世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1101

不信社会とデジタル化

池部 亮

(専修大学 准教授)

2018.06.25

 新卒の就職・採用活動が佳境を迎えている。売り手市場の昨今,学生にとっては追い風が吹いており,悩みなどないのだろうと思っていたのだが,意外と就職相談を受けることが多い。良い会社とは東証一部に上場するような大企業であるという観点を持ちながらも,社会生活で急速に進むデジタル化を見るにつけ,伝統的な大企業だから将来も安泰とは思えなくなってきているようだ。確かに,人工知能(AI),モノのインターネット(IoT),シェアリングエコノミー,キャッシュレス,フィンテック,自動運転や5Gといったニュースが日々溢れ,実際,私たちの社会生活の中にも多くのデジタル技術が取り込まれるようになってきた。私が所属する商学部は,伝統的に金融,商社のほか,会計士,通関士といった専門職に多くの卒業生を輩出してきた。今時の学生からすれば,有望な職業が否かは分からないまでも,間違って斜陽産業に就きたくないという思いが強い。

 私がかつて駐在したベトナムや中国でも今やデジタルエコノミーの普及が目覚ましい。久しぶりに中国を訪れると,キャッシュレスやライドシェア(自動車,自転車),顔認証の普及スピードに圧倒される。一方,日本ではライドシェアについては様々な規制に阻まれ,新業態が浸透するのに時間を要している。また,日本はハード面で既存の社会資本の完成度が高く,不便を感じないことも普及を遅らせている。例えば,街のいたるところにあるATMの便利さや,都市部の公共交通機関の充実などである。この他にも,対人サービスの質も高く,人を介した実店舗での買い物が,ネットショッピングよりも満足度が高いからこそ多少価格が高くても実店舗を利用する人が少なくない。釣り銭を投げられたり,商品知識のないやる気のない店員にイライラしたり,段取りの悪い会計や商品渡しなどで不快な思いをすることは少ない。

 発展途上国は社会資本の構築も先進国ほど進んでおらず,カエル跳びの発展パターンによって最新テクノロジーをいち早く普及させているという見方もある。しかし,ベトナムではメータータクシーが普及し,町中に客待ちの流しのタクシーが溢れているし,中国の街でも,以前は自転車の群れが洪水のように流れる風景が風物詩でもあった。ライドシェアについて見る限り,ベトナムや中国では,所有と普及といった段階を経てからシェアの段階に進んだのであって,手順を踏んだ社会生活の変化が起こっている。

 中国に暮らして見ると気づくのだが,社会システムのいたるところに「人は元来悪いことをする」という性悪説に立脚した制度が張り巡らされている。飲食店では注文取る人,料理を作る人,料理を運ぶ人,会計をする人に分業され,不正が起こらないことを優先する非効率なシステムが今でも幅をきかせている。一方,日本では,その日初めて履歴書を持ってきた高校生に商店のレジ打ちをさせたり,牛丼チェーンのワンオペレーションのように一人で全てを仕切るといった業務体制をとることは珍しくない。対人サービスの質が悪く,不正防止の網が張り巡らされた中国の不信社会は,日本から見ると非効率な点が多々目についた。信用社会ではないから,無人化,自動化,非現金化,宅配が自明の選択になる。顔認証とパスポートと指紋で本人確認をして町中に配置された防犯カメラで常に行動が監視される状態は,換言すれば不信社会での社会生活に欠かせない社会資本である。自転車を所有して盗まれるリスクが多いから,シェアした方が精神的に楽である。偽札が多くスリも多い社会であればキャッシュレス化をいち早く志向する。対人サービスの買い物で嫌な思いをするのを避けるためネットショップや無人店舗に人気が集まる。

 中国でIT化が急速に進展する背景として新興IT企業の隆盛がことさら大きく報じられる。しかし,これらプラットフォーマーにとっての拠り所は,不信感で醸成された社会生活の非合理さ,言うなれば社会資本の不備を埋め合わすところにある。不信を解決する手段として必要だからこそ,その部分ではIT化が急速に発展したのではないか。

 日本は,農家の軒先で野菜を無人販売できるような信用社会である。デジタル化で遅れをとっているように言われることが多い日本だが,社会資本の重要な一部である「信頼や信用」が十分な量存在していることが,急速な無人化,自動化を必要としなかったのである。

 さて,学生の就職先はどのように考えれば良いのか? 業種や業界によって雇用が奪われることを煽るメディア論調もあるが,デジタル化の波で駆逐されない人材になるしかない。有り体に言えば,システムを使う側の人間になるということなのだろうか。

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