世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4071
世界経済評論IMPACT No.4071

増えはじめた日本のアンチダンピング

柴山千里

(小樽商科大学商学部 教授)

2025.11.10

 この数年,世界のアンチダンピング調査開始件数が増えている。WTO公表の2024年の調査開始件数は368件と,これまでで最多だった1999年の357件を更新した。2022年には89件とかつてない少なさであったが,2023年には191件と倍々の増加である。

 その要因のひとつが中国の経済停滞である。政府による積極的な投資や生産能力の増強により増加した供給能力に対して内需の勢いが弱く,過剰生産は輸出へと捌け口を求め,海外市場で次々とアンチダンピング事件を起こしている。ある国でアンチダンピング措置を受けた中国の企業は,別の国の市場へと輸出先を変更するため,そこでもアンチダンピングの申請がなされるのである。また,中国製品の価格下落圧力が他国の輸出競争企業に対しても影響し,中国以外の企業もアンチダンピングの対象となってしまうこともある。このようにして,玉突きのようにアンチダンピングの件数は増えてゆくのである。そして,この増加の動きはまだ続きそうである。

 2025年に入り,トランプ関税が新たな要因として加わった。アメリカは鉄鋼・アルムニウムおよびそれらを使う製品に対して50%の輸入関税を課している。また,日本に対する15%をはじめ,各国に対して「相互関税」をかけている。さらに個別の物品や特定の国に対しても突如として関税引き上げの声明が出されたりもしている。関税をかけられた国の企業はアメリカへの輸出が困難となるため,輸出先を変更することで他国の市場で新たな貿易摩擦を起こすことになるのである。

 その代表的な品目が鉄鋼である。もともと中国は不動産不況で内需が弱いにもかかわらず鉄鋼を増産したため,あふれた製品が海外に安価に輸出され,世界中で対中アンチダンピング事件が増えることになった。そして,鉄鋼の国際価格下落により日本の鉄鋼企業もまたアンチダンピングの対象とされている。これは上記で示した中国による価格下落圧力が他国企業に影響した事例である。さらに,10月にはトランプ関税を受けてEUが域内産業保護のために一定量を超える鉄鋼輸入に対して来年7月まで50%の関税を課す措置を取ることを発表した。このように,世界で保護貿易の連鎖が広がっているのである。

 そのあおりを受けて日本でもアンチダンピング調査が増えつつある。例年,日本のアンチダンピングの新規調査開始件数はせいぜい1件であるが,2025年は11月までで3件になっている。さらに,日本政府は迂回輸出による関税回避行動に対しても課税できるようアンチダンピング政策を強化することを予定している。アンチダンピング関税を課された企業が,課税を逃れるため第三国を経由した輸出を行う傾向があるためである。また,この夏に経済産業省通商政策局の担当官がアンチダンピングの法務と実務について詳述した『日本企業のためのアンチ・ダンピング対応の実務』が出版された。日本政府は,アンチダンピングはじめ貿易救済措置手続の環境整備を続けてきたが,さらに企業による活用を後押ししようとしている。

 中国の過剰生産とトランプ関税の問題が続く限りは,世界で保護貿易の動きが拡大していく状況が続きそうである。このような中,日本も積極的にアンチダンピング措置を取るようになってゆくことだろう。加えて,グローバル経済が順調に進展していた時代に作られた効率的な国際分業体制は,地政学的リスクや経済安全保障の認識により,以前のようなやり方ではままならなくなってきた。しかし,本来は自由貿易に基づく貿易秩序が維持されることが各国および世界の経済にとり望ましい結果をもたらすことは忘れてはならない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4071.html)

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