世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ケニアへの期待
(城西国際大学大学院 特任教授)
2019.04.08
昨年11月上旬にケニアを久しぶりに訪問する機会を得た。ナイロビでのビジネス教育の国際会合出席,JETRO・商社訪問,高原地帯にある茶園(Tea Farm)見学,ウォーター・フロントに泊まり,モンバサの町やジーザス要塞を訪れる週末を組み合わせた一週間だった。
ケニアは日本人には最もなじみがあるアフリカの国であろう。古くから紅茶やコーヒーを日本は輸入し,最近はドバイ経由でのケニア産のバラ輸入が急増している。観光地としてもマサイマラなどでサファリを楽しめる。町には中古・新車の日本車が数多く走る。半世紀前から有償・無償の経済協力が実施されており,近年では地熱発電所やコンテナー・ターミナルの拡張に供与された円借款を利用し,日本企業が建設を行っている。現地に進出している日本企業の数は(JETROによれば56社),アフリカでは南アフリカに次ぎ,アフリカを知る企業が注目する国のトップにケニアがあがる。2016年8月にはTICADVIが初めてアフリカ,それもナイロビで開催された。ケニアは人口は約47百万人,一人当りGDPは2,000ドルに満たず,世銀の定義では低・中所得国,その経済規模はアフリカ第5位でしかない。過去からのパフォーマンスは年による変動が大きく,かならずしも良好とはいえないが,2010年以降はほぼ年率5〜6%の成長が続き,最近はエチオピアに続く高成長国の一つとして関心が高まっている。日本人にとっていわばアフリカへの玄関口だし,拡大するアフリカ市場の期待を担っている。今年8月にはTICADVIIがまた横浜で開かれる。
* * *
ケニアを深く知る研究者やビジネスの関係者が多い中で,筆者として特に新しい見方を有するわけでないが,以下思うことの一端を述べたい。
第一は,ケニアが一貫して自由主義の経済路線をとり,民間セクターが旺盛な活動をしているうえ,近年事業環境が改善していることに注目したい。そのなかで,先端的なICT(情報通信技術)を活用し,革新的なビジネスを展開する動きが活発化しており,将来の馬跳びleap frogging的な成長への期待が大きい。出席した会合のテーマは,イノベーテイブな考え方・手法を適用し,農業・観光・鉱業などの伝統的な産業を変える,であった。主催者GBSNの代表であるDutta教授は自らが作成に関与したGlobal Innovation Index(世界知的所有権機関,コーネル大学,INSEADが共同で作成)を紹介し,ケニアはインドやベトナムなどと並び,制度や実績の面で最も成果を上げているinnovative achieversの一つだと強調していた。2018年Indexのランキングではケニアは世界全体では78位だが,サブサハラアフリカでは南ア,モーリシャスに次ぐ第三位(次いでボツワナ,タンザニア),8年間連続してachieversグループに入っている(他に6年間はルワンダ,マラウイ,モザンビーク)。
携帯電話の普及率はすでに100%に近い。茶園に同行したケニアのビジネスマン達はUBERの車の中で,エスプレッソを飲むカフェで,スマートフォンやiPadをチェックする。女性のアグリ・アントレプレヌールからは,栽培技術や販売に関するデータを関係者がICTを通じ共有することで,質の良い果物や野菜,穀物を米国などに輸出しているという話を聞いた。紅茶の世界でも,国主導の研究開発によりアントシアニンの成分が多い紫色のパープル・ティーが作られ,スペシャル・ティーやサプリメントとして欧米市場などで地位を高めている。
ケニアではSafaricomが主導したM−PESAを用いた送金から始まり,今や少額の借り入れ・預金,支払いまでがスマートフォンで行えることもよく知られている。発達した既存の銀行サービスにモーバイル・マネーを組み合わせることで,企業や個人の金融へのアクセス(financial inclusion)が高まり,その結果,ケニアでは取引コストが下がり,マクロ経済の面では貧困が減少し,成長につながっているとIMFは論じている。
第二は交通や電力などのインフラ整備が着々と進み,隣接諸国と人の往来やモノ・サービスの貿易が活発化しているという点である。インド洋側にあるケニア第二の都市モンバサではコンテナー・ターミナルが拡充し(日本企業と中国企業が建設),ナイロビまでの新しい標準軌道の鉄道(将来はウガンダまで延長)が中国からの借入と技術により建設され,すでに稼働し,米企業による高速道路建設も計画中である。地熱・水力など再生エネルギーによる発電能力が増え(発電の4分の3に),エチオピアやタンザニアと結ぶ送電線や道路の建設が進められ,西北部で生産が始まった原油の輸送のためにインド洋側のラム港までのパイプラインも計画されている。政府債務の早いペースでの増加には懸念も表明されているが,インフラの建設・整備は間違いなく東アフリカ共同体を構成する6ケ国だけでなくエチオピアやコンゴDRCなどの隣接国にも広くメリットを及ぼす。この1−2年の間に,ケニア航空がナイロビとニューヨークとの間に直行便を開始し,米国企業の拠点がナイロビに増えている。またエール・フランスもパリとの間を結び,今年3月中旬にはフランス・マクロン大統領がフランス企業などとともにケニアを訪問。太陽光などの再生エネルギー,鉄道などのモビリティ,スマートシティ,デジタル化などの分野での協力を話題にし,ナイロビ大学では学生達と英語で1時間を越える対話を行った。
第三は,ケニアが中国や日本だけでなく他のアジアの国々,特にインドや中東湾岸諸国と地理的にも歴史的にも深い関係を有していることである。モンバサなどの東海岸には古くから交易に従事するインドやオマーンの商人が住み,イスラム教徒が多いが,ヒンドゥー教やジャイナ教も存在し,独特の文化を持つスワヒリ都市群が形成されている。チャンダリア・グループなど南アジア系の企業家が経済界でプレゼンスを有している。こうした国際性・開放性はケニアの強みであるが,一方で隣国のソマリア南部をベースとするアルシャバーブのテロの被害をときどき受ける。今回の訪問時には,ホテル,大学,オフィス,モールやスーパー・マーケット,いずれでも入り口でセキュリテイ・チェックをしていたが,グループでの武力テロはなかなか防げない。
ケニアの課題は政治である。ケニアはイギリスと激しい武力闘争を行い,1963年に独立,それを主導したキクユ人は白人に奪われていた高原地帯の農地を独立後に独占的に取得した。キクユ人はこれまでの4人の大統領のうち3人を出し,教育水準も高く,最大の民族(または部族)として恵まれた地位にもある。こうしたキクユ人に対するカレンジン人やルオ人の不満は強く,根強いと言われている。2002年まで24年におよんだモイ政権下では,出身母体であるカレンジン人が多いリフト・バレー州への利益誘導や腐敗が激しく,援助を行う米英政府の批判を浴びたことが今でも記憶に残る。ケニアの政治は独立の経緯やその後の歴史を反映し,いまだに民族や地域の利害を露骨に追求する傾向が強い。2007年の大統領選挙(常に国会議員などとの同時選挙)後には民族間で流血の抗争がおこり,1,500人が死亡し,60万人以上が土地を追われた。2017年8月の大統領選挙は予想外のやり直しになり,国際的な不安が高まったが,幸いその後国は再選されたウフル・ケニアッタ大統領の下で安定し,経済も好調に推移している。2022年と見られる次回大統領選挙ではこうした民族や地域間の対立をうまく処理できるだろうか。
可能性に恵まれるケニアの長期の発展には政治的な安定が難しいが,欠かせない課題であろう。同じような問題を抱えるアフリカの国は少なくない。
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