世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.875

日本企業の海外M&A失敗事例の歴史を振り返ってみて

安積敏政

(甲南大学経営学部 教授)

2017.07.17

 筆者が学者になる前の36年間,民間企業の国際部門で仕事をして難易度が高かった,苦労したという記憶がある仕事の一つに,海外企業の買収がある。企業の海外進出には基本的に3つの方策がある。それらは自前進出(製造業の場合はGreen Field 進出),技術・生産・販売・業務・資本などにおける戦略的企業間提携(Strategic Alliance),そして企業買収(Merger & Acquisition, 略称M&A)である。製造業に限らず銀行,保険,小売業,ロジスティクス,広告などサービス産業(非製造業)の海外進出においても,2000年代に入って企業買収が一つの大きな戦略として脚光を浴びてきた。

 経営戦略として企業買収を選択するメリットは,一般論として以下の3点である。1つ目は,海外事業進出の際にゼロから進出する自前進出と比較すると,事業立ち上げと事業拡大の時間を短縮でき,時間を買えることである。2つ目は,買収先がすでに持っている顧客(一般消費者,企業,政府機関)や市場といった商権を確保できること,3つ目は,買収した企業の優秀な人材を確保できることである。

 M&Aに活路を見出す日本企業の海外企業の買収金額は,1980年代の1件当たり数十億円規模からその後,数百億円と増大し,2000年代以降は数千億円から1兆円近い規模の案件さえ誕生している。同時に,多くの専門家から公表されるその「失敗率」は60%台から70%,80%台へと上昇し,日本企業の経営の中に学習効果が出ていないように見える。豊富な資金力を武器にした企業買収は,もはや中期計画や長期計画の連結売上高を膨らます単なる「打ち出の小槌」という位置づけではなく,失敗すれば企業の屋代骨を揺るがし企業存続の危機に直面するといったポジションに変化していることがわかる。

 企業買収の実務には,買収前のターゲット企業との国際交渉,買収後の現地での異文化経営,そして結果として業績不振であれば事業撤退という3段階がある。合弁事業もほぼ同様のプロセスである。米国,欧州,中国,インドにおける筆者の拙い経験から振り返っても,難易度の高さは,逆に事業撤退,現地経営,買収交渉の順であり,特に従業員の解雇など労務問題がでてくる事業撤退局面の乗り切り方は重要である。

 数千億円に上る大型買収案件の失敗事例は,発生する毎にマスコミ,評論家,学者をにぎわす。俎上に上げるには恰好の材料につき,安全な対岸から燃え盛る火事を見て様々なコメントをする。火の粉が降りかかるわけではないし,撤退企業の“終戦処理”に頭を悩ます必要もないし,撤退の結果,当該企業の従業員のように職を失ったり,異動を余儀なくされるわけではないので勢い“自由闊達”な議論となる。1980年代から起きた8件の大型失敗事例から今日の「東芝事件」に至る識者のコメントを筆者がレビューすると,この30年間,ほぼ同じ論点と同じ論調であることがわかる。「運が悪い買収後の経営環境の激変」,「ずさんな海外子会社管理」,「コーポレートガバナンス(企業統治)欠如」,「翻弄される現地経営」,「不適切な会計を見抜けない監査法人」,「高値つかみの買収金額」,「のれん償却の重さ」,「社内内紛」,「有能な経営者や経営幹部の退社」などである。

 海外事業に不馴れな企業や経験の浅い企業に限らず,日本企業の企業買収には以下の3つの問題が起こりがちである。下記は筆者の実務経験を通しての視点である。

 1つ目は,企業買収のプロセスの一つである対象企業のデューディリジェンス(due diligence: 資産評価)において,財務・税務・環境・訴訟・人材・研究開発などに係る問題点を発見できず,買収後にそれらの問題点が発覚し,日本から送り込まれた新経営陣がこのような問題を解決できないことである。

 日本の企業では,たとえば米国企業の買収の際には,日本の本社で買収チームが組まれるのが一般的である。「経理・財務部門」「税務部門」「環境部門」「法務部門」「技術部門」など各経営機能(職能部門)から専門家がでて現地でデューディリジェンスを行う。これをサポートするのが,チームを組む米国の法律事務所(Law Firm)の弁護士と公認会計士事務所(CPA Office)である。

 しかしながら,多くの日本企業の弱点は,重要な無形資産である「人材」のデューディリジェンスであり,自社の買収目的に適う経営トップ(CEO),執行役員から部門別の経営幹部に至る人材評価をする力が不十分か欠落していることである。その結果,これまでの経営に問題があり,売却の対象になった企業の経営陣がそのまま買収後の新会社に留任となり,「あなた任せの経営」になりがちである。

 「事業は人なり」,「物を作る前に人をつくる」などというスローガンを掲げる企業であっても,日本人社員や,自社の海外現地法人に長期にわたり勤務してきた現地経営幹部までは時間をかけて人事評価ができても,突如現れた「買収対象会社」の経営人材の評価が短期間にできないという欠陥を露呈する。熾烈な国際競争の中で勝ち抜ける経営者とはどのような要件を兼ね備えているかが分からない本社人事部門だけが,上記デューディリジェンスのプロセスから欠落する。このことは海外企業の買収では意外な感じはするが,ここで多くの日本企業で人事担当役員を含めて本社人事部門のグローバル化の遅れが露見する。

 フランスの自動車会社ルノーは,1999年に経営の危機に瀕していた日産自動車に36.8%(6430億円)出資後,カルロス・ゴーン氏をCEOとして送り込み,そのリーダーシップのもと自社の経営方針を社内に浸透させ,業績を飛躍的に回復させ劇的な復活を遂げた。国際企業とは,買収した会社の元経営陣を留任させ「あなた任せの経営」をさせたりはしないのである。

 2つ目は,買収した企業と自社の国内外の既存事業を統合・再編することができず,当初期待したシナジー効果(相乗効果)を生み出せないことである。買収前に期待されたシナジーとはどのように予測され,どのように具体的に実現されるよう計画されたのか不透明だからである。

 たとえば,1990年に日本の松下電器産業(現・パナソニック)が米国の映画会社MCAを61.3億ドル(約7800億円)で買収した。当時積み上げた内部資金は十分にあったので,身の丈に合わない買い物に見えても株主をはじめとするステークホールダーからは特段の批判はなかった。買収の際の“シナジースローガン”は,「ハードとソフトの融合」であった。日本側の買収企業のテレビ・ビデオ・DVDなどのAV機器といった「ハードウェア」と,米国側の映画会社の持つ映像ライブラリー,つまり「ソフトウェア」を組み合わせれば業界での優位性を築け,グローバルな観点から持続的な成長性と収益性を確保できるというものであった。しかし映画会社の持つコンテンツの知的財産権の帰属や使用権の問題などがあり,「ハードとソフトの融合」という夢は泡と消え,この映画会社は1995年に売却された。巨額を投じて期待されたシナジー効果は,買収企業の単なる「片思い」という結果に終わった。

 3つ目は,企業買収は,全社的な経営視点から事業拡大のための手段であるが,買収そのものが目的化されてしまうことである。これは熾烈で時間のかかる買収交渉の結果,交渉疲れからいつのまにか手段が目的に変化し,買収の契約締結が新規事業のスタートにもかかわらず,社内的に案件として一件落着してしまうことである。落着できるのはチームを組んだ弁護士と公認会計士と成功報酬を手にする仲介会社だけである。その結果,初期の事業目標に対して,着実に成果を上げていこうとする社内の熱意が冷めたり,買収企業を担当した役員や担当部門だけの案件へと埋没し,時として問題が内在化する不透明な経営に陥りがちである。これはポストM&A経営が上手くいかない多くの日本企業に見られる課題である。全社のコンセンサスで買収した企業の経営は可視化され,全社関連部門のフルサポートの連携があってこそ,企業風土の違いを乗り越えて所期の成果を出せるものである。企業買収は買う前よりも買った後の“ポストM&Aのマネジメント(PMI)”が重要である。

 原発事業への前のめりから米国ウェスティングハウスを54億ドルで買収した「東芝事件」の推移を日々新聞で目にする。日本企業のあり得ない「まさかの事件」や再発した「またかの事件」,とは評論できない個人としては複雑な思いがよぎる。現役時代に,ニューヨーク州で半年にわたる一連の買収交渉を終え,引き続き買収した米国ベンチャー企業の役員を当時5年間務めた。筆者のこの実務経験をいま改めて振り返ってみる時,ボーダレスで熾烈な国際競争に直面する日本企業にとって,「海外企業買収の買収交渉から現地経営,事業撤退」に至る一連の「M&A経営」の高度化は,国際市場で勝ち抜くための喫緊の経営課題のように思える。

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