世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.811

シムズ理論の死角:財政再建にフリー・ランチは無い

小黒一正

(法政大学 教授)

2017.03.13

 財政再建の観点から政府は2020年度までに国と地方を合わせた基礎的財政収支(税収と政策経費の差額)の黒字化を目指しているが,先般(2017年1月25日),内閣府は経済財政諮問会議において,中長期の経済財政に関する試算(いわゆる「中長期試算」)の改訂版を公表した。この試算によると,2019年10月の消費増税や高成長を見込んでも,2020年度の基礎的財政収支は8.3兆円の赤字で,昨年7月の前回試算より2.8兆円も拡大することが明らかとなった。

 これは「高い成長で税収を増やし財政再建を進める現政権のシナリオが既に崩壊」したことを意味するが,この関係で,今年の通常国会における首相の施政方針演説から,過去に存在した「2020年度に基礎的財政収支を黒字化する財政健全化目標」の言葉が消えたことが一時話題となった。

 このような状況の中,先般(2月1日),米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授が日経ホールで,「物価水準の財政理論」(FTPL)の講演を行った。この理論は学術的に発展途上でその妥当性に対する論争も多いが,デフレ脱却に向けた2%の物価目標が達成できず,財政や金融政策の限界が明らかになる中,注目を急速に集めつつある。しかし,基本的に「フリー・ランチは無い」というのが経済学の原則で,本当にシムズ理論に死角はないのか。

 そもそも,財政の持続可能性を考える場合,現在の債務は将来得られる基礎的財政収支の黒字で賄われる必要があり,「民間部門が保有する名目の公債残高=将来得られる名目の基礎的財政収支」という関係式が成立する。この式を物価水準で割って実質化した式がFTPLの根幹を担い,それは「民間部門が保有する名目の公債残高÷物価水準=将来得られる実質基礎的財政収支」(※)と表現できる。

 通常,財政再建を行う場合,※式を満たすよう,政府は増税や歳出削減で債務を削減しようとするが,このような状況をリカーディアン・レジームという。他方で,財政再建を増税や歳出削減で賄おうとはせず,インフレで債務を実質的に削減する方法もあり,このような状況を非リカーディアン・レジームという。

 ※式でインフレが発生する理由は,例えば減税で政府が財政規律を緩め,「名目の公債残高÷物価水準>将来得られる実質基礎的財政収支」という状況になると,減税分だけ民間部門は追加で消費可能になり,それが財市場で超過需要を発生させ,物価に上昇圧力が掛かると想定するためである。

 だが,消費増税を最近2度も延期したが,物価が上昇する気配はなく,現在の日本でこのメカニズムが本当に機能するのかという意見も多い。他方,無責任な形で財政規律を緩めれば,物価が上昇するはずだという意見もあるが,FTPLが正しい場合,本当に財政インフレが発生する。その際,物価抑制のために日銀が金融引締めを行えば,長期金利の上昇を許容する必要があり,巨額債務が存在する中,それは利払い費の増加を通じて財政を直撃する可能性もあるため,政治的に日銀が物価の制御を断念する可能性も高い。

 その際,増税や歳出削減で物価を抑制する方法もあるが,そのような予算法案や税制改正法案が国会で速やかに議決できるか否か,という問題もある。また,一定の増税や歳出削減を実行してもインフレが終息せず,むしろ高インフレが発生した場合,もっと踏み込んだ増税や歳出削減が必要になる可能性もある。

 かつての日本経済でも1945−49年で卸売物価が約70倍になる高インフレが発生したが,そのインフレを終息させたのは,超財政金融引き締め政策を盛り込んだドッジラインであった。つまり,財政インフレを止めるには,その原因である財政赤字を縮小するため,国民が痛みを伴う増税や歳出削減を実行する必要がある可能性も高い。

 すなわち,財政再建にフリー・ランチは無く,高インフレで経済が混乱するリスクも考慮すれば,増税や歳出削減といった正攻法での財政再建をしっかり進めることが望ましい。

関連記事

小黒一正

国内

日本

最新のコラム