世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4126
世界経済評論IMPACT No.4126

再考:動的平衡としての移民社会:「内の内は外」と「包み包まれる」関係から

平岩恵里子

(元南山大学国際教養学部 教授)

2025.12.15

 生物学者・福岡伸一が語る「動的平衡」とは,生物が固定した物質の塊ではなく,絶え間ない流れのなかで自己を維持するという思想である。膵臓の細胞は薄い皮膜の一部を陥入させて細胞内部に小部屋をつくり,そこへ内部で合成されたタンパク質を膜を通過させて取り込む。この小部屋は細胞内を移動し,やがて膵臓の被膜と融合して外界に開き,内部のタンパク質を外側に放出する。小部屋(内部の内部=外)をつくるのは,細胞の外の環境が直接細胞内に流れ込む危険を回避するためである。内部に“外部”を抱えたまま処理を続けるこの構造を,福岡は「内部の内部は外部」と表現した。生命は,外部性を保持しながら自己を保つ。この比喩に,日本社会における移民コミュニティの姿が重なって見えて仕方がない。

 外国人労働者が集住する地域には,母語で買い物できる店や宗教施設,SNSを軸にした相互扶助の仕組みなど,母国の文化や習慣がそのまま持ち込まれる。これらは日本社会の内部にありながら,外部の文化を保持する「内なる外」の領域である。移民研究でも,エスニック・エンクレーブ(集住地域)は,就労の入口,生活の支え,情報交換の場として,受入れ国の社会構造に深く結びついた存在として注目されてきた。日本の内部にあるが“外部の論理”で動く空間であり,例えば数年すれば帰国する技能実習制度の構造は,細胞が外側へ物質を送り出す仕組みにどこか似ているようにも感じられる(もちろん,生物学と社会制度を単純に重ねることはできないが)。

 しかし,この領域が興味深いのは,単に文化的外部性を保持するだけではない点だ。日常の接触,労働市場への参加,消費行動,地域活動,そして第二世代の教育経験など,多様な交換の流れのなかで,移民コミュニティも日本社会も互いに変容していく。移民は受入れ社会に適応し,習慣や価値観が部分的に変わる。一方で移民の存在は,産業構造や地域の生活文化にも静かに影響を与え始める。外食や小売りの品揃えが変わり,行政サービスが多言語対応を求められ,学校現場には新しい調整機能が必要になる。移民が外部性を保持するからこそ,日本社会もまたそれに応じて変わらざるを得ない。ここに動的平衡としての共存の姿が現れる。

 この関係の二重性を捉えるうえで,私は福岡伸一と哲学者との対談のなかで紹介されていた「包み包まれる」という西田幾多郎の表現に強く惹かれた。正直にいえば,西田哲学そのものは難解で,私自身しっかり理解しているとは言えない。しかし,この言葉が示す「内と外が相手の存在によって形づくられる」という発想は,不思議と移民社会の構造に重なって見える。対談では,樹木の年輪が環境によって形づくられ,同時に年輪がその木を育てた環境を規定していくという例が挙げられていた。AがBを包むと同時に,BもまたAを包み返す――この一見矛盾した構造を,西田は「絶対矛盾的自己同一」と表現した。

 移民社会をこの視点で見ると,受入れ国と移民コミュニティの関係が立体的に浮かび上がる。移民は日本社会の制度や公共サービス,日本語という大きな枠組みに包まれて生活する。これは確かに「包まれる」関係である。しかし同時に,移民コミュニティは,労働供給を通じて産業を支え,新しい消費市場をつくり,宗教や文化の多様性を公共空間に持ち込み,地域社会や学校に変化をもたらしていく。つまり移民は受入社会に包まれていると同時に,その外部性によって受入社会のあり方を包み返し,再編していく。

 この相互作用の構造には,動的平衡の考え方と響き合う何かがある。外部性を排除して均質化を目指すのではなく,外部性を抱え込み,その外部性によって社会の側も更新される。生物が外部を取り込みながら自己を維持するように,社会もまた外部性との往還のなかで安定を見いだす。内と外は固定されたものではなく,交換の流れのなかでつねに生成される。この視点に立つと,「同化」か「多文化」かといった単純な議論は,私たちの足元で起きている現象を捉えきれない。重要なのは,移民が外部性を維持しながら社会内部に居場所をつくり,そこから受入社会とのあいだで絶え間ない交換が進むというプロセスである。その交換の流れこそが,日本社会の持続可能性を支える一要素となっている。移民コミュニティと日本社会は互いに包み包まれながら,動的な均衡を探り続けている。外部性を保持する領域をそのまま内部に置き,その外部性によって社会が変わることを恐れずに受け入れること。そこにこそ,持続可能な共存への道があるのではないか。

 「内の内は外」という生物学的視点と,「包み包まれる」という哲学的視点。この二つを重ねることで,移民社会は脅威でも例外でもなく,社会の更新を促すプロセスとして位置づけ直すことができる。動的平衡としての移民社会――外部と内部という境界を揺さぶりながら,変化のなかに新たな安定を見いだす営みとして,私たちはこれを捉え直す必要があるのではないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4126.html)

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