世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.578
世界経済評論IMPACT No.578

TPPと日本の酪農業

松村敦子

(東京国際大学 教授)

2016.01.25

 2015年10月に大筋合意された環太平洋パートナーシップ(TPP)協定は,包括的で野心的,且つ高い水準を持つバランスのとれた協定を目指して交渉が進められてきた成果である。TPP協定により参加12カ国において2030年までにどれくらいのGDP押上げ効果が生じるのかに関して,世界銀行が試算を公表した(2016年1月6日公表)。これによると,日本については2.7%と加盟国平均の2倍以上の効果があるとされ,主として非関税障壁緩和によるモノの輸出と小売業進出などの効果が大きいと予想されている。

 一方で,日本の比較劣位分野である農産品の輸入についてはどのような効果が期待されるのだろうか。ここで農産物に関するTPP協定の内容について見てみたい。まず,各国の農林水産物の関税撤廃率(品目ベース)をみると,日本のみ81%という低い数字となっており,二番目に低いカナダで94.1%,三番目に低いペルーで96.0%,メキシコで96.4%,米国で98.8%,その他の7カ国では99.4%~100%となっている。その結果,全品目の関税撤廃率(品目ベース)は日本のみ95%で,その他の11カ国では99%~100%となっている。日本が関税を残す農林水産物443のラインうち412ラインが重要5品目であり,これらに関して国家貿易制度や枠外関税率の維持,関税割当やセーフガードの創設,長期の関税削減期間の確保などの措置が採られている。

 こうした農産物の中で,2014年末に店頭での不足が大きな問題となったバターに焦点を当て,TPP協定の内容とバター不足解消への道筋について考えてみたい。TPP交渉大詰めの時期にはニュージーランドやオーストラリア等が日本に対する要求のひとつとしてバター等の酪農品の市場開放を求めていたが,TPP大筋合意によれば,バターについては米,小麦,大麦などとともに国家貿易制度が維持され,独立行政法人・農畜産業振興機構によるWTOでの約束輸入数量の枠内税率(35%+マークアップ)が継続される一方で,これまでバター不足時に実施されてきた国家貿易による追加輸入に関して新たにTPP輸入枠が設定されることになっている。バターのTPP輸入枠はユーザーや商社等の民間貿易による3,188トンとされ,この枠は6年目以降に3,719トンに拡大される。この内容についてこれまでのバター輸入実績に照らして考えてみたい。

 WTOの約束輸入と追加輸入の合計として26年度には12,900トン,27年度には12,800トン(見込み)程度が輸入されているので,今回設定されたTPP枠は現在の年間輸入量の1/4程度の小さなものであり,現在の日本のバター消費量の約4.2%に過ぎない。枠内税率も高く,35%+290円/kgでスタートし,11年目までに35%に引き下げられる。

 バター不足は2014年末に大きな問題となったため,2015年には政府がバター追加輸入を早めに実施する一方,原料の生乳の用途を一部生クリーム向けからバター向けに移したことでバター増産が図られた。そのため,バターの小売店での販売重量は2015年末において2014年末より増加し,農畜産業振興機構が実施した店頭調査(京浜59店と京阪神38店の97店対象)ではクリスマスシーズンのバター欠品は見られなかった。しかしバターの価格について見てみると,年々上昇していることが明らかである。バター200グラム(加塩)の平均価格(農畜産業振興機構調査)では,平成25年度の350円~370円程度,平成26年度の370円~380円程度に比較して,平成27年度には4月から12月までほぼ一定して400円程度が維持されている。バター生産が増加しても市場に出回らせずに,値上げを期待して在庫として保管している流通業者の存在も懸念される。このように,バターは店頭欠品という事態を緊急輸入や一時的増産によって何とか回避しても,乳牛の頭数減少が続く中での原料の生乳不足により供給不安は解消せず高値が続いている。

 乳製品の中には,TPP大筋合意により,日本国内価格の低下が期待できるチーズのような品目もあり,チーズについて日本人の嗜好に合う種類では関税が維持されるものの,主として原材料として使用されるチェダー,ゴーダ等の熟成チーズやクリームチーズ等は16年の経過期間を経て関税撤廃される。しかしながらバターについては原料の生乳の用途処理が不安定であり,輸入が難しいために生乳の優先的な用途となっている牛乳の需要減少時期にバターを増産するというように,生乳需給の調整弁としての役割を担っている。したがって農水省は,安価な外国産バターの自由輸入制度導入により国産バター需要が減少する事態を懸念し国家貿易制度を解除できない。

 そうした中で,乳製品の安定供給のために,減少する生乳生産に歯止めをかけるべく,国内の酪農業の生産・流通体制の見直しが迫られている。農水省では,減少している酪農家の所得向上等を通じた生乳生産基盤の強化,付加価値の創出,新たな需要の確保,消費者の信頼確保等を通じた酪農・乳業の発展を図るためとして,2015年7月,生乳取引のあり方等検討会を設置し2015年10月に報告書が作成された。そこでは,指定生乳生産者団体が2016年度から入札取引を試行的に実施するとされ,バターやチーズ等の様々な乳製品向けに,また飲料乳では主として「特色ある生乳」を対象としてプレミアム価格の決定手法として入札取引を活用したいとしている。現段階では実際に入札にかけられる生乳は乳製品向けのうちの数%とされるが,このような制度が日本独自の差別化された乳製品開発と有利販売に向けての有効な手段として定着していき,バターのような乳製品でも質や独自性等の非価格面での国際競争力を確立することができれば,バターの国家貿易制度の見直しを通じて供給不安解消に繋がることが期待される。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article578.html)

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