世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2554
世界経済評論IMPACT No.2554

ドイツの親ロシア政策の破綻

中島精也

(福井県立大学 客員教授)

2022.05.30

 ロシア軍がウクライナに侵攻して3カ月が過ぎた。NATO諸国のウクライナへの軍事支援もあって,ロシアは想定外の長期戦を強いられている。ロシア軍の侵攻に対して,西側は対ロシア経済制裁を発動したが,天然ガス輸入量の55%をロシアに依存しているドイツが輸入禁止に及び腰で,ウクライナのゼレンスキー大統領は「他国民(ウクライナ人)の血で稼いでいる」とドイツを厳しく批判している。一体,何故にドイツは経済安全保障のリスクを冒してまで,エネルギーのロシア依存をここまで高めてきたのだろうか。

 戦後ドイツの親ロシア政策は1969年に首相に就任したブラントの東方政策に始まる。当時は1961年のベルリン危機,1962年のキューバ危機を経て米ソが核戦争防止を共通の利益と考え緊張緩和に取り組んだ米ソデタントの時代である。この機会を捉えて,ブラントはソ連・東欧諸国との関係改善を進め,側近のバール特命大臣の「接近による変革(Wandel durch Annäherung)」を基本理念として,東西ドイツの統一,NATOとワルシャワ条約機構を解体して全欧州安全保障体制の構築を目指そうとしたが,所詮,冷戦の枠組みの中では実現不可能な夢であった。

 独ロ関係を劇的に変えたのはコール政権下の1990年ドイツ統一である。ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)が引き金となり,ベルリンの壁は崩壊,東西ドイツの統一とNATO加盟が実現した。コール首相は悲願であった統一がゴルバチョフのお陰で実現したこと,また第二次世界大戦時のナチスによるソ連侵攻と2千万人とも言われるロシア人の犠牲者に対する贖罪の念から,NATO改革の一環としてロシア理事会を設立,またOSCE(欧州安全保障協力機構)の枠組みの中で再びロシアを含めた全欧州安全保障体制の構築を目指した。しかし,ロシア不信の根深い東欧諸国のうち,1999年にポーランド,ハンガリー,チェコがNATOに加盟したことから,ロシアが態度を硬化させ,コールの夢は儚く消えた。

 続くシュレーダー首相は独自外交「ドイツの道(Der deutsche Weg)」を唱え,2003年に米国がイラク戦争に踏み切ると,「自衛の戦争とは認め難い。対イラク攻撃には参加しない」と明言,米国との関係は極度に悪化した。そこで,シュレーダーはイラク戦争に反対するシラク仏首相,プーチンとの協力関係を深め,「ベルリン・パリ・モスクワ枢軸」を形成したが,その後も対米関係の改善が見られず,シュレーダーは益々ロシアに接近し,独ロは蜜月時代を迎えた。「貿易による変革(Wandel durch Handel)」路線に基づき実現したロシア・ドイツ間の天然ガスパイプライン「ノルドストリーム」はその象徴であり,首相退陣後もシュレーダーはロシアガス会社「ロスネフチ」や「ノルドストリーム」の役員を務めるなど個人的にも親ロシアを貫いた。

 2005年に首相に就任したメルケルはブラント時代の「接近による変革」を模したような東方政策「関与による接近(Annäherung durch Verflechtung)」を提唱し,良好な独ロ関係を軸にEUロシア関係の改善を進めてコールが描いたOSCEをベースとした全欧州安全保障体制の構築を再々度目指した。メルケルが「コールの娘」と呼ばれる所以である。チェチェンなど地域紛争でのロシア軍の残虐行為にも関わらず,メルケルはロシアとの経済・外交関係を優先し,「ノルドストリーム」は2011年に完成,更に「ノルドストリーム2」計画は東欧諸国の懸念をよそに実行に移し2021年にパイプラインが完成した。

 以上のように,戦後,ドイツが東方政策の一環として親ロシア政策を続けてきた理由は欧州全域の安全保障にはロシアの協力が不可欠であること,そのためにはEUロシア経済関係の強化が必要であり,その実現のために関与政策による独ロ経済関係の緊密化を先行すること,同時にエネルギー資源を確保してドイツ経済の成長を支えることであった。しかし,ロシアがプーチン独裁の専制国家である限り,関与政策はロシアを富ませ,西側への軍事的脅威を拡大させるばかりである。

 実際,欧州地域での米国外しとドイツのヘゲモニーを嫌う米国の意向が働き,NATOの東方拡大が実現したことで,ドイツの夢である全欧州安全保障体制へのロシアの協力は望めなくなった。その意味でドイツの東方政策は既に破綻していたと言える。今回のウクライナ戦争でロシアが国際法無視の「ならず者国家」であることが明白となったが,親ロ政策を続けてきたドイツは抜本的な対ロ外交の見直しを迫られており,ウクライナ戦争がドイツに与えたショックは計り知れない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2554.html)

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