世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1048
世界経済評論IMPACT No.1048

アジア太平洋からインド太平洋へ:中国の「一帯一路」が変える構造転換の構図

平川 均

(国士舘大学 教授)

2018.04.09

 世界経済の構造転換は,アジアの国際政治経済におけるフロンティアを「アジア太平洋」から「インド太平洋」に大きく移しつつある。大国中国の出現が,世界とアジアの安全保障と経済における競合の場をアジア太平洋からインド太平洋に変えつつある。

 1960年代のドル危機に始まるアメリカ経済の競争力の喪失と企業の多国籍化を経済のグローバル化の第一波とすれば,1990年代の情報技術(IT)の発達による経済のグローバル化は第2波といえよう。こうして生まれた国際分業を自らの成長力と結びつけたのが東アジアの新興経済であった。まず,韓国や台湾,シンガポールなどの東アジアNIESが外資を導入して輸出主導型の成長を実現し,ASEAN諸国や中国がそれに続いた。今世紀に入ると,成長はBRICs(ブラジル,ロシア,インド,中国)へと広がる。この新興経済の成長は今日,デフレ現象の打開策とされる「量的緩和」で金余りを生み,また資産格差の拡大をもたらしている先進経済とは好対照をなす。トランプ大統領誕生で分断の深まるアメリカ,Brexitで揺れるヨーロッパなど不透明感を増す先進経済とは対照的である。様々な課題が指摘されるものの新興経済は世界経済を牽引する経済群を形成し,その先頭に中国がいる。

 その中国で2013年,政権の座についた習近平国家主席が打ち出したのが,陸と海のシルクロードからなる「一帯一路」(OBOR)構想である。彼は「偉大な中華民族の復興」を掲げ,昨(2017)年10月の共産党大会では中国が「世界の舞台の中心に立つ時が来た」(BBC News Japan, 2017.10.18)との認識を示すまでになった。本(2018)年3月の全国人民代表大会では憲法を改正して,鄧小平が設けた国家主席の任期の制限を取り払い,自らの手でアメリカを超える経済軍事大国,偉大な中国の建設に決意を固めたように見える。一帯一路は,中国の対外政策として一層の重要性を増している。

 「一帯一路」は,どう捉えたらいいのだろうか。20世紀の後半に達成された新興経済の成長のメカニズムは今世紀に入って大きく変化した,と言うことができる。それは,新興経済の成長の極がNIESからBRICsに移ったことに端的に示されている。NIESは,先進経済,主に日本から輸入した資本財・中間財を低賃金労働と結びつけるトライアングル構造の下で成長した。市場は先進国,主にアメリカにあった。だが,今ではその構造は高度化している。

 人口大国のBRICsが注目されるようになり,アジアに市場が生まれ,アジアはイノベーションの温床となった。BRICsを言い換えれば,人口規模が生み出す巨大な潜在的市場経済である。著者の表現では,潜在的大市場経済(Potentially Bigger Market Economies: PoBMEs)である。そこに資本,企業が引き寄せられる。

 中国は今や世界第2位の規模を誇る経済へと成長し,その市場と潜在力の上に独自の経済圏形成の可能性を高めている。一帯一路構想が新たな市場の創出策として打ち出されているのである。

 一帯一路は,アフリカを含んでヨーロッパとの連結を目指すインフラ市場創出の新たな開発政策である。構想の初期には,オバマ政権時代の12カ国からなる自由貿易構想,旧TPPへの対抗策の面を持っていた。だがそれは同時に,中国の資源安全保障政策と直結するものである。資源の海上輸送ルートに南シナ海,インド洋があり,陸の輸送ルートにユーラシアがある。

 ところで,中国のインド洋への海洋進出は,地域大国インドに脅威を与えるだけではない。世界秩序の再編に関わる内容を含む。第2次大戦後にアメリカが主導して創り上げてきた自由主義市場経済といわば国家主義的な社会主義市場経済との対抗の場にインド洋が組み込まれたのである。振り返るならば,中国が改革開放を本格化させアジア太平洋貿易に参入した時期は,社会主義体制の解体の時期である。アジア太平洋貿易への中国の参入では,西側諸国は将来の民主主義国家,中国の誕生を期待していた。だが,その後の自由主義市場経済は,グローバルな金融危機を勃発させる。格差は拡大し,社会の分断が進んだ。自由主義市場経済と民主主義は,新興国が受け入れるべき唯一の政治経済体制とみなされなくなった。

 このイデオロギー的対抗関係に最も敏感に反応したのは,日本の安倍晋三首相であろう。彼は,2017年初めには「自由で開かれたインド太平洋戦略」を構想し(注),同年8月にはケニアで開かれたアフリカ開発会議(TICAD VI)で対外的に発表した。2か月後の10月には,安倍・トランプの日米首脳会談で「インド太平洋戦略」は日米合同の外交戦略となった。トランプ大統領は翌11月,APECに集まった首脳を前に「インド太平洋」戦略に言及する。翌2018年2月にはアメリカ,オーストラリア,インド,日本の4カ国の間で共同の地域インフラ計画が話し合われた(Router, Feb.19, 2018)。安倍首相が唱える「自由で開かれたインド太平洋戦略」は上記4カ国を中心に動き始めている。一帯一路構想とインド太平洋戦略が対抗関係となる構図が生まれつつある。

 だが,防衛関係の強化を伴う「自由で開かれたインド太平洋戦略」は,中国が「冷戦思考の反映」だとして批判するように(『人民網』日本語版,2018.2.22-23),冷戦構造的発想の色彩を色濃く帯びている。求められる方向は,中国を含んでインド太平洋地域の関係諸国がそうした発想と対応を超えて,世界の繁栄と平和の枠組み,秩序の構築に努力することであろう。一帯一路構想は,沿線国のインフラ投資を国際協力の枠組みで競い合う契機をもたらした。安倍政権が掲げる「質の高いインフラ投資」も当該地域社会の発展に資する。中国とインドの対抗関係も,経済に限れば同様の効果を持つ。ASEAN地域からインド洋,アラビア海,紅海へと広がる海のシルクロード,そしてユーラシア大陸を鉄道や高速道路でヨーロッパと結合する陸のシルクロードの構想は,世界に沿線国,地域への関心を高め,潜在的な新たな市場を顕在化させつつある。

 国際政治経済のフロンティアは今や,アジア太平洋からインド太平洋,そしてユーラシアへ移動しつつある。中国の成長が生み出す構造転換のフロンティアは,中国受容のアジア太平洋から対抗のインド太平洋へ移行しているのである。日本,アメリカ,そして中国はもちろん関係国が冷戦思考を乗り越えて,経済のフロンティアで平和的な開発競争にしのぎを削るならば,その先にアフロ・ユーラシアの時代が訪れる可能性が生れている。

[注]
  •  2017年4月に公表された外務省国際協力局「平成29年度開発協力重点方針」には,重点政策の第1として「『自由で開かれたかインド太平洋戦略』」の推進」があげられている。
  •  なお,外務省は2014年度の同省外交・安全保障調査研究事業として研究プロジェクト「インド太平洋時代の日本外交-Secondary Powers/Swing Statesへの対応」を立ち上げ,国際問題研究所が受託している。この研究プロジェクトによる成果と提言は2015年3月に外務省に提出されている。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1048.html)

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