世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
需要重視に転換したバイデン大統領
(福井県立大学 客員教授)
2021.06.28
1980年代初めレーガン革命と呼ばれた供給重視の経済学は今日まで米経済政策のベースとなってきた。小さな政府を念頭に減税により民間活力を刺激してインフレなき持続的成長を追求するやり方である。しかし,今年就任したバイデン大統領は従来の供給重視政策では米国に突きつけられているチャレンジ,即ち中国との覇権争い,トランプ政権下で生じた米国社会の分断,に対応できないと考えている。そこで,「一世代に一度の投資(once-in-a-generation investments)」を財政が担って,米経済の改革と平等社会の実現を図ろうとしている。それがバイデン政権が進めようとしている「米国雇用計画」と「米国家族計画」である。
「米国雇用計画」は国内に2020年代で約2兆ドルの投資を行うことで良い条件の雇用を産みだし,これまで何十年も放置され劣化が進んだインフラを再建し,また次世代の先端インフラを構築して競争力を強化するとしている。具体的には交通インフラ,生活インフラ,住宅インフラ,介護インフラ,そしてR&Dへの投資である。この財源は法人増税をあてるが,大企業や多国籍企業が過度に優遇されている現行税制の歪みを是正する意図も含まれている。
一方,「米国家族計画」は10年総額1.8兆ドルで,その施策の多くがコロナ対策として採用された「米国救済計画」の延長線上にあり,貧困の撲滅,差別撤廃,教育サービスの充実などからなる極めて社会主義的性格の強い政策と言える。無償教育の拡充で個人のスキルを高めて生産性を上げる,児童を抱えた低所得層への直接補助,有給休暇や病気休暇への補助,児童の栄養補助,健康保険料引き下げ,児童税額控除の延長拡大などで低所得家庭を支援するとしている。財源は10年で1.5兆ドルの富裕層増税を考えているが,各種控除やキャピタルゲイン課税の低さにより富裕層の納税が不当に少ないという現行税制の歪みを是正する意味もある。最高税率の引き上げ,キャピタルゲイン控除の廃止,内国歳入庁(IRS)への富裕層の申告漏れを捜査する権限を付与する,などからなる。
この2つの計画を合わせると4兆ドル,既存の「米国救済計画」も含めると6兆ドルという巨額の財政発動になる。2020年のGDPギャップはコロナ禍で▲8千億ドルのマイナスだったが,既に現時点でほぼマイナスのGDPギャップは解消していると思われるが,ここから巨額の財政政策が発動されれば,これから数年間はプラスのGDPギャップが続かざるを得ない。インフレリスクは相当に大きい。この計画を見ていると,1960年代のジョンソン大統領の「偉大な社会(Great Society)計画」を連想してしまう。
ジョンソン大統領は差別と貧困のない社会建設を目指して,①黒人に公民権を認め,②所得扶助とメディケイドを創設し,③教育改革を進めようとした。必ずしも弱者救済ではなく,自立を支援することで「偉大な社会」の実現を目指したが,皮肉にも福祉拡大は黒人層の自立を遅らせ,家庭崩壊,貧困の固定化を招き,社会保険歳出と公的扶助の更なる増大,またベトナム戦争の戦費拡大も重なり財政赤字が一段と拡大した。その結果,増税に追い込まれ,投資の落ち込みを招き,米経済はスタグフレーションに陥ってしまった。
「大きな政府」は財政赤字,増税,民間活力の低下,投資抑制,潜在成長率の低下,インフレ加速,金利上昇,企業収益悪化,株価下落,ドル安という負の連鎖をイメージさせる。もちろん,現行税率が均衡水準より十分に低ければ,増税でも投資意欲に大きなマイナスは生じないはずだが,それはやってみないと分からない。インフレに連動して金利が上昇すれば投資抑制に働くのは間違いない。また,低所得層の児童,学生,エッセンシャルワーカーを対象に所得,教育面で公的扶助を拡大すれば,確かに生産性は上がるかも知れないが,対費用効果で十分にペイするだけの生産性上昇が得られるのかどうか予測が難しい。バイデノミクスは米国の将来を見据えた需要重視の経済政策だが,同時に大きなリスクをはらむ壮大な実験とも言える。
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