世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「GDP600兆円」の憂鬱
(駒澤大学経営学部 教授)
2016.02.01
安倍晋三首相は昨年9月に自民党総裁に再選され,「アベノミクスが第二ステージに入る」ことを宣言した。旧アベノミクスが「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の三本の矢によって構成されていたのに対し,新しいアベノミクスは「一億総活躍社会」を究極の目標に掲げ,「希望を生む強い経済(2020年ごろまでに名目GDPを600兆円に引き上げ)」,「夢を紡ぐ子育て支援(出生率の1.8への引き上げ)」,「安心に繋がる社会保障(介護離職者ゼロの達成)」を新しい三本の矢に位置づけている。
本稿ではこれらのうち,「2020年までに名目GDP600兆円達成」という目標の是非について論じる。一見すると,政府が高い経済成長の目標を掲げることに異議を申し立てる理由はないように思われる。しかしこうした考えは誤りである。
「名目GDP600兆円を目指す」という計画を耳にしたとき,多くの人は1960年代の「国民所得倍増計画」を想起したようである。「GDP600兆円」と「所得倍増計画」の発表前には安全保障をめぐる深刻な論争があっただけでなく,どちらの時期にも近くオリンピック開催が予定されており,一時的な需要増が見込まれる環境にあったからである。
しかし「GDP600兆円」目標と「所得倍増計画」の間には,以下のような違いもある。第一に,「所得倍増計画」当時は基調的な経済成長率が非常に高く,多少成長が減速しても容易に目標を達成できる環境にあった。しかし近年の日本では名目GDPがほとんど増加しておらず,自然に目標が達成される状況にあるとは思われない。
「GDP600兆円」と「所得倍増計画」の第二の違いは目標達成までの期間である。所得倍増計画は実施期間10年の中期計画だった。しかし安倍首相は5年程度で目標を達成することを目指しているため,今回は短期計画だと言ってよい。中長期の経済戦略においては自然に供給側に目が行くが,短期決戦で野心的なGDP目標の達成を目指す場合,企業の設備投資や家計の住宅投資を促進して目先の需要を増加させることに力点が置かれやすくなる。しかし補助金を与えて採算性の低い設備投資を促進すると,資本の質が低下して後の供給力がかえって低下する。同様に,今日の日本では住宅総数が世帯数を大幅に上回っている上に,世帯数そのものも減少しているため,人為的に住宅投資を促進しても将来の需要の先食いになってしまう。
また,「所得倍増計画」当時と今日とでは,日本経済の置かれた環境もまったく異なっている。「所得倍増計画」当時の日本はまだまだ貧しく,経済至上主義的な政策によって国民を鼓舞することに一定の正当性があった。一方,今日の日本はすでに成熟した先進国である。一国全体の生活水準のいっそうの上昇が望まれるのは勿論だが,国民の関心は世代間・世代内の分配の問題に向かっており,経済が成長すればすべての問題が解決すると信じられる環境にはない。
「成長すればすべての問題が解決するわけではない」ことは,政府の財政管理においてもきわめて重要な視点である。安倍首相はかねてから「成長こそが唯一の財政再建策」だと主張し,本気で財政の持続性を確保する意思を示していない。事実,政府の楽観的な経済予測の下でも「2020年までに基礎的財政収支を黒字化する」という財政健全化目標が達成される見込みがないにも関わらず,そのことに何の対応もしていないだけでなく,中長期の財政再建計画を策定することも拒んでいる。日本のようにすでに政府債務の対GDP比率が200%を大きく上回っている国の場合,公共投資などによって一時的にGDPが増えると債務・GDP比率が下落するが,こうした効果は早晩剥落し,後にいっそうの債務が積み上がることになる。
最後に,国家主導・成長主義的なGDP目標は「一億総活躍社会」の理念とも整合的でない可能性が高い。政府の文書によると,「一億総活躍社会」とは,「一人ひとりが,個性と多様性を尊重され,(…)それぞれの能力を発揮でき,それぞれが生きがいを感じることができる社会」だそうである。しかし同じ文書のすぐ後に「こうした取組の中で,国民一人ひとりの安心感が醸成され,(…)消費の底上げ,投資の拡大が促され,(…)経済活動が加速する」と述べられ,「一億総活躍社会」が経済成長の手段であるかのように扱われている。安倍首相が真に国民の能力を信頼し,一人ひとりの個性と多様性が尊重される社会を望んでいるのなら,民間企業にとって最も重要な判断事項である投資計画や賃金調整に露骨に介入したり,育児や介護を社会で責任を持って引き受ける代わりに三世代同居を推進して「親子三代が仲良く一緒に暮らすのが一番の幸せだ」という自分の理想を国民に押し付けるようなことはしないのではないだろうか。
※ 本コラムのより詳しい内容は、こちらをご参照下さい。
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