世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1077

新興国市場における顧客価値とは何か

髙井 透

(日本大学 教授)

2018.05.14

 「物の売買といったら,現物の世界です。我々の仕事は現物もサンプルもないわけです。お客さんは,当社のサービスを利用してみて初めてわかるわけです。その意味で,信用があってこその仕事だということです」。危険物輸送分野のトップメーカーであり,老舗企業の丸一海運社長,樋口幸雄氏の言葉である。サービス産業の特徴は無形性であり,売るのは信頼であるといっても過言ではない。

 改めてこの言葉を聞いて思うのは,マーケティングの大家,セオドア・レビット(以下,レビット)の「無形製品をどう有形化するか,有形製品の無形要素をどう引き出すか」(T,Levit.The Marketing Imagination, Macmillan.1983.「土岐坤訳『マーケティングイマジネーション』ダイヤモンド社1984年)という論文である。すでに発表されてから30年以上も経過しているが,いまだにその論文のエッセンスは色褪せないと感じる。例えば,コンサルタントや保険の外交員がいつも綺麗な身なりをしているのは,無形製品というサービスを目に見える形にするためだという。事実,丸一海運でも,無形要素を有形化するために,従業員に危険物取扱いの試験を受けさせることで,スペシャリストの育成に積極的に取り組んでいるし,数年前には関東に新たな危険物倉庫を建設している。

 無形製品と異なり,有形製品は事前に製品の機能を確かめることはできる。しかし,有形製品でも無形の要素を含んでいる。例えば,機械関係の製品でも,工場などに設置され,稼動してはじめて製品が提供されたことになる。それまでは,信用という無形製品を提供しているのと同じである。計量機分野のトップメーカーであり,この分野の老舗企業である㈱イシダ(本社京都)の戦略をみてみよう。

 イシダでは顧客に製品を納入する場合,納入先と同じ環境を自社の工場内で再現し,そして,実際に機械を稼働させた後に納入している。しかし,このような念入りな事前テストを行って,製品を顧客のもとに届けても,実際にはうまく稼動しないこともあるという。顧客の機械を使用する環境や,実際に計量する商品が現場とテスト環境では微妙に異なってくるからである。そのため,イシダではメンテナンスを重視する戦略をとっている。機械の設置,稼動だけではなく,トラブルが起きた場合,メンテナンスまでイシダが行ってくれるという信頼があるからこそ,顧客はイシダから製品を購入するのである。ある意味,信頼という無形要素を引き出すことで,高い顧客ロイヤリティを獲得している。

 現代においても,レビットの論文は多様な製品差別化のアイデアを提示してくれる。しかし,このロジックに従うと一歩間違えれば,オーバースペックな製品や過剰サービスを生み出すのではないか。とくに,今,成長している新興国市場へ参入にするには不向きな戦略を生み出すのではないか,という危惧が生じるかもしれない。

 新興国市場は今や多くの日本企業にとって成長の源泉でもある。しかし,新興国市場での業績は思ったほど芳しくない。そのため,新興国市場に適合するように製品価格や品質レベルを下げるべきという議論もある。イシダも新興国市場で事業展開しているが,確かに,ハカリなどの個々のコモディティ化した単品レベルの製品でみれば,コスト競争で苦戦している部分もある。しかし,イシダの得意分野であるトータルパッケージ,つまり,計量,包装,検査などのトータルシステムでは依然として東南アジアで強みを維持している。丸一海運も,現在では単に危険物を輸送するだけではなく,競争優位性の源泉である信用をより高めるために,トータルパッケージロジスティクスという戦略を展開している。この戦略は,「ここにある物は一切お任せください」という究極の顧客志向でもある。この戦略によって,現在,東南アジアでのビジネスを拡大させている。

 日本企業が新興国市場で苦戦してきたのは,製品機能では勝っても,コスト競争で負けるケースが多かったということも事実ではある。確かに,現地の市場ニーズに適合することは戦略の基本ではあるが,より大きな視野から企業の持続的競争優位性を考える必要がある。レビットの発想は,まさに,目の前の製品という枠にとらわれずに,顧客価値の広げ方を教えてくれる。新興国市場における顧客価値とは何かを,日本企業の強みをベースに改めて考える必要があるのではないだろうか。

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