世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2726
世界経済評論IMPACT No.2726

危機の英国:政治・経済の混乱とスナク新政権の課題

平石隆司

(三井物産戦略研究所 シニア研究フェロー)

2022.10.31

1.英国を襲った危機の構図

 英国が,政治・経済の激震に見舞われている。株・債券・通貨のトリプル安という金融市場の大混乱を引き金に,就任後僅か7週間でトラス前首相が辞任に追い込まれた。

 混乱の背景にあるのは,前首相が打ち出した「トラスノミクス」への国民と金融市場からの不信任だ。法人税増税中止,所得税の最高税率引き下げ,所得税の最低税率引き下げの前倒し,国民保険料の引き下げ,不動産印紙税の引き下げ等から構成される年間450億ポンド(GDP比2.0%)と,過去50年で最大規模の減税及び,エネルギー料金凍結(企業向けは半年間,家計向けは2年間。2023年3月迄で600億ポンド,GDP比2.6%)を主軸とする「成長計画」(9/23発表)に対し金融市場は全面的英国売りで反応した。与党保守党の支持率は急落,野党労働党に40%近い差をつけられている。

 国債価格の暴落により10年物国債金利は9/22の3.31%から9/27に4.50%へ急騰し,LDI(債務主導投資)戦略の下で2~4倍のレバレッジをかけ金利スワップ取引を行っていた英国の年金基金に最大1500億ポンドとされる巨額の評価損が発生した。年金基金は,取引相手からのマージンコール(追加担保の要求)に国債等の売却を迫られ,それがさらなる国債価格の下落を引き起こす悪循環が発生し,破綻の危機に追い込まれた。

 BOE(英中銀)による時限的国債購入,政府による大規模減税の全面的撤回とエネルギー支援縮小という政策転換,トラスの退陣によって,金融市場は落ち着きを取り戻しつつあるが,10/25に就任したスナク新首相の掲げる「経済安定と信用回復」は容易ではない。

2.トラスノミクスの5つの敗因

 今後の金融市場と英国経済の展開を見る上で,トラス政権の敗因を整理しておく必要がある。

 第一に,財政規律の軽視だ。コロナ禍での財政赤字及び政府債務の増大にもかかわらず,国債の大幅増発に頼った「成長計画」を新たに打ち出した。さらに,通常求められるOBR(予算責任局)による評価をスキップしたことで,債務のサステイナビリティへの金融市場の不安は増幅された。

 第二に,マクロ経済環境を無視した政策の実行だ。IMFによれば英国の2022年のGDPギャップは+0.4%と需要超過の状態にあり,9月の消費者物価上昇率は前年同月比10.1%へ加速している。この環境下で対象を絞らない大規模な総需要刺激策が打ち出されたのである。インフレのさらなる加速によりBOEがより急激かつ大幅な利上げを余儀なくされ景気が深刻なスタグフレーション入りするリスクが高まった。

 第三に,トリクルダウン理論(減税で富裕層が豊かになれば経済が活性化され貧困層へも富がしたたり落ちてくるとの理論)への国民の反発だ。英国ではロンドンを含むイングランド南部と,その他地域の所得格差の縮小が大きな課題であるが,トラスノミクスの支柱となる富裕層優遇の減税は,IMFから「不平等を拡大する恐れがあり,早急な見直しが望ましい」と異例の警告を受けた。

 第四に,政策当局間の連携の欠如だ。トラスは首相就任前にBOEの責務の見直しを主張しており,インフレ抑制を目指し大幅利上げを続けるBOEに逆行する様な財政政策の実行は,「アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と揶揄され,金融市場の懸念を高めた。

 第五に,「お友達内閣」の組成だ。トラスは基盤とする保守党右派から党首選で自らを支持した者のみを重用した。近年保守党では党派対立が先鋭化しているが,支持基盤の偏った内閣は,危機において脆さを露呈した。

3.スナク新政権へ交錯する期待と不安~縮小均衡を超えて~

 スナク政権は前政権の失敗の教訓を生かし手堅い滑り出しを見せている。クワーテング前財相更迭後の政策転換を取り仕切ったハント財相や,その他重要閣僚を続投させ党内融和を図ると共に,ラーブ副首相やゴーブ政府間関係担当相等の重鎮を起用する実力派内閣だ。スナクは,トラスに敗れた前回党首選に於いて,需要超過下での大規模減税策をインフレ高進を招くと鋭く批判しており,財政規律重視の姿勢は金融市場から好感され,10年物国債金利は10/26時点で3.58%迄低下している。

 しかし,立ちはだかる経済面の課題は多く楽観できない。第一に,大規模減税撤回後でも400億ポンドに達する財源不足への対応だ。公共投資削減,Windfall tax拡充,対外援助の削減等,聖域なき対策が検討されようが,Cost of living crisisに苦しむ国民の理解を得ながらの実行は容易ではない。10/31発表予定だった中期財政計画の11/17への発表延期はそれを如実に示している。

 第二に,潜在成長率の引き上げによる財政のサステイナビリティの改善だ。所得格差の縮小,脱炭素化推進とエネルギー安全保障の両立,規制や移民政策を含む対EU関係の改善,米中対立下での立ち位置を含めたインド太平洋戦略等の通商戦略の構築等,包括的な成長戦略を打ち出す必要がある。財政緊縮下で如何にメリハリの利いた減税や補助金支給,規制緩和を実行していくのか,前政権のダメージコントロールを超え,中長期を睨んだ骨太の成長戦略の確立が求められる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2726.html)

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