世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1461
世界経済評論IMPACT No.1461

米中新冷戦への危険な構図:問われる日本の覚悟

馬田啓一

(杏林大学 名誉教授)

2019.08.26

米中貿易戦争の結末につきまとう不安

 2018年10月のペンス演説からもうすぐ1年がたつ。ペンス米副大統領はハドソン研究所の演説で,中国による知的財産権の侵害や技術の強制移転,国有企業への補助金,覇権主義による軍事的拡張などを非難し,「中国を甘やかす時代はもう終わった」と宣言した。

 チャーチルが「鉄のカーテン」を語った演説に匹敵するとの見方も少なくない。戦後の米中関係において,米国が中国経済を支援し国際秩序に取り込もうとした時代がペンス演説で終わりを告げ,米中が「新冷戦」の時代に突入したと言ってよい。

 トランプ政権が対中強硬路線に転換したのは,国家資本主義という異質なイデオロギーを持った中国が経済と安全保障の両面で米国の覇権を脅かし始めたからだ。共和党だけでなく民主党もペンス演説を支持しており,ポスト・トランプの政権でもこの路線は変わらないだろう。

 目下焦眉の米中貿易協議の焦点は,①貿易不均衡の是正,②知的財産権の保護強化,③中国の構造改革,の3つである。中国側の方針としては,第1に,中国の対米貿易黒字縮小については,農産品や資源の輸入拡大,金融・自動車の外資規制緩和など米側の要求にできるだけ応じる覚悟である。第2に,知的財産権の保護強化については,一定の時間をかけて前向きに対応する。ただし,強制的な技術移転の事実は否定している。第3に,中国の構造改革については,国有企業優遇策の見直しや産業育成策「中国製造2025」の撤廃には応じない考えである。

 中国は,国家資本主義からの転換につながる構造改革は原則として拒否する方針であるため,貿易戦争の終焉といえるような完全な合意は難しいだろう。トランプ大統領によるディールで何らかの合意が得られたとしても一時的な小休止に過ぎず,根底にある覇権争いの構図は変わらないため,中長期的な対立は続くとみてよい。

米中の「踏み絵」に対する覚悟

 東西2つの陣営に分断された米ソ冷戦とは異なり,米中新冷戦はグローバル・サプライチェーンによって複雑に絡み合うアジア太平洋地域に深刻な影響をもたらそうとしている。もはや「対岸の火事」ではすまされないこの事態に日本はどう対応すべきか。

 米国との貿易戦争で窮地に追い込まれた中国が,日本にすり寄ってきた。安倍政権はこれをチャンスと見て,日中の関係改善を進め,海外のインフラ整備で日中協力を推進する方針である。だが,中国の「一帯一路」構想に深入りするのは禁物だ。

 米中の対立が深まれば,対中戦略をめぐって日米の温度差が明らかとなり,両国間に軋轢が生じるかもしれない。米中のどちらを選ぶのか,トランプ政権から「踏み絵」を踏まされる可能性もある。第1に,米国は次世代通信規格「5G」から,中国大手の華為技術(ファーウェイ)や中興通訊(ZTE)などを排除しようとしている。日本にも同調するよう求めてきた。第2に,米国はNAFTAを見直した新協定のUSMCA(米墨加貿易協定)で,カナダやメキシコが中国のような「非市場経済国」とFTAを締結するのを制限する「毒薬条項」(ロス商務長官)を盛り込んだ。日本やEUとの貿易交渉でも同様の要求をしてくるだろう。

 いずれも中国の反発が避けられないが,基本的には日本は同盟国として米国と協調して対応すべきだろう。ただし,日本が「下駄の雪」と揶揄されないように,是々非々の姿勢が大事だ。最も重要な点は,日本はあくまでも国際ルールに基づいた対応に徹することであり,中国に対してはマルチの枠組みを通じて,知的財産権の侵害や技術移転の強要,国有企業への補助金など問題視されている行動を止めるよう促していくべきである。

デカップリングがもたらす憂鬱

 日本企業はFTA(自由貿易協定)による貿易自由化を追い風に,東アジアを中心に生産ネットワークの拡大とサプライチェーンの効率化を追求してきた。しかし,このグローバル・サプライチェーンがいまトランプ・リスクに直面している。

 トランプ政権が仕掛けた米中貿易戦争がエスカレートしていけば,今後,中国をサプライチェーンから切り離す日本企業の動きが強まり,チャイナ・プラス・ワンの動きも加速するだろう。①中国への投資の延期または中止,②中国以外からの部品調達,中国以外での加工組立,③中国からの生産拠点移転など,サプライチェーンの再編が喫緊の課題だ。日本企業は生産ネットワークを多様化し,サプライチェーンのリスク分散を図ることが求められている。

 日本企業が最も警戒しなければならないのが,「デカップリング」(米国による中国締め出し)による影響である。最先端技術の中国への流出を防ぐため,18年8月に米国防予算の大枠を決める「国防授権法」が成立し,「外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)」と「輸出管理改革法(ECRA)」が盛り込まれた。今後,トランプ政権による対米投資規制と輸出管理の強化によって,デカップリングが進む可能性が高い。

 グローバル・サプライチェーンを通じて経済的な相互依存関係が密接になっている米中の分断は,恐らく不徹底に終わるだろうが,それでも日本企業は米中新冷戦の「とばっちりの構図」から逃げられない。例えば,対米投資規制の強化によって,中国資本が導入されている日本企業に対しては,最先端技術が中国企業に流れる懸念があるとして,米国企業への投資について厳しい審査が行われるだろう。

 さらにもっと深刻な問題として,米国の最先端技術を使って生産を行っている日本企業は,今後米国による厳格な輸出管理により,米国の内外を問わず,対中輸出(現地法人向けを含む)や対中技術移転(中国への事業売却を含む)が極めて困難になるだろう。

 米国の最先端技術を守るため,デカップリングの対象がどこまで拡大するのかが不透明である。今後,日本企業がトランプ・リスクに翻弄されるという「とばっちりの構図」を過小評価するのは危険である。「待てば海路の日和あり」というが,アジア太平洋地域に吹き荒れるトランプの嵐はまだしばらく収まりそうもない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1461.html)

関連記事

馬田啓一

最新のコラム