世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1933
世界経済評論IMPACT No.1933

クライマックスを迎えたBrexit交渉

平石隆司

(欧州三井物産戦略情報課 GM)

2020.11.02

 移行期間終了まで2カ月を切る中,英EU間の将来協定交渉がクライマックスを迎えている。英国が交渉期限に設定した10月15日を挟んでお互いに交渉決裂のブラフをかけあう駆け引きが展開されたものの,最終的にはEUが譲歩,22日からは週末も含め連日,法的文書に基づく集中協議が実施されている。

 9月の英国による離脱協定の一部を反故とする「国内市場法案」提出や,今回の英EUによる大立ち回りに目を奪われがちだが,今後の将来協定交渉の展開を読む上で,以下の3つの事実を押さえておく必要がある。

 第一に,英EU共,交渉妥結へ向けた非常に強い政治的意思がある。まず経済的要因だが,欧州は秋以降Covid-19の第二波に襲われ,ロックダウンを含む厳しい制限措置の導入を余儀なくされており,ダブルディップリセッション(景気の二番底)の恐れも高まる。No Trade Dealとのダブルショック回避は両者にとって至上命題だ。次に政治的要因だが,パンデミック対策失敗によりジョンソン英首相の求心力が低下,年初に20%あった与党と野党労働党の支持率差は今や消滅した。イングランド北部・中部の「新しい保守党支持者」を繋ぎとめるためにも,保守党支持者の多くが望むEUとのFTA交渉を成功に導く必要がある。英国の成長戦略確保も重要だ。英国は,Post Brexit成長戦略の要に「グローバル・ブリテン」(貿易のFTAカバー率を3年以内に80%とする)を掲げるが,ベルファスト合意を棄損する国内市場法案を強行した場合,バイデン前副大統領の反発等により,要である米国との包括的FTA締結が困難となる。最後に英国の一体性維持だ。No Trade Dealとなった場合,親EUの(2016年の国民投票では62%が残留支持)スコットランドの独立運動を勢いづかせ(10月調査では,独立賛成58%対反対42%),2021年5月の地方選でSNP(スコットランド民族党)が大勝するだろう。また,北アイルランド和平が危機に瀕する恐れもある。

 第二に,交渉の三大懸案である,レベルプレイングフィールド(公平な競争環境),ガバナンス,漁業権について,着実に歩み寄りの兆しがみられる。レベルプレイングフィールドとガバナンスでは,最大の論点である「政府補助金」について,①EU機能条約の政府補助金の精神を反映した規定をFTAに設置,②英国が欧州委の競争総局に相当する規制機関を設置,政府から独立した権限を行使,③英国,EU双方から独立した紛争解決機関を設置,④同機関が解決できなかった場合,輸入品への報復関税賦課,EUプログラムへのアクセス制限,等の妥協案が出ている。漁業権に関しても,EU側の漁獲割り当て量の削減を数年かけて行う段階的仕組みの導入,等の妥協案が提示されている。2022年の大統領選を睨み,現漁獲割り当て量に固執するマクロン仏大統領も割り当て量削減に柔軟な姿勢を見せつつある。

 第三に,批准を考慮した場合のデッドラインは11月第二週頃だと考えられ,残された交渉期間は僅か2週間に過ぎない。最終合意に達してから,リーガルスクラブ,交渉言語である英語からその他のEU公式言語23か国語への翻訳,欧州議会の承認,EU閣僚理事会の最終決定等の批准手続きには6週間強必要である。

 以上を考慮に入れると,今後の見通しは下記の通り。

(1)メインシナリオ

 前述したタイムリミットぎりぎりで,関税ゼロ,数量制限無しの「財を中心とするベーシックなFTA」が締結され,国内市場法案の離脱協定抵触部分は取り下げられる。移行期間は2020年末に終了するが,交渉が妥結した財分野について「完全適用までの準備期間」(Implementation Period)として,半年~1年程度,英EU間の貿易に対し通関手続きの軽減等の緩和措置が導入される。また,サービス分野等積み残し分野については交渉継続中ということで,2019年にNo Deal懸念が高まった時に経済の混乱を防ぐため双方によって導入が検討された措置に倣い,悪影響の緩和措置がとられる。

(2)リスクシナリオ

 No Trade Dealとなり,国内市場法案も離脱協定抵触部分が修正されずに成立。時間が非常に限られているだけに,相手のレッドラインを見誤る計算違いから意図せざる形で当シナリオが実現する蓋然性も一定程度残るが,経済的悪影響は深刻だ。9月末に実施されたIODの調査によれば,英国企業はパンデミック対応等に追われ,現時点で移行期間終了への準備が完了しているのは僅か21%に過ぎない。英内閣府によれば,No Trade Deal時の想定シナリオとして,ドーバー海峡の物流が通常の60-80%に低下し,ケントでは最大7000台のトラックの列ができ最長2日間の物流遅延が発生。

 マスメディア等では,協定締結の成否と,前提となるレベルプレイイングフィールド,ガバナンス,漁業権へ注目が集まる。しかし,企業にとっては,インプリメンテーション期間の有無とその内容や,優遇関税率適用の可否を決めサプライチェーンへ多大な影響を及ぼす原産地規則の内容 (拡張累積の採用の有無や基準値の引き下げ,基準値の段階的導入等の緩和措置の有無等)等,その他の協議の細部も非常に重要であり,実質的デッドラインである2週間後まで交渉状況から目が離せない状況が続く。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1933.html)

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