世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
香港で起きていたこと,今起きていること:外国人政策を考える
(亜細亜大学アジア研究所 教授)
2025.09.29
7月の参議院選挙で「日本人ファースト」を掲げた政党が支持を集め,政府は選挙中に泥縄で「外国人との秩序ある共生社会推進室」を設立,その後法相が外国人政策の抜本的見直しを公表,自民党総裁選でも「外国人政策」が争点の一つになるなど,なし崩しで押し寄せる外国人,海外マネーをこのまま黙視していてよいのか不安を呼んでいる。
この光景にはどこか既視感がある。それは,過去20年余りの香港の苦悩である。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生・拡大で経済危機に陥った香港は,それまで慎重だった中国本土からの観光客拡大に舵を切る。「自由行」と呼ばれる個人旅行(簡単な手続きで1週間まで滞在可能)が解禁され,人口約730万人の香港に大量の中国人が押しかけた(2010年以降コロナ下流行前まで年間4000万人以上)。
そうするとどういうことが起きるか。ホテルや商店,交通機関の他,入出境管理,不法滞在といった治安への影響も含めて,受け入れ能力への過大な負荷が都市インフラ全体に及ぶ。地元住民相手の商売よりも観光客に値の張る貴金属などを売った方が儲けは大きいので,普段使いの店は姿を消し店舗の賃料も高騰する。その過程で一部中国人旅行者の不衛生な行動や傍若無人な振る舞いが香港人の感情を刺激し,互いが「イナゴ」「植民地の犬」と罵りあい,双方に感情的な亀裂も生じた。
さらに香港政府は不動産市況テコ入れのために投資移民ビザを導入すると,あっという間に大陸マネーが押し寄せ,マイホームは香港住民には手の届かないものになってしまった。また,香港で生まれた子供には香港永住権を与える司法判断が出たことから,その取得を目的とした中国からの越境出産ビジネスが横行し,香港市民は自分たちの香港はどこに行ったのかと嘆くしかない。
そうした香港市民,特に若者のフラストレーションは沸騰し,2014年のセントラル占拠(雨傘運動)を経て「本土派」「自決派」と呼ばれる独立志向の強いグループ,いわば極右政党が出現する。独立の主張を隠さないこれらのグループは,2016年の立法会選挙で計6名が初当選したが,宣誓での不規則発言などを理由に議員資格をはく奪される。そうした伏線の下,2019年に大規模抗議運動が起き,2020年の香港国家安全維持法(国安法)制定で香港市民の抵抗は強制終了となったのだった。
このように中国大陸から押し寄せる圧倒的なヒトとカネに対する問題は,国安法後は落ち着いたように見えるが,今その焦点は教育分野に移っている。香港の大学を受験するには香港中等教育修了証(HKDSE)が必要だが,その試験に中国人学生がさまざまな手を使って押し寄せているのである。背景には,「高考」と呼ばれる中国の大学入学統一試験の競争が苛烈なことに加え,そうして大学に入学しても就職戦線はなお厳しく,そこにいる限り無限の競争から抜けられないことがある。そこからの脱出とより高い付加価値を求めて海外大学を含めた何らかの別ルートを探しているのが今の中国の若者や疲弊したその親世代なのである。
香港政府は国際的な教育研究拠点を目指し,昨年主要8大学における非地元学生の入学枠上限を定員の20%から40%に引き上げ,今年の施政報告ではさらに50%に引き上げた。香港の少子化や市民の海外移住による穴埋めの側面もあるが,割安に良質な教育資源を獲得しようとする大陸からの大群は市民にとって歓迎すべきものとは思えない。施政報告では野放し状態の違法なHKDSE対策講座や教育施設の取り締まり強化も併せて発表された。
我が国にも中国からの教育移民増加が報道されている。中国の大学入学定員は約1070万人,受験者は1335万人(2025年)に上るが,優秀な人材の獲得か単に少子化の穴埋めなのか,軸足の定まらない外国人政策は禍根を残すのではないだろうか。
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