世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米印離反,再接近の中印
(桜美林大学 名誉教授・国際貿易投資研究所 客員研究員)
2025.09.08
トランプ第2期政権が発足すると,インドのナレドラ・モディ首相は今年2月,直ちにワシントンを訪問し,トランプ大統領と通商・防衛協力問題を協議し,4月にはバンス米副大統領が夫人(両親がインドからの移民)と3人の子供とともにニューデリーでモディ首相と面会した。6月17日には,トランプ大統領がカナダ西部のカナナスキスで開催されたG7首脳会議をイスラエル・イラン戦争の勃発で早退し,同会議に出席中のモディ首相に大統領専用機から電話して35分間会談した。
この電話で,トランプ大統領はモディ首相に帰途ワシントンに立ち寄るよう要請したが,モディ首相は断った。同時期にホワイトハウスに招待されていたパキスタンの軍司令官と握手を強要されるのではないかとインド側が危惧したためだという。トランプ側はインド・パキスタン両国の繊細な問題と歴史に余りにも無頓着だったようだ。インドとの関税交渉にいら立ちを募らせたトランプ大統領は何度もモディ首相に連絡をとったが,モディ首相は応じなかった。結局,再度の電話会談は実現せず,7月には合意が目前に迫っているように見えた交渉も決裂した(8月30日付ニューヨーク・タイムズ)。
結局,米国はインドに対して,中国に認めた関税賦課期限の延長を図ることもなく,8月7日から25%の相互関税,さらに8月6日付大統領令によって,同27日からロシア産石油の直接・間接の輸入に対する罰則,およびインド市場の保護主義政策に対する罰則として,25%の追加関税の賦課を開始した。合計50%の追加関税は,相互関税対象国69ヵ国の中ではブラジルと同率の異常な懲罰的高関税である。インド政府は8月6日,大統領令発出後,直ちに「米国の決定は不公平,不当かつ理不尽」と強く反発した。25%の追加関税の発動は,トランプ大統領の通商顧問ピーター・ナバロが,インドはロシア産原油で不当な利益を挙げ続けているのは「傲慢」だと非難したことが大きく影響したという(9月1日付ワシントン・ポスト)。
50%の相互関税の賦課は,インドの対米輸出に壊滅的な打撃を与える。Global Trade Research Initiative(GTRI)は,8月26日付報告書で,2026年度のインドの対米輸出は今年度の865億ドルから496億ドルに急減し,50%課税の対象となる品目(繊維,宝石,エビ,カーペット,家具等)の輸出は,相殺関税率の低いASEAN諸国や中国などに代替されると予想されるため,602億ドルから186億ドルに69%減となると予測している。
インドの対米離反の背景には,この5月に勃発したインドとパキスタンとのカシミール紛争とも関係している。トランプ大統領は紛争解決に,自分は大きく貢献したのに,なぜインドは米国に感謝しないのかと非難している。しかし,米国の圧力に屈して,より弱い国と停戦したとみなされれば,モディ首相の国内における立場はなくなる。もともと,カシミール問題は,第三国の仲介なしに,インド・パキスタン両当事国間で解決するというのがインドの確固とした政策である。停戦は,インドとパキスタンの両国間で合意されたものであるにもかかわらず,トランプ大統領がインドのミスリ外務次官の停戦発表前に,SNSで「完全かつ即時の停戦」が成立したと発表したことに対しモディ首相は激怒した。モディ首相にとって,トランプ大統領の行動は許しがたい暴挙であった。
トランプ大統領は8月15日,アラスカ・アンカレッジの米軍基地でプーチン大統領を赤絨毯で迎えながら,首脳会談では何らの具体的成果も挙げられず,ロシアは翌日からウクライナ攻撃を激化した。インドのロシア産原油輸入が,ロシアのウクライナ攻撃の原資になっているというのが米国の主張だが,インドに罰を加えるなら,米国はウクライナ停戦のため,より積極的にロシアに圧力を加えるべきだろう。しかし,それをしない米国のインドに対する行動は,弱い者いじめだと非難されても仕方がない。
こうした微妙な米印関係の中で,モディ首相は訪日後,7年振りに訪中し,8月31日から2日間,天津で開催され上海協力機構(SCO)の首脳会議に出席した。しかし,3日に北京で開かれた抗日戦勝80年記念式典には参加せずに帰国した。SCOでは,プーチン大統領および習近平国家主席と会談し,中印間では国境問題の緊張が緩和される方向が確認され,両国間の直行便の再開と査証発給手続きの簡素化も合意された。しかし,中印関係が改善される中でも,インドは中国に対する戦略的同盟であるQUAD(日米豪印戦略対話)に積極的に関与する方針を明確にしている。
トランプ大統領は以前からモディ首相に,QUAD会議出席のため年内にはインドを訪問すると伝えていたが,大統領のスケジュールに詳しい関係者によると,トランプ大統領が今秋インドを訪問する予定はなくなったという(8月30日付ニューヨーク・タイムズ)。米国首脳不在の会議で,議論がどう展開するのか,日本の役割がますます注目される。
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