世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ASEAN経済デジタル化の背景と課題
(立命館大学 名誉教授)
2020.04.06
小論の目的は,現在デジタル化(digitalization)を梃子に経済発展を図ろうとしているASEAN諸国の背景と課題について検討することにある。まず,なぜ今ASEAN諸国がデジタル経済化を急ぐのか,その背景についてふれることから始めよう。グローバル経済危機(2008年)を経て2010年代になると,ほぼ1980年前後にスタートを切りソ連・東欧の社会主義体制の崩壊を契機にして91年以降加速化してきたグローバル経済化に大きな変調が見られるようになってきた。それを端的に示すものは,1)直接投資(FDI)フローの減速と2)国際貿易の成長率の低下(いわゆる「スロー・トレード(“slow trade“)」)である。前者の年平均成長率について見てみると,1990年代の21%から,2000年−2008年は8%,そしてグローバル危機後2018年まではわずか1%と,大きく減速してきている(UNCTAD 2019:15)。他方後者は,グローバル経済危機後2010年代に入ると,それ以前と対照的なまでに低下して推移してきている(United Nations 2018:2)。ここで注目すべき点は,これまで国際貿易の成長率は高く世界の経済成長率を上回っていたのが逆転していることである。そのことは,これまで「貿易は経済成長のエンジン」であり牽引者であったものが,その役割を果たすことができない新局面に入ってきているということを意味する。
こうしたFDIフローと国際貿易の減速は,途上国の経済発展なかでもそのエンジンとしての工業化について悲観主義の高まりを惹起している。こうして,途上国の経済発展と工業化のための政策として採用されてきた,輸出指向型工業化政策(EOI)の今後の展望に暗い影を投げかけられてきている。小論で取り上げるASEAN諸国は1980年代以降これまでEOI政策を採用し,外資(FDI)導入とそれによる製造品輸出による経済発展と工業化の代表的な成功例として高く評価されてきた。が,同政策の限界が露呈し再検討を行う必要が浮上してきたのである。ASEAN諸国のなかでもEOIによる経済発展の「優等生」と目されてきたタイやマレーシアが,世界銀行の所得による国別分類として使用している「高所得国」の壁を乗り越えることができず「上位中所得国」の段階に長く留まっている,いわゆる「中所得国の罠」に陥っているのではないかという議論が近年盛んに行なわれてきていることがそれを示唆している。それと表裏の関係として,デジタル経済化による生産性の向上,国際競争力の強化,経済成長力の回復と促進,等に対する期待が高まってきているのである。
確かに,経済のデジタル化はASEAN経済に新たな発展の途を切り拓く機会を与える可能性を有してはいる。しかし同時に,それには固有の困難や問題が存在し,途上国がデジタル化の利益を自動的かつ公平に均霑できる訳では無論ない。ここでは紙幅の制約から,諸課題の中から以下の2点に絞って検討してみよう。第1点は,デジタル経済の基盤構築に関するものである。経済のデジタル化を図るには,ASEANに限らず,①connectivity(インターネットの普及による連結性の強化),②skill(デジタル技術を習得し駆使できる人材養成),③e-payment(デジタル決済の普及),④logistics(電子商取引[e-commerce]等を支える物流支援)および⑤policy(経済のデジタル化を促進するための政策),という5つの基盤が必要不可欠である。世界銀行によるASEAN諸国のデジタル経済の基盤構築に関する調査報告書『東南アジアにおけるデジタル経済-将来の成長のために基盤を強化する-』(World Bank 2019)はこの問題を詳しく分析している。その結論は,ASEAN経済のデジタル化はまだ初期の段階にあり,途上国たるASEAN各国が一国で5つの基盤を構築することは容易ではないタフなことではあるため,各国毎に分断されたデジタル経済ではなくて地域協力によって開かれかつ統合化されたASEANデジタル経済を構築すべき,というものであった(World Bank 2019:90)。
第2点は,UNCTADの報告書『工業化のための南南デジタル協力』(UNCTAD 2017)が指摘する「デジタル経済に特有で固有な特徴」と関係する。その「特徴」のゆえに,デジタル化はICT巨大多国籍企業(GAFA等)の独占を促進する。デジタル化の起点はデータの収集・集積にある。その後の展開をシェーマ化すると,①データの収集・集積➡②ビッグ・データの形成➡③ビッグ・データの解析とビジネスで使用可能な形態への変換➡④それに基づく新たなビジネス・アイデアとデジタル新商品の開発,ということになる。このようにデジタル新技術を駆使してICT多国籍企業は利潤を追求する。こうして,デジタル市場は彼らによって独占され,参入障壁が築かれ,南北間の「デジタル・ディバイド」は拡大する。以上が,同『報告書』の骨子となっている。したがって,途上国がICT巨大多国籍企業のビヘイビアーに対抗し「デジタル・ディバイド」を克服するためには,デジタル化の起点たる収集・集積されたデータを自国内で加工・保存し国外に自由に流出することを規制する「データのローカル化」のための「データ所有権」を確立できるかどうかに掛かってくる。巨大ICT多国籍企業に対抗し「拮抗力」を発揮するために,途上国は連帯して「南南デジタル協力」を推進していくことが必要不可欠ということになる。
これまでの検討結果は,デジタル経済化のためには途上国間の協力が不可避であることを強く認識させるものである。それはまた,東南アジアにおける地域協力機構たるASEANが,経済のデジタル化を推進しその利益を確保するために採るべき途を照射している。
[参考文献]
- 1.UNCTAD (2017), South-South Digital Cooperation for Industrialization: A Regional Integration Agenda, United Nations, New Yok and Geneva.
- 2.UNCTAD (2019), World Investment Report 2019, United Nations, New York and Geneva.
- 3.United Nations (2018), International Trade and Development, Report of the Secretary-General at Seventy-third session of General Assembly on 17 August, 2018, New York.
- 4.World Bank (2019), The Digital Economy in Southeast Asia: Strengthening the Foundations for Future Growth, World Bank, Washington DC, USA.
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