世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3333
世界経済評論IMPACT No.3333

脆弱国家の平和構築は甘くない:再びミャンマーについて

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2024.03.11

 ミャンマー国軍によるクーデター発生から3年以上が過ぎた。2年前の拙稿(『ミャンマーは狭い回廊に戻れるか』2022年5月23日付No.2543)では,アセモグル/ロビンソンの著作『自由の命運:国家,社会そして狭い回廊』が提示する枠組みを援用し,いったん「狭い回廊」に入って民主化の実験途上にあったミャンマーが,混沌とした「不在のリヴァイアサン」に逆戻りしたと論じた。

 後知恵になってしまうが,少数民族武装勢力との火種を抱えたまま,50年近く続いた国軍統治の権力構造が,民政移管後の10年間で大きく崩れるはずもなく,西側諸国の期待が過剰だったのかもしれない。

 国軍が不合理に見えるクーデターの挙に出たのはなぜか,アウンサンスーチー氏と国民民主連盟(NLD)のリーダーたちが国軍の意図をどう見誤ったのか,これからどんな和平への道筋があり得るのか。これらの点について,クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学:人はなぜ戦うのか』(日本語版,2023年刊)から得られる洞察を,やや強引にミャンマーに当てはめてみたい。

 ブラットマンはまず「戦争は例外であり,通常は選択されない」という前提からスタートする。ゲーム理論では,敵対する集団同士が「ホモエコノミクス」として合理的な戦略を取る場合,戦うことで負う膨大なコストを考えれば,失うものがより小さい和平交渉を選択することが予測できる。軍事力の弱い側は確実に破滅的な結果を避けるために不公正な和平を甘受する。実際,歴史はそうした事例であふれている,と指摘する。

 そのうえで同書は古今東西の具体例を引き合いに出しながら,「例外」としての戦争や紛争に焦点をあてる。ある集団が被る期待損失を無視して戦闘に踏み切る原因を,⑴所属集団に抑制されない指導者の個人的利益,⑵地位,名誉,神の栄光などの無形のインセンティブ,⑶敵のブラフを読み切れない不確実性(情報非対称),⑷和平交渉へのコミットメント問題(「トウキュディデスの罠」や「予防戦争」に相当),⑸誤認識(心理学に多くの知見が見出される)-の5つに整理する。多くの場合,これらの複数が組み合わさることで,戦闘の蓋然性が高まる,と論じる。奇抜なアイデアはないが,ブラットマン自身の研究を含め,数多くの実証研究を丹念に整理している。「最後通牒ゲーム」の実験結果から得られる洞察とも重なる論点が多い。

 以上の5つの原因のうち,クーデターに至ったミャンマーに当てはまるのは⑶⑷⑸の組み合わせだろう。

 民主派勢力は,西側諸国から寄せられた援助ラッシュに力を得て政治改革を急ぎ過ぎたのかもしれない。ミャンマー版の天安門事件である1988年の「8888民主化運動」弾圧への恨みが,NLD指導層の間で漸進的アプローチの余地を狭めたのかもしれない。結果として,国軍が実力行使に訴える確率を過小評価していたことになる。経済的既得権益が徐々に削られていくことに対し,国軍側から不満を示すシグナルもしくはブラフが数多く表明されていたはずだが,その本気度を誤認識したのだろう。

 一方,国軍側は,民主派勢力の急速な台頭に危機感を強め,このままいくと一方的な利権剥奪につながると予想し,予防戦争のインセンティブが高まったのだろう。長らく国民を統制してきた成功体験からくる誤った自信過剰もあっただろう。

 両者ともに,敵意が先に立ち,お互いに相手を悪魔化し,リスク評価が甘くなり,冷静な話し合いよりも実力行使への確信を深めたということかもしれない。ブラットマンは,こうした状況では,和平に向けた「交渉領域が狭くなる」と指摘する。

 一方,クーデター後のミャンマー各地での反国軍戦闘の背景には,上述5原因のうち,⑴と⑵が大きいと考えられる。少数民族武装勢力の多くは国軍と断続的に戦闘行為を続けてきた。これら諸勢力の指導層は,国軍統治の正当性が弱まったと見るや,再び大義を掲げて攻勢を強めると同時に,支配地域での非公式経済(鉱物資源採掘,カジノ,麻薬などを含む)の利権を拡大する好機と見ているかもしれない。一方,民政移管後のリベラルな空気と開放的な通信環境のなかで育った若者層の一部は,義憤により草の根レベルで国民防衛隊(PDF)に加わっているのだろう。

 ブラットマンは,和平に向けた外部からの介入手段として,①懲罰:厳しい措置をとって強者に暴力を使わせないようにする,②執行:合意が自然に持続するようになるまで,確実に守らせるようにする,③調整:情報を共有し,交渉のプロセスを迅速で円滑なものにする,④インセンティブ:強者が交渉のテーブルにつき,そこにとどまるようなエサを考える,⑤社会化:不適切な評価の枠組みや誤認識のない社会を育てる-の5つを提唱する。

 一般的なアドバイスとしてはなるほどと思うが,ミャンマーに当面適用できそうなのは①だろうか。ブラットマンは,戦闘行為から私的利益を得ている個人を特定し,彼らの資金の流れを追い,彼らの資産隠しに手を貸している弁護士,銀行,ペーパーカンパニーなどを特定することが有効だとしている。スーダンの腐敗政治家に対し,非営利団体の専門家チームがこうした活動で成功したことを紹介している。ミャンマー国軍幹部に関してこの方面で実効力のある国際協力が必要だろう。

 ミャンマー国軍は徴兵制を強制施行してまで若者を動員しなければならないほど窮している。①によって権力の中枢を少しずつ切り崩していくことで,④の交渉プロセスに近づけることができないだろうか。甘いだろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3333.html)

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