世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1801
世界経済評論IMPACT No.1801

雇用優先政策の全面的強化を模索する中国

真家陽一

(名古屋外国語大学 教授)

2020.07.06

 「国際社会はすでに二重の挑戦に直面しており,一方では感染の抑制,もう一方では経済・社会の発展および正常な秩序の回復という二つの答案を作成しなければならない」。李克強総理は5月28日,全国人民代表大会(全人代,国会に相当)閉幕日の記者会見でこう語った。その上で李総理は「両者は矛盾したものであり,もしどちらか一方だけをやるのであれば状況は違ったものになるだろう。我々は現在,矛盾の中でバランスを図り,模索しながら前進し,特に国際協力を進める必要がある」と表明した。

 中国では1月下旬から新型コロナウイルス感染症(以下,新型コロナ)が拡大したが,想像を絶する厳しい防疫体制により,2月中旬をピークに新規感染者数は減少傾向を続けており,世界に先駆けて新型コロナの感染拡大が収束しつつある。

 とはいえ,他国・地域では収束しておらず,加えて感染第2波のリスクもあることから,中国にとっても「新型コロナの感染抑制」と「経済・社会の発展」という「二兎を追う」政策は,下手をすれば「一兎をも得ず」という結果にもなりかねないだけに極めて難しいバランスが求められている。

 そういう意味で,新型コロナのまん延を理由に5月22日に延期して開催された全人代はこれまでにも増して世界の注目を集めた。初日には李総理が「政府活動報告」(施政方針演説に相当)を行ったが,今年の報告の最大のポイントは,国内では新型コロナ,国外では米中摩擦という,いわば「内憂外患」の状況にある中で,社会の安定を維持するため「雇用優先政策の全面的強化」という方針を打ち出したことにある。この方針の下,「財政や金融,投資などに関する政策は雇用安定化への支援に集中的に注力する」としており,「現在の雇用を安定させ,新たな雇用を積極的に創出し,失業者の再就業を促すよう努力する」という方向性も示している。

 この一環として,積極的な財政政策をより積極的かつ効果的なものにするとしており,緊急時の特別措置として,今年の財政赤字の対GDP比は3.6%以上とし,財政赤字の規模は前年度比1兆元増とするほか,感染症対策特別国債を1兆元発行し,合計2兆元をすべて地方への移転支出として計上し,資金を市・県の末端部門に直接支出して企業と大衆に直接的利益をもたらすようにする,としている。

 また,穏健な金融政策をより柔軟かつ適度なものにするとしており,預金準備率と金利の引き下げ,再貸付などの手段を総合的に活用し,広義マネーサプライ(M2)・社会融資規模(企業や個人の資金調達総額)の伸び率が前年度の水準を明らかに上回るよう促すほか,実体経済への直接的支援に向けた金融政策手段を刷新し,企業が円滑に融資を受けられるようにして,金利の持続的な引き下げを促すという方針も掲げている。

 さらに,雇用の安定・拡大に向けて,あらゆる方策を尽くす意向も示しており,①今年874万人に達すると予想される大学新卒者への就業サービスの提供,②退役軍人の就業保障,③農民工が平等に就業サービスを享受できる政策の実施などの措置も打ち出している。

 加えて,全人代で審議・採択された政府活動報告の最終版には雇用対策の一環として,「露店の経営場所を合理的に設定する」との文言も新たに盛り込まれた。景観維持等の観点から露店の営業拡大には反対する向きもあるものの,李総理は「西部のある都市では行商人向けに3万6千の露店スペースが設けられ,一夜にして10万人が就業した」と強調。支援策を講じるだけでなく,さまざまな規制撤廃措置を講じ,新たな就業先を創出することが必要との認識を示した。

 中国にとって2020年は,第13次5ヵ年計画(2016〜20年)の最終年であるとともに,GDPと1人当たりの国民所得の2010年比倍増という中国共産党の目標達成に向けて,政治的にも重要な年となっている。そういう意味でも,中国は新型コロナで被った経済のダメージを一刻も早く修復することが求められている。とりわけ,失業率が上昇傾向にある中,社会の安定維持に不可欠な雇用確保は喫緊の課題だ。

 李総理は全人代閉幕日の記者会見で,雇用問題に関する質問を受けた際,「雇用は最大の民生であり,各家庭にとって,それは天ほど大きい問題である。ここ数日,私は中国政府サイトへの書き込みを見たが,約3分の1は雇用に関するものだった」と述べた。その上で「既存の雇用維持のため,可能な政策を総動員しており,投入する資金も最多だ」と強調した。

 国家統計局が6月15日に公表した中国のマクロ経済統計によると,1〜5月期の工業生産(付加価値ベース)は前年同期比2.8%減となり,1~2月期(13.5%減)比で10.7ポイント改善した。他方,小売売上高(社会消費品小売総額)は前年同期比13.5%減と,2桁の減少が続いており,1〜2月期(20.5%減)比でも7.0ポイントの回復にとどまっている。これは供給面の回復は比較的速かったものの,需要面の回復が相対的には遅れていることを意味している。とりわけ,消費の落ち込みの背景にある失業や賃金カットが大きく影響している。李総理は「現在,中国の経済構造は大きく変化し,消費が経済成長の主要なけん引作用を果たしているが,感染予防・抑制措置が消費を抑制するという大きな難題にも直面している」と率直に表明した。

 新型コロナの世界的な感染拡大を受け,外需に期待ができない中,中国は消費回復の促進等の内需拡大戦略の実施により,経済を下支えする政策を掲げている。そのカギを握るのが雇用であり,政府活動報告では「都市部新規就業者数は900万人以上,都市部調査失業率は6%前後,都市部登録失業率は5.5%前後」という目標も示されている。中国の「二兎を追う」政策の成否を左右するのも雇用であり,その動向は今年後半の中国経済の行方を占う上で大きな注目点となろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1801.html)

関連記事

真家陽一

最新のコラム