,今,本当に財政刺激策が必要なのでしょうか。内閣府の推計によれば,2025年4-6月期のGDPギャップは+0.3%と小幅のプラスであり,経済全体で見た時の需給は概ね均衡状態にあることを示しています。ここで大規模な財政刺激策を打つと,需要の超過幅が大きくなって物価上昇圧力は増し,社会的ニーズが高い一部の分野では人手不足がさらに深刻化しそうです。政治家は,単に需要を刺激するのではなく,生産性改善や供給能力拡大を狙っているようです。しかし,これまでも様々な改革や成長促進策が打たれてきましたが,供給能力を示す潜在成長率は,1980年代末の年率4%以上から1990年代末には1%前後にまで下がり,その後も低い伸びに留まったままです。直近の2025年4-6月期は年率+0.6%と推計されています。
政府債務残高のGDP比は低下
日本銀行が発表している資金循環勘定のフロー表において,中央政府,地方政府,社会保障金を合わせた一般政府の資金過不足を財政収支と捉えると,2019年にはGDP比2.2%の赤字であったものが,2020年にはコロナ禍による景気の悪化とそれに対する財政刺激策の発動によってGDP比で9%近い所まで赤字幅が拡大しました。しかし,その後の景気回復と共に財政赤字は縮小して2025年前半には0.5%の赤字となり,財政収支はコロナ禍以前よりも改善しました。一方,資金循環勘定のストック表で一般政府の総債務残高のGDP比を見ると,2019年末の242.5%から2020年6月末には265.5%に上昇し,その後も2022年9月末まで255%以上で推移しました。しかし,その後低下に転じ,2025年6月末時点では222.8%とコロナ禍前の水準より下がりました。こうした財政収支の改善や政府債務残高のGDP比の低下により,減税や給付金支給などの財政刺激策を行う余裕が財政に出てきたように見えます。ただ,景気が良いときに財政に余裕ができたからと言って減税や歳出拡大などの財政刺激策を打つと,景気が悪くなった時には大幅に財政赤字が増え,政府債務残高も再拡大するでしょう。
財政政策で物価上昇に苦しむ家計への支援をうたうならば,その分,企業や富裕層への課税を強化するなどして財政収支への影響を中立化することが必要と考えられます。
円安方向に傾く為替市場のリスクプレミアム
現在,日本政府は債務のファイナンスを,外債発行などの形で海外に頼ってはいません。円建ての日本国債が債務不履行になることはまず考えられず,その点では財政破綻に陥ることはありえないでしょう。ただ,日銀が大量に国債を保有し,事実上中央銀行による政府債務のファイナンスが続いていることで,円に対する信認が揺らいでいると見られます。9月29日付の本コラム「日銀は利上げの機会を逸したのか」の中で,円安が進み,基調的インフレ率が大きく上昇し始めた2022年に利上げを開始すべきだったのではないかと述べましたが,景気と財政への配慮から金融政策の物価上昇と円安への対応が遅れたことが,結果的に先に述べた足元の財政状況の改善につながったのかもしれません。
2月24日付の本コラム「円ドル為替レートの行方」でも紹介した相対物価,相対生産性,金利差を説明変数にした円ドル為替レート推計モデルによれば,2021年12月時点では,モデル推計値は1ドル=117円台,実際の為替レートは115円台と大きな差はありませんでした。しかし,その後モデル推計値は130円台へと緩やかに円安方向に動いた一方,実際の為替レートは一時160円を超える所まで円安になりました。直近でもモデル推計値は131円台,実際の為替レートは148円台と,大きな差があります。このことは,円の信認が低下してリスクプレミアムが円安方向に傾いていることを示唆しています。円安は国内生産コストを相対的に下げる点では,国際競争にさらされている産業,企業にはプラスに働きますが,国際的購買力が低下する点では,家計の生活水準を下げ,日本経済の相対的衰退を加速させているとも言えます。
もちろん,この分析だけでは,日銀による事実上の政府債務ファイナンスが,為替市場のリスクプレミアムが円安方向に傾いていることの原因であるのかはわかりません。ただ,そうした疑いがある時に,政府債務の再拡大を招き,日銀の事実上の政府債務ファイナンスがさらに続くことを予期させるような大規模な財政刺激策を打つことは,得策ではないでしょう。
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