世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2893
世界経済評論IMPACT No.2893

「たまさか」の手懐け:地域企業の事例研究からのひとつの気づき

大東和武司

(関東学院大学 客員研究員・広島市立大学 名誉教授)

2023.03.27

 地域企業を視ていると,それぞれに汲めども尽きぬ生きざまといった豊潤な背景がある。それぞれに,しっかりとした信念が裏打ちされた背景である。多様で,それぞれに美意識があるといっていいかもしれない。

 日本画に「たらし込み」という表現技法があるそうだ(注1)。これを意図的に使い始めたのは,俵屋宗達であるといわれている。たらし込みを絵画表現に巧みに使いこなした宗達が墨絵の歴史に新たな可能性を見いだしたと水墨画家・大竹卓民はいう。たらし込みは,墨汁を紙にあて,それが半渇きしたところに異なる淡さの墨汁なり水滴を筆先からたらす技法である。たらす量,選択した位置などによって,できあがる墨模様のありようは偶発的に変わる。ほどよい按排が必要になる。宗達はこれを巧みに使いこなし,偶然,「たまさか」を手懐けていった。最初は,ほんのいらずら心からであったかもしれないが,好奇心と創意工夫の積み重ねによって,それを熟達の域にまでさせた。

 地域企業においても,こうした「たまさか」を手懐けて,自分のものにしていく術・技を,しなやかに,あるいはしたたかにもっているように思われる。宗達は,量感あふれる筋骨の牛がもつ躍動感を強調するために「たらし込み」技法で毛並みを描いたり,葉や土の質感を自然に,そこはかとなく描くためにその技法を使った。その背後には,対象に向き合って,息づかいやあわれさ,また自然のことわりなどを含んだ真実を伝えたいという強い制作意欲があったであろう。地域企業においても,それぞれの事業を展開していくなかで,何としても成功させるのだ,存続させるのだという強い事業意欲,熱意が浮かび上がってくる。それは,信念が確固たるものになっていく過程をともない,裏打ちされている。なかに偶発的なことも加わりながら,熱意に,遊び心を含んだ強い好奇心と創意工夫を重ね,事業の深耕また展開をさせている。

 しかしながら,そこには自社のみでの完結型の意識ではなく,対象(あるいはまた他者,社会)との関係性を捉えたなかで事業を発展させようとする姿がみえる。その根柢には対象への理解を深めようとする気持ちがある。理解は敬意になる。敬意によって,自らの思いが生きる。自らのアイデンティティも守ることにもなる。敬意を持つがゆえに,アイデンティティが守られているといってもいい。それによって,対象(あるいは他者,社会)としっかりとつながっていく。単なる打算ないし経済的合理性ではなく,非経済的効用が相互に高まっていくことにもなる。

 「生命現象はデータ処理と異質」との興味深い論稿がある(西垣通 2022)(注2)。世界のありようは時間の経過とともに無秩序になっていくというのがエントロピーの増大則(熱力学第2法則)であるが,物理学者のシュレディンガーは,生物は秩序を創りだすので,この法則は成立せず,「生物は負のエントロピーを食べている」といった。その後,分子生物学で塩基配列が解読されてできるたんぱく質が生物の本質であるとなり,データ配列の逐次情報処理と生命現象が結びついた。しかし,通信工学での「エントロピー」は「平均情報量」のことであり,熱力学におけるエントロピーと通信工学でのエントロピーは概念的に異質だそうだ。

 しかしその峻別もなく,人工知能(AI)機能を持つロボット研究が進んだ。ロボットの中核はコンピュータで,多細胞生物の人間には心の働きがあるはずであるが,人間の本質がデータの情報処理となっている。米本昌平(2020)(注3)は,地球誕生後,多種多様な分子が相互作用し,熱力学第2法則に抗する安定した分子系が誕生し,それが生命である(メソネイチャー仮説)という。そうであれば,メソネイチャー(中間レベルの自然)の分析が必要になる。つまり,真空中で小球が自由に飛び交う天体的な熱力学第2法則の状況ではなく,水溶液中で多種多様な分子が激しく熱運動しながら相互作用している細胞内,いわば時間とともにエントロピーが減少しても不思議ではない細胞内を研究する必要がある。西垣通(2022)はこのメソネイチャーの分析無しでは生命現象の解明はできないという。

 企業,地域企業をみるにあたっても,こうした視点は妥当なように思える。グローバルレベルの大企業だけもなく,また概して零細な個人企業だけでもなく,中間的な企業を含め,さまざまな企業がそれぞれの外部環境のなかで相互作用を経て,利益を保ちながら存続につなげるべく行動している。自己完結的な因果関係的ありさまだけでは,そうした結果にはならない。現実には成長ばかりでなく淘汰もある。多種多様な分子との関係に目を向ける必要がある。単なるデータ処理的ではなく,経営者の心の働きを捉えながら丹念に個々の企業に接近することで,その相互作用が,また本質が解明できるのではないだろうか。心の働きを捉えるのであれば,中間的な企業,とりわけ地域との相互作用が多いと思われる地域企業を対象とした考察が相対的に容易であると思われる。

 加えていえば,水溶液も時間の流れのなかでその構成は微妙に変化しているではないか。ノンフィクション作家の佐野眞一は「歴史の等高線」といったが,折々の背景となる時代の意味の違いを踏まえることも,多種多様な分子(地域企業)が激しく熱運動しながら相互作用している姿を浮かびあがらせるためには求められるだろう。

*本コラムは,大東和武司(2023)『地域企業のポートレイト 遠景近景の国際ビジネス』文眞堂に所収された「置き傘」の一部を抜粋し,加筆修正したものである。

[注]
  • (1)「たらし込みのリアル(上)『たまさか』を手なずける」『日本経済新聞』,2022年11月27日付。
  • (2)西垣通「生命現象はデータ処理と異質」『毎日新聞』2022年10月6日付。
  • (3)米本昌平『バイオエピステモロジー序説』書籍工房早山,2020年。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2893.html)

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