世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国家のようで,国家でないもの
(杏林大学総合政策学部 教授)
2025.08.25
「EUってなに?」私が学生に時々する質問である。「国の集まりで・・・」という答えが返ってくる。それは確かにそのとおりなのだが,「じゃあ,なんのための集まりなの?」そこで沈黙が訪れる。学生たちも,それが単にG7のような国の首脳による「話し合いの場」というだけではないことぐらいはわかるからだ。
なにしろEUには大統領がいる。国旗や国歌に相当する旗や歌もある。なんと議会まであって,選挙が行われているし,中央銀行があって,通貨も発行している。そしてヒト・モノ・カネの移動はまるで一国内部のように自由である。では,EUは一つの国家なのか?そうではないことも,これまた皆が知っている。
大統領といっても,実は首脳会議の議長であり,アメリカやフランスの大統領とは随分と違う。旗も歌もあるが,実は公式に法的地位を与えられてはいない。共通の通貨に関しては,それを使っていない国もある。ヒトの移動を巡っては,いまやそれが紛争の種にもなっている。そう,国家のようで,国家でないもの・・・,それがEUなのである。
戦争の歴史を繰り返してきたヨーロッパ諸国は,各国のもつ国家主権を一部放棄・委譲するやり方をとった。その国家主権の一部を委譲された機関がEUである。当初は,復興と成長に欠かせない石炭と鉄鋼の管理に関わる権利,対外関税を策定する権利,あるいは原子力の管理に関して等であったが,その範囲は徐々に拡大していった。その結果,少なからぬ国家主権がEUに委譲され,EUはまるで一つの国家になるかのようであった。そして,そのことは,EUに主権の一部を委譲した加盟国が,まるで国家ではないかのようになっていく過程でもあったのである。
近代国家は,まさにこの「主権」によって特徴づけられる。この場合の主権とは,対外的には不可侵の独立性,対内的には統治する権利,とりわけ立法権である。主権の保持者が,当初の絶対王政から,今日の国民主権に変わっても,その主権という概念の重要性自体は変わらない。そして,その主権の及ぶ範囲・対象として,「領土」,「国民」という概念がとりわけ重要なものとしてクローズアップされることになる。
私はいまから7~8年前のこのコラムで,「国際化」と「グローバル化」の区別を論じた(「国際化とグローバル化」No.1005,2018年2月5日)。そこで私は,「国際化」とは,国家・国境の存在が相変わらず重要である前提で,それを超えてヒト,モノの交流が行われることであり,「グローバル化」とは,その国境そのものが一部有名無実化する現象である,と述べた。そう,国家のようで,国家でなくなる・・・つまりEUこそが究極のグローバル化なのである。
しかし,グローバリゼーションはもちろんEUの特権などではない。世界各国,もちろんこの日本においても,国境の内側と外側は部分的におぼろげになっている。インターネットや地球環境だけではない。人権,ジェンダー,移民,歴史解釈,ひいては鯨や鰻を食べることまで,われわれの国家主権にすべてが委ねられてはいない。
他方で近代国家は,第二次世界大戦後,福祉国家となることで,雇用と社会保障,そしてそれを享受すると同時に負担するメンバーとしての「国民」を,あらためてクローズアップさせざるを得なくなった。それが人々の生活にとって本質的なサービスの享受と負担――もちろん,その決定に参与する権利――に関わる以上,「国民のようで,国民でない人びと」は,曖昧なままでは済まされないであろう。
EUが国家になってしまえば,加盟各国は州や県のようなものだ。東京都からあがる税収を,北海道や沖縄のために使うように,ドイツ州の税収をギリシア州に配分することもできるだろう。青森県から労働者がやって来て,埼玉県の失業率が上昇することをあまり気にしないように,少なくともEU域内の労働移動については,文句を言う筋合いではなくなるはずである。しかし,決してそうではないからこそ,加盟各国は,国家であることをこれ以上放棄することができないのだ。
そう,現代の福祉国家ともっとも相容れないものこそが,グローバリゼーションなのである。国家のようで,国家でない福祉国家・・・われわれはそのような社会で生きることに,まだ慣れていないのだ。それがどんなものであるべきかも,まだわかっていないのである。だからこそ,そこでは狭量なポピュリズムによる排外主義と,その対極で,人類は皆兄弟と言わんばかりの博愛的平等主義の双方が生息し続け,都合よく選挙のスローガンに悪用されることになる。
ジョン・レノンはかつて「国なんてない世界を思い浮かべる。それは難しいことじゃない」と歌った。私ならイエスの言葉を借りて「ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい」と言うであろう。
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