世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ファジーな合意,詳細の不明,トランプ流交渉の成果とは
(関西学院大学 フェロー)
2025.08.11
約束を果たさなければ再び関税率を上げるとの脅し言葉が続く
米国とEUは7月27日,交渉妥結期限として設定されていた8月1日を前に,懸案の関税交渉で合意に達した。尤も,その詳細な内容は,日米合意の場合と同様に,余り明らかになっていない。
米国側・EU側の説明する合意の内容を,米・日の合意内容と敢えて比べると,以下のようになる(日本経済新聞:7月29日掲載)。これを見ると,米・日,米・EU,それぞれが合意した内容は,相互の主張の違い,或いは,当事者毎に謳い上げる成果なるものが異なり,それ故,合意内容の曖昧さが逆に否応なく目に留まる。
米国とEU双方が説明する合意内容と日米合意の比較
- 相互関税率:米側説明(15%),EU側説明(15%),日米合意(15%)
- 自動車:米側説明(15%),EUは直後の言及なし,日米合意(15%)
- 航空機・関連部品:米国は直後の言及なし,EU側説明(相互に0%),日米合意では直後の言及なし
- 半導体や医薬品:米側説明(医薬品は合意対象外),EU側説明(当面15%),日米合意(日本を他国より不利には扱わない)
- 鉄鋼・アルミ:米側説明(50%を維持),EU側説明(低関税の輸入枠設定),日米合意(合意対象外で50%を維持)
- 対米投資:米側説明(6000億ドル超),EU側説明(民間の投資計画ベース),日米合意(政府系金融機関が最大5500億ドル出資・融資・融資保証)
- 米国産エネルギー購入:米側説明(7500億ドル),EU側説明(年間2500億ドルを3年継続),日米合意(アラスカLNG開発を検討)
- 米国製防衛整備品:米側説明(EUが購入),EU側説明(合意の声明には含まれず),日米合意(現行計画内で購入)
日本,EUとも合意直後の発表では,米国との共同認識をもって合意内容を確認する形は採られていない。交渉国双方が別々に合意内容を国内向けに説明する,それが今回の,一連の関税交渉合意発表の特色といえる。
つまり合意はあくまでも枠組みの段階にとどまっており,詳細(例えば,商品分類の厳密な検証,米国の自動車ラベリング法との関連等など)は必ずしも十二分に詰まっていない…,或いは,意図的にぼやかされているのではないか…。細目は“合意”実施の流れの中で決まって行くのだと…。言い換えると,当事者間では詳細の詰めができないため,文章化できなかったのではないかと筆者には思えてならない。
米国とカナダ・メキシコとの自由貿易協定の枠組み内で制定されている,米国の自動車ラベリング法では,自動車に組み込まれる外国製部品の価値を合算し,大きなウエイトを占める上位2か国を特定しなければならない云々と定められている。今回の相互関税合意の際,こうした規定がどう扱われるのか不鮮明。扱われ方次第では,メキシコやカナダに自社の組み立て工場を分散させている米国メーカー(日本のメーカーの場合も事情は同じ)が,例えば日本から完成車を輸入する日本メーカーと比べ,不利になる可能性等が十分に考えられる…。そのためだろうが,米国の自動車社メーカーはこぞって,日米の自動車関税合意(税率15%)に反対している。こうした諸点が,実施細目を詰める際,どう扱われることになるのだろうか…。
詳細の詰めに入れないという事情のひとつは,米国では,合意の最終内容はトランプ自身が決めていることがある。細目を詰めて大統領にあげても,当の大統領がそれを一蹴すれば,交渉は頓挫する。或いはトランプが,そろそろ同盟各国との軋轢に終止符を打ちたいと思い始めている最中,「手続き上,必要だから」と細目を詰めても,トランプの意志に反する可能性もある。内情がそんな有様だからこそ,側近たちは大統領自らの決定に全てを委ねざるを得なくなっている。要するに,最終決定プロセスに側近たちの立ち位置はなく,ファジーにせざるを得ないのだろう。
こうした事情は,EU内部に於いても同じだろう。EUは加盟各国の産業構造は互いに異なっており,合意の損得収支は加盟国によって相当に違っているはずだ。だからこそ,EUも亦,内部の調整が十分に行われていないが故に,合意発表時点で詳細を書き込めなかったのだろう。尤も,EUは米国との合意内容を,今後,出来るだけ詳細に詰める努力を継続するとのことで,例えば自動車関税などでは,米国からの自動車輸入の関税率を当面2.5%にまで引き下げ,将来的にはゼロにするという。しかし,自動車生産主要国のドイツとの調整が如何に困難か…亦,米国からの工業品の輸入には,将来,関税率ゼロを目指すというが(日本経済新聞2025年7月30日),こうした関税率撤廃などでは,例えばワインの主要輸出国フランス等を含めEU域内諸国での調整が大変であろうことが容易に予見出来る。
交渉相手の日本やEUは,敢えてそのファジーさの中で,当面,関税紛争の鎮静化を図ろうとした。しかし,米側はファジーな状態であるが故,日本やその他の交渉合意国に,もし合意が実行されなければ,関税率を元の高率に戻すとの,脅迫もどきの言葉を突きつけざるを得ないのではないのか。
上記のような推測を交えて,例えば日米交渉の後,何が起こったか。ホワイトハウスは『…日本は,5500億ドルを戦略的な米国産業の再建に投資する…これは,世界史上最大の投資コミットで,数十万の雇用を創出し,製造業を活性化させ,米国に長期的な繁栄をもたらすだろう。投資対象分野は,エネルギーインフラとその生産分野(LNG,高度な燃料,電力網の近代化)…半導体の製造と研究(設計から製造までの米国内能力の再構築)…重要鉱物の採掘と精錬…医薬品・医療品の生産(外国依存からの脱却)…商用及び防衛用の造船(新しい造船所や既存施設の近代化)など…。いずれも米国が利益の90%を確保されるよう設計されている…』
一方,ラトニック商務長官は,ブルームバーグのテレビ・インタビューで,概要次のように述べている。「対日交渉は,とんでもなく米国に有利な取引だった…。トランプ大統領が,例えば半導体や医薬品等,安全保障上重要な産業を選べば,日本が資金を調達して支援する…。その利益は9割を米国に,1割を日本に配分する…それが,日本が市場を開放しない代わりに,トランプ大統領が得た日本からの公約だった…」
この発言にインタビュアーが,「石破総理は,それは融資だと言っているようだが…」と質問しても,長官は「融資・保証以上のものだ」と強弁していた。亦,「資金の受益者は日本企業ではないのか…」と質問しても,「日本企業に限らない。金融機関でもプロジェクトの実施者でも,色々あり得る…」との返答。
こうした米国の説明に対し,赤沢経済財政・再生大臣は「日本側が提供する出資・融資・融資保証5500億ドルの内,出資の形態は1~2%で500億ドル程度に過ぎない。出資分の利益配分は,日米で半々と提案したが,交渉で1対9となったが,しかし,失ったのはせいぜい数百億円…,交渉合意で関税の引き下げが実現出来たので,さもなければ損失していたはずの10兆円に比べると十分に元は取れている。そして損得ベースの成果は,トランプ政権の期間内に出す…」。と述べており,ラトニックなどの発言よりよほどしっかりしていると安堵の感情もわくというもの…。事実,日本政府は,関税合意を巡る進捗の管理体制づくりを急ピッチで構築し始めている(日本経済新聞」2025年7月29日等)。
しかし問題は,某野党議員がいみじくも述べていたように,米国側は,全てトランプ次第との態度に見え,トランプが卓袱台返しをする可能性もあり,今後の推移は依然不安定と案じられもする点だろう。
もっとも,米国は戦後の世界経済を再生させるため,GATT発足の1948年,自国の関税率を5%台にまで引き下げ,それ以降も,主要国を相手に関税引き下げ交渉を展開してきた。だがその間,最初は日独が,1980年代以降は中国が,それぞれに産業政策を大規模展開,国内に,或る意味,一国経済としては過剰な生産能力を整備するようになり,米国市場がその過剰分の吸収場に位置付けられ,為に,米国は恒常的な貿易赤字国に転落,それに対して,日独中などは,国内消費を増やさず,その裏現象として,貿易黒字が累積して行ったという事実を考えれば,トランプの一連の態度に思いが至らないでもない。
バンス副大統領やルビオ国務長官に,経済政策(とりわけ関税政策)で大きな影響を与えているとされる保守派のエコノミストOren Cassは,YouTubeなどで,“Free Trade Can not Rebuild America”とか,“Tariff Wins to Play”等の主張を展開してきた。
その論理は,「経済が台頭した国々が採用してきた産業政策は,企業に代わって国が直接資本投下するもので,必然的に経済の規模は大きくなる。それ故,国内生産は過剰化し,供給過多故に,輸入価格に比して輸出価格が伸び悩み交易条件も悪化する。つまり,こうした産業政策実施国の対米輸出は,当該国での過剰生産故,必然的に低価格化し,その商品が米国市場に入ってくると,米国製造業の価格競争力を劣化させ,ために米国内産業は淘汰されかねない。こうした状況に対応する手段,それが輸入関税の賦課だ」というものだ。
極端に言い換えるなら,相手国の大規模な産業政策に米国が対抗するには,それと同等なほどの経済効果を有する関税の引き上げこそが有効,というわけだ。
トランプの政策は,自由主義的市場経済の従来理論,すなわち輸入関税の引き上げは,米国市場での輸入品の価格上昇を伴い,米国内の物価は上昇する。自由貿易は善,保護貿易は悪…,と真っ向から衝突する。ところが実際には,トランプ関税による大規模な物価上昇は未だ起きていない。だから,トランプ大統領の政策に対し,米国有権者の支持は,米国のリベラル・メディアが期待するほどには,落ち込んでいない。
だが,トランプとて馬鹿ではない。このまま関税を巡る事態を放置すれば国内物価はいずれ上昇することは先刻承知。問題は手を打つタイミングなのだ。故に,パウエルFRB議長に,”Now is the time to lower the interest rate”と発破をかけるが,パウエル議長は頑として動かない。筆者が度々引用するトランプ自伝『The Art of The Deal』の中で彼は次のように記述する。「市場に対する勘の働く人と,働かない人がいる…私は,複雑な計算をし,最新技術によるマーケット・リサーチをする専門家をあまり信用しない…私は自分で調査し,自分で結論を出す…彼ら専門家は,大衆が何を望んでいるかがわかっていない…そして彼らも亦,他の人達と同じように,結局は世論に左右される」。
今,ここでの専門家をパウエル議長と置き換えると,トランプ大統領が,各種統計から今を読み取ろうとするパウエル流アプローチを好んでいないことは明白だ。だからこそ,わざわざFRB本部の補修建設現場を訪れ,メディアの前でパウエル議長に,建設コストのことで公然と苦情を述べ,同時に,早く金利を下げろと督促する。こんな,マスメディア向けのパフォーマンスが,“忘れ去られた人々”の間での,トランプ人気が高まることを承知の上で,且つ,後日,金利を引き下げなければならなくなった際,「だからあの時に言っておいたではないか」と,パウエル議長を責めてスケープゴートに仕上げるための事前準備として…。こうしたトランプ大統領の,色々な思惑含みのパフォーマンスを観察していると,トランプ大統領のマスコミ利用と人心掌握術の巧さに,否応なく唸ってしまう。トランプ自伝には次のような言葉もある「フランク・シナトラに劣らない美声の持ち主は世の中には沢山いるが,誰にも知られなければ自宅のガレージで歌っているだけだ…必要なのは,人々の興味を引き,関心を集めることだ…マスコミについて私が学んだのは,彼らはいつも記事に飢えており,センセーショナルな話程受けるということ…だからマスコミには,積極的に話をするが,インタビューに応じる時は,なるべく短時間で終わらせるようにしている」云々…。
最後に,併せて指摘しておくべきは,トランプの各種関税合意の中にも,それなりの理由付けが,一応は通っているという点。例えば,一連の交渉の結果,交渉相手国(含む中東諸国)の多くが,米国からの航空機輸入を誓約したが,そんな実情をNYTはBoeing Emerges as a Winner in Trump’s Trade Warsという記事(2025年7月25日)の中に書き込んでいるし,亦,鉄鋼・アルミ関税率を50%,もしくは合意対象外商品として位置付け,米国への輸入に依然高いハードルを設けたままにしてある点などに関しては,同じくNYTはThe World Has Too Much Steel, but No One Wants to Stop Making Itという記事で,その必要性を指摘している(同じく2025年7 月25日)。
政治は生き物,と同時に経済も生き物…。トランプが同盟諸国との関税交渉を一応ここらで止め,これからはロシアや中国との間での,新型国際関係確立交渉に一層の意を払いたいと思っても,タイミングを同じくして関税引き上げの影響で,輸入品の価格が“じわじわと”上がり始める,そんな事が仮に起これば…。今トランプが一番避けたいと思っているのは,これから歴史的DEALをロシアや中国としようとするとき,その足元を米国でのインフレ再発が払ってしまう事態なのではないだろうか…。
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