世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
先端半導体輸出の新規制にみる米国のジレンマ:日本からみた東南アジアAI市場の戦略的重要性
(ITI 客員研究員・元福井県立大学 教授)
2025.02.03
人工知能(AI)分野の覇権を睨んだ米中の争いが過熱している。中でも,現在,混乱を招いているのは,バイデン前大統領が1月13日に発表したAI向け先端半導体輸出に関する新たな規制だ。世界の国・地域を3つのグループに分け,先端半導体が第三国を通じて中国などに輸出され軍事転用されるリスクを防ぐ狙いがある。しかし,同盟国でも敵対国でもない約120の国に複雑な制限を課す新たな輸出管理システムは,米国製の先端半導体に対する世界的な需要の減少につながる恐れがある。それは,とりもなおさず,各国が必要とするAIと社会の発展を妨げ,世界の分断を助長することにほかならない。
米国をここまで追いつめているのはAI分野における猛烈な中国の追い上げだ。中国は2030年までにAI分野における世界のリーダーになるとの目標を掲げており,2023年には全国440の大学にAIの学部専攻を設置するなどAI人材の育成にも余念がない。わけてもホワイトハウスが危機感を募らせているのは世界のトップAI研究者(注1)の主な拠点が急速に米国から中国に移っていることだ。米マルコポーロ研究所が2024年に発表した「グローバルAI人材追跡調査(2.0)」によると,2019年当時,トップAI研究者の59%が主に米国に拠点を置いていたのに対し,中国は僅か11%に過ぎなかった。それが2022年には,米国の42%に対し中国は28%と,全体の17%が米国側から中国側に移っているのだ。さらに,世界知的所有権機関(WIPO)によると,2014年から2023年に中国が公開した生成AIに関するパテントファミリーは3万8,210件と全体の約7割を占めるに至っている。
一方,2018年にFBIなどが「経済スパイや知的財産権窃取を通じて,米産業界や大学に深刻な影響をもたらしている」としたのが,海外のハイレベル人材を中国に還流させる「千人計画」だ。採択者は2008年から2018年までの10年間で約8000人に上る。対抗措置として,トランプ政権は2018年11月から「チャイナ・イニシアチブ」を繰り広げたが,当初の目的から逸脱し,「中国研究者狩り」や「人種差別」といった批判が高まったため,バイデン政権下の2022年初頭に中止した経緯がある。チャイナ・イニシアチブはむしろ中国系人材の米国離れを加速させたと言えよう。なお,ロイターなどによれば,「千人計画」は現在も「啓明」計画と名を変え,密かに範囲を広げて継続されている。
ところで,過去の研究論文等でも指摘されているとおり,米国の対中輸出規制は,結果的に,莫大な補助金と研究開発投資を通じて,中国企業の技術革新を促すことに繋がっている。特に,現在のAI研究はより複雑で高度な知識が要求されるため,米中を中心とする研究者間の協力は不可欠と認識されている。さらに,最新の研究論文によると,AI分野では,米中の科学者の共同研究による論文は,一方が主導し,他方が関与していない論文よりも遥かに影響力が大きいことが示されている。中でも特筆すべきは,他国との共同研究によるシナジー効果はどの国との間でも見られたが,米国の場合,もっとも影響力のあるコラボレーションの相手先が中国だったのに対し,中国の場合は米国以外の国との関係でも同様な効果が見られたことだ(Scientific reports 2024年11月19日付)。これは,AI研究における米中のデカップリングは「米国に不利な結果を招く」可能性が高いことを提起している。
こうした中,日本が注目すべきは,米中どちらにも中立な立場を維持しつつ,米中を補完するAI発展の道を模索している東南アジアの存在である。約7億人の人口を擁する東南アジアには9つの公用語が存在するが,生成AI開発の基盤となる大規模言語モデル(LLM)は大半が英語を軸に作られているため,東南アジアの言語では上手く動作しないことが多い。このため,この地域では,多様な文脈,言語,文化を取り入れたLLMのニーズとチャンスが生まれている。中でも,AIスタートアップと公的研究機関との官民協力による国家プロジェクトであるAIシンガポールが開発したSEA-LIONは,11の東南アジア言語で訓練されたオープンソースのLLMとして広く利用されている。2024年2月には,「AIのガバナンスと倫理に関するASEANガイド」が公表されるなど制度的な基盤づくりも進んでいる。一方,日本政府は1月17日,バンコクで開かれた日ASEANデジタル大臣会合で,東南アジア各国の言語でのLLMの研究開発を等への協力を呼び掛けたが,一刻も早くフルスロットルで実施すべきだ。成功すれば,他の非英語圏への展開にも弾みがつくのみならず,日本をロールモデルに自国企業の海外進出を支援する国も増えるであろう。しかし,日本の努力が頓挫することになれば,民主主義や自由などの価値観にそぐわない生成AIが東南アジアの国々に広がっていくことが危惧される。本稿執筆中に世界を駆け抜けた「ディープシーク・ショック」は,奇しくも中国の研究水準の高さを証明するとともに,生成AIのデカップリングによる民主主義の危機がすぐそこに迫りつつあることを如実に知らしめるものであった。その意味でも,この地域で生成AIの採用がどのように展開されるかは,今後の世界情勢にも大きな影響を与えるものと思われる。
[注]
- (1)難関かつ世界最高峰レベルのAI学会として知られるNeurIPSに論文が受理された著者のコホートをトップクラスのAI研究者の代理と見做している。
関連記事
池下譲治
-
[No.3609 2024.11.04 ]
-
[No.3523 2024.08.19 ]
-
[No.3393 2024.04.29 ]
最新のコラム
-
New! [No.3732 2025.02.17 ]
-
New! [No.3731 2025.02.17 ]
-
New! [No.3730 2025.02.17 ]
-
New! [No.3729 2025.02.17 ]
-
New! [No.3728 2025.02.17 ]