世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TPPによる貿易自由化の効果は国民に浸透するか
(大阪大学 教授)
2015.11.24
10月5日,アトランタにおける閣僚会議でTPP交渉は大筋合意に至った。このニュースは,環太平洋の大きな経済圏ができあがるとして報道され,多くの国民の関心を集めた。公表された大筋合意によると,日本は農産品・工業品の9018品目のうち,95%にあたる8575品目の関税を撤廃する。
TPPでは日本の重要な農産物とされる米,小麦,牛肉,豚肉,乳製品などについても自由化が行われるものの,経済学の視点から見て疑問と思われる面もある。一つの例は,米の自由化である。米の場合には,国家貿易として取り扱われ,ミニマム・アクセス(MA)数量の77万トンまでは基本的に無税で輸入されてきた。それを超える輸入量には700%を超える関税がかかり,実際には輸入できない状態になっている。
このMA米は,主食用,加工用,援助用,飼料用,在庫などに分けられており,特に主食用の米はSBS(売買同時契約)という形で入札が行われる。その入札においては,農林水産省が最低の売渡価格,最高の買入価格,最低のマークアップなどを決め,それらの条件を満たしたもののうち高いマークアップを付けた順に落札される。このマークアップは実質的には関税と同じようなものである。
平成27年の3月の入札データによると,米国のうるち玄米短粒種の買入価格(輸入価格)は1キロ約201円であり,売渡価格は約241円となっている。国産米には多くの銘柄があり,それぞれに販売価格も異なるので正確な比較はできないが,このMA米の売渡価格は国産米の価格にほぼ近いものと考えられる。主食用のMA米の価格は国産米と比べて大幅に安いわけではない。
主食用の米の輸入は,2013年には6万トン,2014年には1万トンとなり,10万トンの枠を大きく下回った。このような状況にあるにもかかわらず,TPPの大筋合意の内容によると,アメリカからの米の輸入枠を新設し,当初5万トン,13年目以降は7万トンにする。また,オーストラリアについても同様で,当初6000トン,13年目以降に8400トンにする。このような国別の数量の割当は,国際間の競争を阻害するものであり,経済学の目で見ると望ましいとは言えない。
さらに,余った米は政府の備蓄米として保管され,一定期間が経てば飼料用などに回される。このような形で主食米の国内での需給を調整することで,国内価格が下落しないように管理している。したがって,安い米が消費者の手元にとどくことはない。
さらに,政府は備蓄米の保管にかかる費用や売却による損失の補填にかかる費用をどこかから調達してこなくてはならない。それには企業や国民から徴収した税収が使われるわけであり,国内の誰かがそれを負担していることになる。
これは一例に過ぎず,重要な農産物の多くについてこのようなそれぞれ国内価格を安定させるような仕組みが取られている。私の拙著『貿易自由化の理念と現実』(NTT出版,12月発行予定)ではもう少し詳しくこの点について解説している。
TPPによって重要な農産物の自由化が行われることにはなったが,その自由化がもたらす本来の利益が国民に浸透しないようであれば,なぜ貿易の自由化を行うのかといった根本的な問題さえ生じてくる。もちろん,自由化によって損失を被る生産者を守ることは重要である。適切な所得の再分配政策と自由化の利益が国民に還元されるような施策が望まれる。
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