世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3327
世界経済評論IMPACT No.3327

AIは夢を見るか?

安室憲一

(兵庫県立大学・大阪商業大学 名誉教授)

2024.03.11

 AI(とくに汎用人工頭脳:AGI)はやがて人間の思考能力を超えるといわれている。その結果,AGIが「自立性」を持つようになり,人間を支配するようになると警告されている(Bostrom,2014:邦訳2017)。本当にそんな時代が来るのだろうか。本稿では現在の半導体技術の延長線上では,機械の頭脳が人間を超えることはないと主張する。むしろ危険なのはAGIを悪用する人間や組織(政府を含め)である。それをどう制御するかが当面の課題である。

形式知と暗黙知

 現代人は「形式知」(言語や方程式,記号・数量で表現されたデータ)だけが知識だと考えがちである。確かに現代文明は言語世界を中心に構成されている。しかし知識の総量を考えれば,我々は豊かな「非言語」世界に暮らしている。非言語知識は「暗黙知」と呼ばれ,「意味記憶」(言語的記憶)に対する「エピソード記憶」として区別されている(澤田,2023)。非言語世界は,我々の五感(視・聴・臭・味・触)から構成されている。五感で形成される経験知は「エピソード記憶」として脳に深く記憶される。それは非言語知識が生きていく上で不可欠だからである。

 生命体は初期の細胞の頃からある宿命を負っている。第一は,他の生命体を捕獲して食うこと。第二は,他の生命体から食われないよう逃げること。第三は,パートナーを見つけて子孫を残すこと,である。生き延び繁殖するためのノウハウが五感に基づく「非言語知識」であり,恐怖や喜びの感情を伴う「エピソード記憶」である。学習の未熟な個体は攻撃されやすく,豊かな知識を持つ個体は生き延びる。したがって,進化は脳を大きく発達させる方向に向かう。その結果,進化の頂点にいるのが人類である。

 我々の祖先のホモエレクトスが800万年前に木から降りて歩き始めたとき,周囲は敵だらけだった。地上には危険な猛獣がたくさんいる。食料を得るためには仲間と協力して行動しなければならない。必然的にコミュニケーション能力が発達する。言語能力を獲得するためには大脳の前頭前野を大きくし,道具を製作するためには側頭連合野を強化しなければならない。脳を大きくするために人類は進化生物学的に相当な無理をしている。それが早産と長い赤ん坊時代である。

 普通,哺乳類は1年ほどで出産し,赤子はすぐに自分の足で歩く。そうしないと肉食動物に襲われる。人間は10月10日の早産である。それ以上子宮にいると頭が大きくなりすぎ,産道を通れなくなる。出産後も頭(脳)を大きくすることに専念し,体の生育は後回しにされる。チンパンジーなら5-6歳で親離れするが,その年では人間の子の体は未発達である。成人に達する17歳あたりまで脳は成長する。つまり人類は脳の成長を優先し,体を後回しにする変則的な哺乳動物である(だから集団で生活しないと子育できない。現代の少子化傾向は進化論的に必然である)。人間に一番近い類人猿はチンパンジー(ボノボを含め)であり,そのDNAの98.5%は人間と同じであるという。わずかな差が両者の違いをもたらしている。筋力ではチンパンジーの方が上だが,言語的能力(形式知)では圧倒的な差がある。

脳の構造と機能から見たAIとの違い

 人間の脳の基底部分には「幹脳」と呼ばれる器官がある。それは太古から継承された脳であり,内臓の制御を担当する「爬虫類の脳」と呼ばれる器官である。その上にあるのが,大脳辺縁系(旧哺乳類の脳:感情・感覚・記憶)と新皮質(霊長類の脳:理性・事実認識)である。五感で得られた情報は脳の中心部にある「視床」に集められ,大脳周縁系と新皮質で分散処理される。短期的な記憶を保持・処理するのが「海馬」と呼ばれる器官である。海馬は重複する情報は棄却し,重要なものは分解・整理して記憶に貯蔵する。一日に五感から得られる情報は膨大で,とてもすべてを記憶しておけない(海馬はキャパシティが限られる)。そこで情報の取捨選択が必要になるが,それは「睡眠」中に行われる。睡眠はすべての生物にとって必須だが,睡眠をとらないと脳はブレークダウンする。その情報整理が「レム睡眠」であり,記憶を整理する過程で「夢を見る」。「海馬」の記憶容量が限られているので,日々,情報の取捨選択と消去(忘却)が必要なのである。この「忘れる能力」が脳のオーバーロードを防いでいる(小林,2023)。

 この「忘れる能力」がうまく働かなと「アスペルガー」疾患になり,しばしば天才がこの特徴を持つ。つまりAIは「忘れる能力」を持たない機械脳なので「一種のアスペルガー」である。ここに凡人でもAIを使いこなせば天才になれるチャンスがある。

 「忘れない脳」を設計するとしたら,脳のキャパシティは無限に大きくなるだろう。使われる半導体の数は膨大になる。人間のニューロンの数は1000億個と言われている。それに使われる電力は20ワットに過ぎない。1000億個の半導体で構成されるコンピュータはどのような大きさになり,どれだけの電力を消費するだろうか。今のところチャットGPTは言語知識と映像データしか扱えない。非言語知識がないので「感情」や「理性」,「心」を持たず「夢を見る」こともない(言語のない犬や猫にも心はあり夢も見る)。したがってAGIは人間の脳とは似て非なるもの,「夢を見る」ことのない機械仕掛けである。

 AGIが人間に近づくとしたら,五感を備えたロボットが登場するときだろう。このロボットは五感から得られた膨大な情報を整理するため「自動休止」するよう設計されるだろう。その時,「夢を見る」かもしれない。AGIの見る夢はメタバースの世界かもしれない。

 しかし現在の半導体技術の延長では「夢見るAGI」の作成は不可能だろう。ロボットの頭が巨大になることは間違いない。要するに,生物学に基礎を置く生体演算子(人口ニューロン)が生まれない限り,「夢を見る」AGIは出現しないだろう。

 それよりも緊急に必要なのは,AIを悪用する人間や組織の監視と抑止である。原子爆弾を例外として,技術は「中立」であり,善でも悪でもない。善悪は技術を使用する人間や組織の側にある。AIを悪用する者の監視もまたAIに頼らざるを得ない。当分はこちらの研究が優先されるだろう(日本経済新聞2023年12月1日,2024年3月4日朝刊)。

[参考文献]
  • Nick Bostrom(2014) Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies, Oxford Univ. Press.(ニック・ボストロム著 倉骨彰訳『スーパーインテリジェンス:超絶AIと人類の運命』日本経済新聞出版社,2017年)。
  • 澤田誠著『記憶のミステリー』講談社現代新書。
  • 小林武彦著『なぜヒトだけが老いるのか』講談社現代新書。
  • 黒田忠広著『半導体超進化論』日本経済新聞出版部。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3327.html)

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