世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3200
世界経済評論IMPACT No.3200

誤謬なきマクロ経済学?

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2023.11.27

 白井さゆり先生が11/6付IMPACT(No.3177)で指摘されているように物価高は施政者にとって鬼門である。物価安定は庶民にとって一大事であり,共和制から帝国につながる古代ローマ時代から国政の要諦である。1年半の間,物価上昇率が3%を超えるような状況が続いているが,「良いインフレ,悪いインフレ」という解説は大多数の庶民にとっては無意味である。原因が何であろうと消費者や中小企業には「物価が上がる」という耐え難い事象である。製造業の友人らの内輪話でも原材料やエネルギーの高騰で収益の悪化を嘆く話が増えている。研究機関でも予算年度内で申請額以上に費用が高騰してしまうという事態に直面することになり,物品の購入延期,海外の学会会費や参加費用を賄えないという事態も生じている。研究用の薬品や機械類は意外と欧米製が多く円安は手痛い打撃となる。技術立国を推進しようとしてもままならない研究現場を顧みることもせずに円安を囃し立てる経済専門家は何を考えているのだろう。

 マクロ経済を力説される専門家の方々もマネタリーベースのマクロ経済学的評論することが減少した。それでも,「マクロ経済」をあたかも理論のように振りかざして国民にとって円安は正しいと言い切る識者はクレイジーである。マクロ経済学(英語ではMacro-economics)の観点からの解説は統計を多用する。概ね「平均値」にもとづく「経済指数」を使う。言説にあった「平均値」を用いるので,理系人が現象を理解するために使う偏差はあまり使わない。加えて,回帰分析をすれば,最近「東洋経済」電子版に論評されたように「野菜の高騰は家計にとってわずかな影響だ」というようなインフレ妥当論は一歩踏み込んだ議論になるはずである。恐らく,大根やネギの高騰を大袈裟に煽る一方で「高所得者の上級国民はこう言ってますよ」という二項対立で視聴率を取りたいマスコミを卑下したいのだろう。野菜の高騰はガソリンや灯油を中心としたエネルギーコスト上昇も反映しているので野菜の価格云々を指摘することは片手落ちである(放送禁止用語で申し訳ありません)。ガソリンや灯油の燃料代に苦しむ地方から見ると,都市部在住者が唱えるマクロ経済学は多くの国民からそっぽを向かれ,再びマルクス経済学のような「民衆への回帰と共産主義」を軸とした政治経済が台頭する危険性を孕むように見える。マクロ経済学は行動経済学など数々の修正論が加えられていることから,その立脚点を真剣に再検討する時期に来ているのだろう。

 学問の進歩は定説や理論を疑うことから始まる。実際,覆されそうにない熱力学の三法則以外は常に再検討や新理論が湧き出ている。最近も素粒子について新たな力が存在するのではないかということが報告され,現在の統一理論が揺らぐ可能性がある。なお,熱力学の法則が覆されそうにないのはそれを表す数式(関数)に時間が変数として入っているためである。従って時間を逆行する理論が見つかれば熱力学の法則も変更を迫られる。ここでいう時間逆行はSFの世界(登場人物の主観時間は逆行しない)で使われているものとは異なるので,念のため。なお,数学の「虚数」の世界では時間が可逆性であっても数式が成り立つが,あくまで「虚」なので実世界では起こり得ないとしている。四則演算は「こうなんですよ!」と教わるが,高等数学では非ユークリッド幾何学のように1足す1は2とならない場合もある。ダーウィンの進化論とて100%正しいとは言えない。

 ケインズにはじまるマクロ経済学だがその学説は数々の論点が存在しているのでマクロ経済「理論」とするには流動的なのであろう。かなり飛躍していると思うがマクロ経済学を公共事業や大企業事業所の建設と運営と比較して考察してみた。

 世界経済評論読者にとって「自明」であると思うが,アダム・スミスは政治経済学の目的の一つは人々に十分な収入や生活費を提供することと言っている。公共事業推進や大規模事業所建設と運営も,それを実施することによって人々に利便性や生活の質を高める,生活に資する製品を適正価格で提供する,あるいは安全性を向上させる活動なので,アダム・スミスの考えを推し進める屋台骨を形作るものといえる。実際に20世紀初頭の大恐慌の際に導入されたニューディール政策は,多くの失業者に職を与え賃金を獲得させることによって購買力の向上とインフラを整備することであった。中でもテネシー川流域開発公社(TVA)は現在にも続く地域開発事業である。しかし,アリゾナ州に滞在した経験から,ニューディール政策によってコロラド川に建設されたフーバーダムは,建設技術,治水,発電,砂漠地帯への灌漑による農業発展と街の形成(特にラスベガス)という公共への成果の反面,ネイティブアメリカンへ恩恵は低かったので今日まで社会的民族的課題が続いている。彼らの居留地は特別自治区として政府から年金を保障されているが,アル中や極端な肥満などの弊害が顕在化している。滞在していた1980年代前半に,ネイティブアメリカンの村から初めてアリゾナ大学へ進学したことがローカルの大きな話題になった。西部劇の時代ならいざ知らず,80年代になってもこのような格差が存在していた。マクロ経済学的には米国全体を救ったニューディール政策であったが,ミクロの生活圏への影響は学説に取り込まれていなかった(日本の国土面積の80%弱の面積,GDPが米国内でおよそ20位,半導体工場建設のビッグプロジェクトが目白押しのアリゾナ州をミクロ経済圏と看做せるかは読者にお任せする)。

 フーバーダムだけではなく,ニューディール政策は米国で産業を飛躍的に発展させる原動力になった。経済学の世界ではニューディール政策の結果が詳しく研究されている。しかし,産業推進と失業対策だけでなく,軍事技術につながる学術的な発展ももたらされている。これはマンハッタン計画の基礎的土台となって原爆へ繋がっていくので経済学からの評価では御しきれない。単に経済的な運営について課題だけでなく科学や工業への影響も論じられている。インフレに右往左往している国民に対して単にマクロ経済とデフレ脱却を押し付けることをやめるべきであろう。

 バブル崩壊から20年以上にわたるデフレ状態を脱するためにマクロ経済的手法から「黒田バズーカ」で通貨供給量を拡大したが即効性はなかったことは事実である。11月の「私の履歴書」は,その当のご本人なので「黒田バズーカ」の理論的立て付けと成果について言及が語られることを期待したい。筆者は日米通商交渉や米ソ戦略兵器削減交渉(SALT- I & II)の実務担当者ら(いわゆるシェルパ役)と懇意になり国家間実務の数々の苦労話を教示されたことがあるので,お金の世界での成功譚がほとんどの「履歴書」は鼻白む。

 円安は多くの国民と中小企業を苦しめている。「そうではない,マクロ経済に下づく超緩和策は一層堅持すべき」という識者は,「株価には良い影響」「住宅ローンや企業の借金返済に負担がかかる」「デフレに逆戻り」など,ミクロ的説明で煙に巻いている。産業技術的には通貨の価値は国力を示し,コロナ前に比べて約40%円の相場が下落しているので国富流出が激しくなっている。良い技術であっても資本力のある大企業でなければ現在の為替状況では足元を見られてドルベースでは値切られる。円高最高値の1ドル89円の時代,経済諸団体は「産業に集中して効率の悪い農業産品は海外から輸入すれば良い」と公言していた。実際に食料自給率はその通りになっていて,今になって安全保障の観点から大問題として浮上している。経団連加盟各社が国民を救ってくれるわけでもなく,新規技術への投資はちょぼちょぼで経営者の給料だけが「世界水準に合わせる」という名の下に鰻登りで上昇した。生活費が安くても研究費が「世界水準」からかなり低い我国の大学に留学・進学してくれる若者は少なくなっていく。

 それでもマクロ経済は正しいのだろうか。マクロ経済に固執する方々と議論をしても水掛論で無駄であるので,むしろ,これらの「識者」に自らの主張をスーパーで演説してみることを推奨する。生卵をぶつけられるのがオチであろうが。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3200.html)

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