世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2754
世界経済評論IMPACT No.2754

リスキリングによるITモラル

鈴木康二

(元立命館アジア太平洋大学 教授)

2022.11.21

 岸田首相は「新しい資本主義」でリスキリングを進めるとしている。IT技術のリスキリングでIT技術者として転職し易くなり労働力の流動性が高まる。IT人材の層を厚くするとして小学生のコンピューター・プログラミング授業も始まった。IT技術を持つ人が増えるのは,企業の生産性を上げ,IT社会の利便性は高まり良いことだ。しかし,IT犯罪の機会を増やす弊害もある。筆者のEメールには毎日のように各種銀行カードの本人確認メールが届く。「みずほ銀行からのお知らせです」が頻繁にあったので「お知らせは不要」と返信したらフェイラー・メール通知で,発信先はツイッターによる発信だと判った。明らかに筆者の銀行口座を狙った詐欺の手口だ。詐欺罪には未遂罪はあっても準備罪がないので,このような通知は犯罪にあたらない。ポルノサイトでは「ハッキングされた可能性があります」とマカフィー他を名乗る画面で溢れている。身代金を要求するITハッカーにより病院が電子カルテを使えなくなれば犯罪だが,詐欺罪の準備だから犯罪にならないとして野放しだ。

 米国ではアマゾン,メタ,オンライン決済のストライプ,ライドシェアのリフト他がIT技術者の大幅人員削減を発表した。コロナ禍でのインターネット通販の急拡大でIT技術者の基本給が大幅に上がる一方,経済正常化でネット通販が減速したからだ。インターネットを使った詐欺罪の準備行為は世界どこからでもコミットできる。AIの日本語翻訳ソフトの出来は格段に良くなった。仕事にあぶれたIT技術者が生活費稼ぎだとして詐欺準備行為をしないとも限らない。銀行金融資産を持ち過ぎの高齢者が多い日本人は世界中からアクセスされるカモ場だ。

 ロシア政府はウクライナ侵攻につきSNSを含めたメディア情報統制をしている。中国政府はコロナ禍への政府対応を批判するSNSメディアを削除した。やろうとすれば政府はITによる詐欺罪の準備行為が防止できるのにも関わらず放置し,日本国民を日々IT犯罪の被害者になる可能性に曝している。NHKテレビで滋賀県警がIT犯罪講習会をしたと報道していた。IT詐欺に遭った被害者のEメールから詐欺犯を特定する警察官向けの講習だ。警察は刑事事件を取り扱うので,民事暴力は夫婦喧嘩での家庭内暴力同様に警察は介入しないとしていたら,暴力団による民事暴力被害が甚大になった。IT詐欺準備罪を創設すべきだ。詐欺の準備行為なのだから犯罪ではないとしてIT犯罪者になる日本国民を増やしている。詐欺が成功したらIT犯罪者になるだけだとのモラル感を持つようになる。

 プラトンは『国家』の中で理知,気概(テューモス),欲望を言った。魂の三分説と呼ばれる。『国家』第四巻で,ソクラテスは,「国家」の枢要な徳は「知恵・勇気・節制・正義」だと言い,国家の機能の立法(直接民主主義なので行政を含む)・軍事・商業は,個人の魂の理知・気概・欲望に相当するとした。節制とは立法・軍事・商業のバランスでそれが徳を生み正義となる。理知と欲望のみでよいとする精神は貪欲資本主義を生み,IT詐欺罪の準備行為を唆す。理知,欲望,気概の順に並べれば知情意だ。知の重視は主知主義,情の重視は主情主義,意の重視は主意主義(ボランタリズム)だ。チューモスは公的な承認を求める魂の動き,つまり奴隷の精神からの独立だから,主意主義が他者への奉仕も含むことになり,宗教改革による内面の自由も生んだ。フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』でソ連東欧の社会主義体制を崩壊させたのはチューモスだと言った。

 筆者は,IT詐欺の準備行為を放置する一方でIT教育・リスキリングを進めるのは,日本国民の中にIT犯罪者とIT犯罪被害者を増やすだけだと考える。IT教育・リスキリングではITモラルの文化醸成と教育が不可欠だ。プラトンの魂の三分説と,マキャベリ的知性を含めた社会的知性を,ITの良い面と悪い面の具体例を通して理解することが必要だ。社会的知性には,マキャベリ的知性,共感性,情動制御,実行機能の四種がある。社会脳とも呼ばれるマキャベリ的知性は,相手の気持ちや反応を推測しそれを先取りして行動する戦略的知性だ。欺き,心理を読み,他人を操作して,利益と快適な生活をする知性だ。共感性は愛により幸福感を齎す。情動制御は忍耐・自制で過去に美徳とされた。実行機能は課題を計画的に段取りをして遂行することで,実践力として評価される。

 日本人は集団内の各場面で相応しい義務を考えるマキャベリ的知性が働き,場面における情動制御が巧みだ。これは感情の成層論を言うマックス・シェーラーによれば日本人は感性的感情が研ぎ澄まされていることになる。感情の成層論でいう人格感情は,国家が煽り立て操作するイデオロギーで肥大化する一方,マキャベリ的知性で皆がやっていることだとして集団に責任を負わせる実行機能を発揮させる。自我感情と身体感情(生命感情)につき日本人は豊かでない。日本では幸福感が外国程価値があるとみなされず,日本の小説にハッピーエンドが少ない理由でもある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2754.html)

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